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図書室

掲載12/07/09

AIR BRITAINを目指した機関誌AIR JAPAN

  

AIR JAPAN Specialの表紙

  マニアのコミュニケーション誌
  
AIR JAPANの表紙

紹介 佐伯邦昭

はじめに

 AIR JAPANは、四国愛媛県のマニアである上甲昇さんと浜遊孝行さんが協力して発行し、定価をつけて販売していた機関誌です。

 上甲さんは、1953年にT62に紹介しているMach Clubを組織して、機関誌「AOZORA 蒼空」を発行していましたが、教職の多忙かなにかで3〜4年で自然消滅したようです。その後も、日本機の調査研究を続けて海外の機関誌に投稿しておられましたが、日本での記録の発行の必要性を痛感されたようで、約25年を経てAIR JAPANを創刊されました。

 その創刊号に書かれた上甲さんの挨拶と、浜遊さんの編集後記を紹介しておきます。



 上甲さんは、明らかにイギリスの名門クラブAIR BRITAINが発行していたAir Britain Daigestの日本版を目指し、内外のマニアを対象とする冊子にしたいと考えていたようです。名称からしてAIR BRITAINを意識しているではありませんか。

 この初号にも、浜遊さんが日本語で三菱九三式陸上攻撃機を書き、上甲さんがヨーロッパのマニアと共同研究した英文のTHE NAVY TYEP93 ATTACK BOMBERを載せています。

  また、浜遊さんの編集後記で、私の永年の疑問(素人集団なのに、なぜこんな立派な刊行物ができるのだろうか?)が解けました。彼は印刷屋さんでした。ヒコーキマニアで印刷業とは、全国のマニア機関誌発行者が心底うらやましく思う環境であります。

 さて、私の手元に皆さんのご協力で1981年から1996年までの15年間のバックナンバーが55冊あります。まだ、ざっとしか拝見できていませんが、第23号から表紙デザインが大きく変わったのをはじめとして、編集に多少の変化はありますが、

 各地のマニアの写真を伴う投稿を、整理編集して特集とする
 全国の航空祭の模様を掲載する、写真だけなく展示リストと感想記も多く掲載
 上甲さんの研究を掲載する

という基本は変えておらず、投稿して自分の写真や文章が載ることによって実に多くのマニアを育てているのが分ります。加えて、新聞の航空ニュースのスクラップは、国内のみならず全世界のニュースを丹念に収集して載せているのが、大きな特徴です。

 AIR BRITAINを目指した意図は、必ずしも生きていないようだし、1996年以降、消滅したらしいのは残念であります。

 しかし、1980〜1990年代におけるかけがえのない航空記録集成であることは確かです。それらが、公平に信用に値する内容であるかどうかは、読む人の責任に帰属することはもちろんであります。

 私は、全巻を国立国会図書館など公的図書館に保存してほしいと思います。

リスト

誌   名

発行年月

特集(表紙に記載)

所有者

AIR JAPAN 1

 

三菱九三式陸上攻撃機

佐伯邦昭

AIR JAPAN Special No.4

1981/04

シーコブラ不時着

佐伯邦昭

AIR JAPAN Special No.8

1981/11

築城/新田原基地航空祭

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.9

1982/04

特集・日航機事故

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.10

1982/06

特集・’82松山空港

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.11

1982/08

城戸昌嗣写真記録集

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.12

1982/10

興野博士F-86F写真記録集

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.13

1982/12

ブルー・インパルス墜落報道記録

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.15

1983/04

ブルー・インパルス墜落報道記録

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.16

1983/07

基地祭は南から‥

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.17

1983/09

城戸昌嗣RF-101G写真記録集

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.18

1983/11

特集・横田基地の近況

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.20

1984/01

’83国際航空宇宙ショー特集

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.21

1984/03

’84新田原基地の近況

門上俊夫

AIR JAPAN Special No.22

1984/05

’83エア・ショー特集

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 23

1984/07

グアム・アンダーセン基地

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 24

1984/09

〈特集〉門上俊夫写真記録集(1)

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 25

1984/11

特集「三沢基地の近況」

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 26

1985/01

特集「ザ・九州」

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 27

1985/03

“春感” 北と南の飛行はじめ

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 28

1985/05

’85 松島基地の近況

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 29

1985/07

1985年1〜12月YOKOTAの記録〈2〉

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 30

1985/09

福岡A.Pニュース

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 31

1985/11

少乱舞る! F-104W追記W発進 !!

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 32

1986/01

秋だ、祭りだ! 基地祭だ !!

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 33

1986/03

B.I.飛行再開への動きを追って

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 34

1986/05

特集「KOMATSU AIRPORT]

門上俊夫

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 35

1986/07

〈特集〉門上俊夫写真記録集(2)

伊藤憲一

AIR JAPAN 35 臨時増刊

 

南西航空〈那覇〜松山線〉就航

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 40

1987/05

西瀬戸エアリンク離陸!

