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図書室 掲載17/06/12

書評 世界の傑作機 No.178 ダグラスA-1スカイレイダー

世傑の品質を著しく劣化させた欠陥本である

山内秀樹

 

● 書評 「世界の傑作機 No.178 ダグラスA-1スカイレイダー」

No.6 1987年発行

EDITORIAL STAFF 
       I.MITSUI T.ASAKI A.SAKAMOTO

ASSISTANT EDITTOR
      N.NISHIMURA

CONSULTANT EDITOR
      G.KIMURA

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No.138 今回発行 

CHIEF EDITOR
      Y.YUZAWA

EDITORIAL STAFF
      Y.JINNO R.AMAMIYA

EDITORIAL ADVISER
      I.MITSUI

  待望された世傑のダグラス・スカイレイダーの再版が出版された。目を通したところ、従前の版と比較にならないほど内容が劣化している。

 初飛行以後25年にわたって第一線で活躍した大所帯(生産機数3,180機)で派生型に富むスカイレイダーをコンパクトに説明するには、周到な準備が必要であるが、その準備に要する期日を勘案せず、安易に出版期日を設定したのが原因と思われる。

 艦上攻撃機としての背骨を一本通しておき、その内容も第二次大戦の戦訓を反映した艦上攻撃機から冷戦時代には艦上核攻撃機として重鎮を果たし、更に朝鮮戦争、ベトナム戦争においては地上攻撃機としての役割を他機種との比較を踏まえて解説することは当然のことながら、各派生型についてもそれぞれの分野での位置づけを時系列的に明確に説明する必要がある。

 活躍期間の長い機種の説明には時系列に沿った丁寧な説明が不可欠。この機体には「生まれた時から髭が生えていた」ような解説はしてはならない。第二次大戦後の航空機を解説するには搭載機器・搭載兵装の時系列的な理解なしには執筆できない。その機器やその兵装を搭載したことにより、どのように運用が変化したかを、これも時系列的に明確に論じる必要があるからである。

 その意味で、本書の執筆者は古い既刊書籍を吟味することなく引用し、あるいはインターネットで収集した断片的な情報を整理することなく羅列し、「今日のスカイレイダー研究レベル」ではありえないディスインフォメーション(誤情報)を流す結果となり、今まで執筆者諸氏の努力を積み上げで築き上げられた「世傑」の品質に泥を塗る結果となっているのは悔しい。

 機体そのものの理解とともに、搭載機器、搭載兵装、運用等周辺知識の欠如がとりとめもない記事になって現れているように思われる。ことに搭載兵器に関しては、単に搭載可能で全く実戦に使用されなかったものの説明に文字数を浪費し、スカイレイダーに搭載され実戦で成果を上げたものが完全に無視されたり、十分な文字数が割り当てられなかったりしているのが 欠陥の最たるものである。


 正誤表プラス補足説明として指摘箇所を列挙しておこう。

  (以下執筆者の表示 松崎豊一  海老浩司)

 P.3上 ●「バックにVMF-122FJ-3が・・・」とあるがウソ。これはFJ-2195545日〜929日にCVG-17とともに空母コーラル・シーで地中海方面に展開した時期の撮影。これらのAD-5Nの所属はVC-33DET.31で、4機のAD-5N2機のAD-3Qを装備してこの航海に参加した。

 

P.3中 ●19709月撮影のAD-4B(132261)だが、19596月まではNAS LAKEHURSTに所属しており、以後NWL DAHLGRENに配属替え直後の1959629日に総飛行時間1,536時間で除籍処分となっており、以後MCAS QUANTICOで展示用に保管されていたもの。本機は19629月の新名称制定の3年以上前に除籍されており、機体にAD-4Bと書かれていて当然。

 

P.4上 ●「胴体下面の大きな膨らみはMk.22ターゲット・トーイングユニットで・・・」とあるがウソ。これはMk.8 Anti-aircraft Target Reel(対空射撃標的リール)のカバー。Mk.22は大きなスリーブターゲットで胴体内に折り畳んで10セット収容されており、胴体下面のスピードブレーキを外して設けられたハッチを開き、Mk.8ターゲット・トーイングユニットから繰り出されるワイアーの先端に取り付けて曳航されるもので、全く別物。

