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図書室55 掲載10/10/30

『新千歳市史』編さんだより 志古津 第12号 

米空軍千歳基地

評者 佐伯邦昭

 『新千歳市史』 編さんだより 志古津 第12号

  下記アドレスで自由に見ることができます
    http://www.city.chitose.hokkaido.jp/index.cfm/95,69293,c,html/69293/20101103-152856.pdf

表紙 CHITOSE AIR BASEの写真
  表紙に書いてある言葉
  

   辺境を守ってくれた米空軍のことを決して忘れないという
  ような意味でしょうか。

論文

米空軍千歳基地  筆者 新千歳市史編集委員会専門部員 守屋憲治

 

 新千歳市史通史編下巻刊行の下書きとして、史資料の解釈の結果を世に問い、より正しい情報を得ようとする守屋さんの労作であります。
 乏しい文献を可能な限り集め、困難な対照作業を積み重ねて、千歳基地に駐留した米空軍(米陸軍を含む)の経歴をまとめた本邦初の千歳米空軍史解題として大きな意味を持つものと思います。そして、市史編さんの中に基地の正しい姿を盛り込もうとしている姿勢に深く敬意を表します。

・ 郷土史では稀な例

 各地の郷土史に於いて、駐留した軍隊の部隊名から航空機など使用機材まで調べ上げて記述した例があるでしょうか。殆んどは、適当な表現で逃げている、というよりも逃げざるを得ない現実があります。文学部の碩学を郷土史編集委員長にしたところで、基地闘争や駐留部隊による治安問題など表面の社会現象には力を注ぐでしょうが、変動の激しい個別部隊やチンプンカンプンの軍事航空機に深入りする冒険は避けるだろうと思うからです。

呉市史が、アメリカ戦略爆撃調査団による生産実績表を無考証で引用して混乱を招いている例 R104参照
横須賀市発行の占領下の横須賀において、追浜飛行場地区を避けている例 
T21参照

  しかし、千歳市における基地のウエイトの大きさは言うに及びません。いわんや、ソ連から日本国土を守ってくれた米軍の内容についてさらりと触れただけの千歳市史では、意味をなさないように思います。ヒコーキマニアの守屋さんを得た新千歳市史編集委員会は幸運です。下巻の発刊が大変に楽しみなってきましたし、似た環境にある土地の郷土史が大いに参考にしてくれるといいですね。

・ ぎくしゃくした記述は当然である

 さて、論文の 内容は、昭和20年米軍上陸からから昭和33年千歳撤退までの歴史です。たかが13年の歴史といっても、第二次世界大戦、東西冷戦、朝鮮戦争などのバックグラウンドの知識なくしては取り組めるものではありませんから、その点でも相当の苦労があったことでしょう。
 新発見の米空軍作成の千歳飛行場全体配置図(1/6000)など凄い一級資料もありますが、やはり、全体的には二次、三次資料に頼らざるを得ずで気の毒 です。
 よって、失礼ながら滑らかに記述されているとは言い難く、当った文献により不自然な強弱を感じざるを得ません。それは、当然のことであって、滑らかに読ませるために平準化してしまうと、考証の行き届かないものについて想像が入ってしまう恐れがあり、ぎくしゃくした記述であるからこそ、真実味があるということもできます。

 従って、ここで言いたいのは、この下書きは航空史や占領史の専門家(マニアを含む)を対象とするものであるということです。
 随所に米空軍機の写真を入れてあるし、また『第39航空師団第4戦闘迎撃航空団(袖章-旧国籍標識「星」の先端両脇に翼)』というようにワッペンマニアを喜ばせるような括弧書きもあります。それらが統一して出てくるかというと、物足りないところもありますから、守屋さんの狙いとしては、専門家(マニアを含む)からの具体的な指摘と情報提供を待つということでありましょう。

・ 本番に期待する

 公刊市史誌上においては、「通史」として市政、社会、経済、教育、風俗などに平準化した文章作業にならざるを得ないと思います。利用する人の目的にもよりますが、専門用語の多いぎくしゃくした記述では敬遠されるでしょうから。
 読み易いように書いておいて、注記の充実或いは巻末か別巻に元資料を譲るという方法しかありませんが、それらは、更に徹底した考証を希望いたします。
 二次、三次資料を補強する最良の手段は、米本国の公文書館などに保管されている文書と写真の閲覧です。予算が問題でしょうが、そこまでやれば後世の批判に十分に耐え得るものとなります。
 

・ 手前味噌ですが

 巻末28ページの「参考・引用文献」と「協力」欄にインターネット航空雑誌ヒコーキ雲と佐伯の名前を出していただいています。守屋さんから日本駐留の米軍機の写真を求められまして、幸田恒弘さんを紹介したご縁によるものです。幸田さんは、米軍のF-86D駐留時代の空自第2航空団にいた関係で多くの情報を提供してあげたようです。紹介しただけで私の名前が 載るのはおこがましいですが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲を続けているお蔭とありがたく受け止めています。