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図書室  紹介 佐伯邦昭  掲載16/06/06

 

 CHECKER TAILE5 日本上空のクル−セーダー

F-8 Crusader over Japan

1958〜1979

 

  CHECKER TAILE5 
日本上空のクル−セーダー

F-8 Crusader over Japan

    1958〜1979

体 裁  A4判 152ページ
      収録写真 三百数十枚
定 価  3,800円(税別

 

直接の購入方法
下記へ住所・電話番号明記の上、AGCアートまで申し込んで下さい。送料込み4300円
 
電子メール 5P1129@hotmail.com (頭にsnbを付ける)
252-0301 相模原市南区鵜野森3−26−8 
電話・ファックス  042-705-9882

・ 紹介 例によって発行人の思いがこもった巻頭言によって紹介にかえます。

・ 感想  佐伯邦昭

 写真の大半の解説を早川雅明さんが担当し、実に精緻に記述されており、大げさに言えば、日本の空を飛んだクルーセイダー全機の特徴や所属部隊から戦歴、撮影の背景等々すべて頭に入れた上で、個々の写真を料理しているようなものです。その根性にも、また、協力してあげたマニア連の クルーセーダー度(苦しみだー度)度にも感服です。

 私は、1964年頃からのマニア界参入で、初めて接したクルーセーダーは、岩国のVMCJ-1 RF-8Aであり、VMFやVMF(AW)のF-8Eは、まだ厚木駐留ででしたし、時代としては既にF-4Bに代わっていて、どちらかというと馴染みが薄い機体でした。


 
 当時はプリントをこんな風にスクラップブックに貼り付けて楽しんでいました。この2枚は、1964年岩国三軍の展示です。下は、翌1965年の岩国三軍です。

岩国マニアの影が薄いです

 これらは割合ポピュラーなので、本書にも誰かの写真が取り上げてあるだろうと探しましたが残念。総じて岩国で撮った写真の殆どが関東から遠征してきた方のもの で、私のまずい写真は論外として、米海軍〜海兵隊基地岩国の地元マニアの影が薄いと言わざるを得ません。

  クルーセーダーに限らず、岩国地元スポッターのストックには大量の写真があるはずですが、インターネット航空雑誌ヒコーキ雲にすら岩国からの投稿がありません。出し惜しみと言われても仕方が無いでしょう。

 CVW-5艦載機部隊が移転してくることでもあり、目を大きく開いて、この本のような飛行機に対する愛情のこもった記録が出版できるくらいの奮起を望みます。US MARINE CORPS AIR STATION IWAKUNI 関係なら俺たちにまかせろというくらいの気概がほしいです。 

・ ボツ原稿の発表

 さて、この本は、AGCアートに連なる人々の共同作業で出版されたのだそうで、その1人の山内秀樹さんからインターネット航空雑誌ヒコーキ雲にご寄贈頂きました。
 その際の添書に次の論文がありましたので、この欄で紹介しておきます。編集者から或る部分の孔について質問があり、回答を送ったが、その部分を説明できる写真がなかったのでボツになった原稿だそうです。

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クルーセイダーのロケット弾パックについて

山内 秀樹

 初期のクルーセイダーが胴体下面にロケット弾パックを装備していたことは多くの資料に出てくるが、その実態はあまり知られていない。そもそもロケット弾パックを開いている写真が非常に少ないが、実戦部隊に配備された機体でこれを開いている写真は存在する。しかし地上写真ばかりで、飛行中に開いている写真や、発射している写真は見たことがない。設計当初、F8U-1にはロケット弾パックは装備されておらず、AFC-1によって装備されたもので、当時生産中の機体にも組み込まれたものの、AFC-333で廃止され、代わりに燃料タンクが装備された。これを装備したクルーセイダーはF8U-1/-1E/-23機種であった。AFC-1の発令日は1959930日で、AFC-333発令は19601223日。これらの日付が正しいとすれば、ロケット弾パックはわずか15か月間のみ配備・使用されていたことになる。AFC-6の発令日が1956101日であることを考えれば、19599月の発令は遅すぎると感じるのは私だけではないだろうが、手元の公式文書を信じるしかない。逆にロケット弾パックを使用中の写真も発射体験記も目にしないのは使用期間がこのように短かったからだ、とすればそれも頷ける。

