・ ボツ原稿の発表
さて、この本は、AGCアートに連なる人々の共同作業で出版されたのだそうで、その1人の山内秀樹さんからインターネット航空雑誌ヒコーキ雲にご寄贈頂きました。
その際の添書に次の論文がありましたので、この欄で紹介しておきます。編集者から或る部分の孔について質問があり、回答を送ったが、その部分を説明できる写真がなかったのでボツになった原稿だそうです。
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クルーセイダーのロケット弾パックについて
山内 秀樹
初期のクルーセイダーが胴体下面にロケット弾パックを装備していたことは多くの資料に出てくるが、その実態はあまり知られていない。そもそもロケット弾パックを開いている写真が非常に少ないが、実戦部隊に配備された機体でこれを開いている写真は存在する。しかし地上写真ばかりで、飛行中に開いている写真や、発射している写真は見たことがない。設計当初、F8U-1にはロケット弾パックは装備されておらず、AFC-1によって装備されたもので、当時生産中の機体にも組み込まれたものの、AFC-333で廃止され、代わりに燃料タンクが装備された。これを装備したクルーセイダーはF8U-1/-1E/-2の3機種であった。AFC-1の発令日は1959年9月30日で、AFC-333発令は1960年12月23日。これらの日付が正しいとすれば、ロケット弾パックはわずか15か月間のみ配備・使用されていたことになる。AFC-6の発令日が1956年10月1日であることを考えれば、1959年9月の発令は遅すぎると感じるのは私だけではないだろうが、手元の公式文書を信じるしかない。逆にロケット弾パックを使用中の写真も発射体験記も目にしないのは使用期間がこのように短かったからだ、とすればそれも頷ける。
永年収集したF8U/F-8の各種マニュアルは今手元に合計32冊あるが、ロケット弾パックについて記載されたマニュアルは1958年9月1日発行・1959年2月15日改訂のF8U-1/-1Eの
FLIGHT HANDBOOK (NATOPSシステム発足以前のもの) 1冊しかない。これによると、2.75in FFAR
(Folded Fin Airborne Rocket) 32発(16本の発射管に前後に2発ずつ装填)を収容したパックは前部降着装置の収容部の後端からスピードブレーキ後端に至る胴体底面を構成し、この構造にスピードブレーキが組み込まれており、スピードブレーキの後端をヒンジとして発射時には油圧で下方に約6°開く。これにより生じる空力抵抗によって機首下げのモーメントが働くので、これを打ち消すように自動的にスピードブレーキがわずかに開く。Bu.No.143702以前の機体は32発全弾斉射、つまり発射の機会は1飛行1回に限られていたが、Bu.No.143703以降の機体は全弾斉射、あるいは半数(16発)発射を切り替えることができた。発射が完了すればロケット弾パックは自動的に胴体に収容され、スピードブレーキも自動的に閉じる。
http://thanlont.blogspot.jp/search?updated-max=2013-04-17T21:34:00-04:00&max-results=7&start=56&by-date=falseより転載
ノースアメリカンF-86D/Lセイバーのように胴体下面にロケット弾パックをせり出して発射すれば、弾道は胴体基準線とほぼ平行となるが、F8Uのものは、ランチャーが胴体基準線より下方約6°に向いており、弾道を考慮すると、機首を相当上げた姿勢で発射することになる。パイロットの感覚では水平飛行する敵爆撃機を側面からピパーに重ねれば、爆撃機前方の未来位置はるか上方に機首を向けて発射することになる。操縦桿のトリガーを引けば、ロケット弾が発射され、ガンカメラも作動を開始する。もっともこうすることで、2.75inFFAR発射時のブラストを空気取り入れ口に取り込むことなく、コンプレッサーストールやフレームアウトを心配せずに発射できたのかもしれない。
1本の筒に2発の2.75in.FFARを装填し、まず前方のものを発射し、次に後方のものがこれに続いて発射されるわけだが、前方のロケットモーターの火焔を瞬時とは言え後方の2.75in弾頭に吹き付けて発射するのは「大丈夫かな?」と首を傾げたくなる。事実、ROCKET
PACK FIRE LIGHTと呼ばれる警告灯があり、ハングフアイアの場合これが点灯し、ロケット弾パックは自動的に開く。ROCKET
PACK FIRE LIGHT SWITCHをRESETに入れて警告灯が消えればハングファイアしたロケットモ−ターの燃焼が完了して火が消えたと判断し、CLOSEに入れると2分後にロケット弾パックが閉じる。
F-86D/Lのようにポッドの後方からロケット弾のブラストが抜けるのではなく、F-89D/JやF-94Cのように筒の後部は閉じてあり、ロケットモーターの燃焼ガスそのものが加速に寄与したようである。
ロケット弾パックのボアサイティング方法については当時のMAINTENANCE
MANUALにあるはずだし、ロケット弾の照準・発射に関してはその当時のWEAPON
SYSTEM TACTICAL HANDBOOKにあるはずだが、いずれも手元に無いのが悔しい。
F8U-1とF8U-1E
AN/APG-30測距レーダにMk.11Mod.1光学照準器を組み合わせ火器管制装置Aero10Lを備えた昼間戦闘機F8U-1とAN/APS-67索敵レーダにMk.11Mod.1光学照準器を組み合わせ火器管制装置Aero27あるいはAN/AWG-3を装備した制限全天候戦闘機F8U-1Eは機首のレドームの形状で容易に識別できるが、F8U-1Eの呼称は1959年7月に新設されたもので、それまでは型式上では両方とも同じF8U-1と呼ばれていた。従ってそれ以前に撮影されたF8U-1EにはF8U-1と型式が記入されており、管理上も区別はされていなかった。
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