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 41

1987/07

ヨーロッパ撮影行

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 42

1987/09

気分は”TOP CUN”気分は”パイロット”

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 43

1987/11

新東京国際空港だより

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 46

1988/05

〈特集〉松山空港撮影ガイド

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 47

1988/07

CH-53 伊方原発1Km山頂に激突!

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 48

1988/09

高松・徳島空港撮影ガイド

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 49

1988/11

’88”夏” 燃える‥カデナ

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 50

1989/01

オーストラリア4空港撮影ガイド

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 51

1989/03

日米共同訓練機を新田原に追って!

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 53

1989/07

昭和航空史 サンテグジェベリの時代

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 54

1989/09

「想い出の翼」ダグラスDC-8シリーズ

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 55

1989/11

昭和航空史 「神風」号と飯沼飛行士記念館

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 56

1990/01

さようなら〈新〉高松空港〈旧〉こんいちは

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 58

1990/05

昭和航空史 96陸攻×グラジェエーター空戦記

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 59

1990/07

ヴオートA-7E ”コルセアU”

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 63

1961/03

昭和航空史 私の台湾航空史

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 65

1981/07

興野博士「F-104」写真記録集

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 66

1991/09

佐々木秀雄遺稿 稲毛民間航空記念館

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 70

1992/05

ダグラスA-4”スカイホーク”特集号

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 72

1992/07

’92春のエア・ショー

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 73

1992/09

’91名古屋空港の飛来機

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 74

1992/11

興野博士「T-33A」写真記録集

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 75

1993/01

ヨーロッパ航空事情/’92秋のエア・ショー

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 77

1993/07

興野博士写真記録集G USのF-4達

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 80

1995/05

〈特集〉’94エア・ショー

伊藤憲一

マニアのコミュニケーション誌 AIR JAPAN 85

1996/03

南米チリ/イースター島撮影行

伊藤憲一

 

 

○ 図書室 AIR BRITAINを目指した機関誌AIR JAPAN

 日本の再開航空が米欧の進んだ航空技術を競って採り入れたように、航空雑誌も米欧の発行スタイルを真似 し、我々ヒコーキマニアの組織も同じことをしてきました。

初代 JAPANESE AERO  HISTORIAH SOCIETY →AMERICAN AERO HISTORICAL SOCIETY の真似
今の JAPANESE AERO  HISTORIAH SOCIETY →AMERICAN AERO HISTORICAL SOCIETY の真似

 同じ意味で、今朝紹介のAIR JAPANは明らかにイギリスのAIR BRITAINを真似ようとしたものです。「真似」というと叱られれそうですが、空白からいきなり形をつくろうとするなら、先ずは模倣からということで、悪い意味ではありません。

 ただ、それを日本人特有の器用さで自動車産業のように世界に誇れるものまで止揚してきたかというと初代JAPANESE AERO  HISTORIAH SOCIETYはすぐにつぶれましたし、今の二代目はただ継続しているだけという状態です。

 AIR JAPANは、大先輩の上甲昇さんが代表であり、かつ編集者が印刷屋さんという最高の組み合わせでの機関誌発行でした。伊藤さんと門上さんのご協力で貸して頂いているバックナンバーを読みますと、ここからたくさんの優秀なマニアが育っているなと感じます。

 私が、広島航空クラブニュースやヒコーキ雲を発行していた時の泣き所は、何といっても送られてきた写真を機関誌内に印刷するお金がないことでした。これは、どこも共通していたと思います。AIR JAPANがまるで写真グラフ誌のように大量の写真を載せているのには、ねたみすら覚えますが、それほどの立派なものも、1990年代で消滅しているようです。

 結局、日本のAIR BRITAINにはなり得なかったのでした。

 せめて、その中の重要な記録を採取してインターネット航空雑誌ヒコーキ雲に残しておこうと思います。膨大なページ数なので、長期にわたるし、スキャンする時にページがはずれたりしますので、お二人にはまことに申し訳ありませんが、お許しください。

日替わりメモ 2012/07/10

○ 機関誌AIR JAPANについて

 昨日の日替わりメモの末尾に書いたお断りについて、伊藤さんと門上さんからご好意の返事を頂きました。ありがとうございます。航空史の空白をマニアの立場から埋めていく地道な作業ですが、何年かかってもやり遂げたいと思います。関連して、別のマニアの機関誌もあるというメールも来ており、いろいろな面で発掘が進むことに手応えを感じています。

 AIR JAPANの特徴のひとつに、明らかに現役の自衛官と思われる方が基地内のホットな情報を投稿していることがあります。それを読む一般マニアがより知識を深めて基地外から観察するという相乗効果が生まれていますね。

 今では、現職自衛官のこのような行動は厳しく監視されるでしょうし、第一、どこも定員不足で土日の休業もままならず、趣味の余裕は殆んどないそうです。もちろん、ネットでもなんでも情報があふれていますから一般マニアが不便を感じることはありませんが、そういった状態が無かった時代の基地内からの情報はとても貴重です。

 

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