 永年収集したF8U/F-8の各種マニュアルは今手元に合計32冊あるが、ロケット弾パックについて記載されたマニュアルは195891日発行・1959215日改訂のF8U-1/-1E FLIGHT HANDBOOK (NATOPSシステム発足以前のもの) 1冊しかない。これによると、2.75in FFAR (Folded Fin Airborne Rocket) 32発(16本の発射管に前後に2発ずつ装填)を収容したパックは前部降着装置の収容部の後端からスピードブレーキ後端に至る胴体底面を構成し、この構造にスピードブレーキが組み込まれており、スピードブレーキの後端をヒンジとして発射時には油圧で下方に約6°開く。これにより生じる空力抵抗によって機首下げのモーメントが働くので、これを打ち消すように自動的にスピードブレーキがわずかに開く。Bu.No.143702以前の機体は32発全弾斉射、つまり発射の機会は1飛行1回に限られていたが、Bu.No.143703以降の機体は全弾斉射、あるいは半数(16)発射を切り替えることができた。発射が完了すればロケット弾パックは自動的に胴体に収容され、スピードブレーキも自動的に閉じる。

http://thanlont.blogspot.jp/search?updated-max=2013-04-17T21:34:00-04:00&max-results=7&start=56&by-date=falseより転載

 ノースアメリカンF-86D/Lセイバーのように胴体下面にロケット弾パックをせり出して発射すれば、弾道は胴体基準線とほぼ平行となるが、F8Uのものは、ランチャーが胴体基準線より下方約6°に向いており、弾道を考慮すると、機首を相当上げた姿勢で発射することになる。パイロットの感覚では水平飛行する敵爆撃機を側面からピパーに重ねれば、爆撃機前方の未来位置はるか上方に機首を向けて発射することになる。操縦桿のトリガーを引けば、ロケット弾が発射され、ガンカメラも作動を開始する。もっともこうすることで、2.75inFFAR発射時のブラストを空気取り入れ口に取り込むことなく、コンプレッサーストールやフレームアウトを心配せずに発射できたのかもしれない。

 1本の筒に2発の2.75in.FFARを装填し、まず前方のものを発射し、次に後方のものがこれに続いて発射されるわけだが、前方のロケットモーターの火焔を瞬時とは言え後方の2.75in弾頭に吹き付けて発射するのは「大丈夫かな?」と首を傾げたくなる。事実、ROCKET PACK FIRE LIGHTと呼ばれる警告灯があり、ハングフアイアの場合これが点灯し、ロケット弾パックは自動的に開く。ROCKET PACK FIRE LIGHT SWITCHRESETに入れて警告灯が消えればハングファイアしたロケットモ−ターの燃焼が完了して火が消えたと判断し、CLOSEに入れると2分後にロケット弾パックが閉じる。

 F-86D/Lのようにポッドの後方からロケット弾のブラストが抜けるのではなく、F-89D/JF-94Cのように筒の後部は閉じてあり、ロケットモーターの燃焼ガスそのものが加速に寄与したようである。

 ロケット弾パックのボアサイティング方法については当時のMAINTENANCE MANUALにあるはずだし、ロケット弾の照準・発射に関してはその当時のWEAPON SYSTEM TACTICAL HANDBOOKにあるはずだが、いずれも手元に無いのが悔しい。

 

F8U-1F8U-1E

 AN/APG-30測距レーダにMk.11Mod.1光学照準器を組み合わせ火器管制装置Aero10Lを備えた昼間戦闘機F8U-1AN/APS-67索敵レーダにMk.11Mod.1光学照準器を組み合わせ火器管制装置Aero27あるいはAN/AWG-3を装備した制限全天候戦闘機F8U-1Eは機首のレドームの形状で容易に識別できるが、F8U-1Eの呼称は19597月に新設されたもので、それまでは型式上では両方とも同じF8U-1と呼ばれていた。従ってそれ以前に撮影されたF8U-1EにはF8U-1と型式が記入されており、管理上も区別はされていなかった。

 

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