●「海軍は1949年にAD-2Qの標的曳航機転用を計画したが、結局着脱式パッケージタイプの曳航装置採用へと方針を転換した」とあるがウソ1949年に完成したAD-2QU(122373)AD-2Qをこの着脱式Mk.8 Mod.0 Tow Target Systemそのものの開発のために改造した機体で、この結果AFC640改造で、AD-2Q,AD-3Q, AD-4Q全機とAFC604改造でAD-5にこの装置が装着できるようになり、各CVG1機程度の標的曳航能力のあるスカイレイダーが配属・運用されていた。

 この写真のAD-5(132655)も、空母レンジャー(CVA-61)が初めて西太平洋に展開した1959年にVAW-11DET.Fに配属され、モデックスRR-700CVG-14の標的曳航任務に当たっており、その姿は神戸に入港した際撮影されている。

 

P.4中 ●NA-1E(132443)は元々乗員3名(PILOT, ASSISGTANT PILOT, RADAR OPERATOR)AD-5N(A-1G)として完成したもの。その後開発用にAN/APS-31Bレーダーその他の機材を取り外しAD-5に準じた改造を施し、AD-5と改称してNATCで使用。19629月にA-1Eと改称、19661月にNA-1Eと改称され1971年まで使用されたもの。

 

P.5上 ●「手前と左に見える主翼はVF-14”トップハッターズ”のF3H-2Mのもの」とあるがウソ。この航海時VF-14F3H-2Nを装備していた。VF-14F3H-2Mを装備したのはこの写真撮影の翌年19581月から12月の期間で、F3H-2への機種転換の訓練時期に当たり、F3H-2N, F3H-2M, F3H-23機種の混成状態でNAS CECIL FIELDにあり、前方展開はしていない。

 

P.7下 ●「VF-152の所属するCVW-16(AH)は、」とあるがウソ。正しくはVA-152195881日にVF-152VA-152に改変されているが、その後もF2H-3を使用し、AD-6に機種転換するのは19592月以降で、CVG-16CVW-16に改変されたのは19631220日。従ってCVW-16の時代にはVF-152は存在しなかった。

 

P.9中 ●「南ベトナム、ニャトラン基地」とあるが、正しくはニャチャン基地。地名は正確に。

 

P.22下 Douglas AD/A-1諸元・性能表

AD-4NのエンジンがR-3350-26WとなっているがウソR-3350-26WAが正しい。

AD-5のエンジンがR-3350-26WとなっているがウソR-3350-26WAが正しい。

AD-6のエンジンがR-3350-26WとなっているがウソR-3350-26WA、後にR-3350-26WBあるいはR-3350-26WDに換装が正しい。

R-3350-26Wの出力を2,800hpとしているがウソ

R-3350-26W, -26WA, -26WB, -26WC, -26WDいずれも最大出力(Military Power)は海面高度、2,900rpm2,700hpが正しい。

 以上は本文中で正しく記述されているのに、その内容と矛盾し、せっかくの記事の信ぴょう性を損なっている。

 集まった各執筆者の原稿記述間に生じた矛盾を整合させることは編集者の義務。
 R-3350
はターボスーパーチャージャーを装備して高高度から日本に来襲したB-29のエンジンとして、あるいは海上自衛隊も永く使用したP2V ネプチューンや、C-121スーパーコンステレーション(あるいはEC-121ウォーニングスター)の排気タービンで回収したパワーを直接クランク軸に戻すターボコンパウンドエンジンとして読者には馴染み深いものだが、スカイレイダーに搭載されたものは、整備が煩雑なこれらの排気タービン類を一切使用しない簡単な構造の低高度用のものであったこともどこかに記載するべきであった。少なくとも搭載エンジンのパワーセッティング、回転数、高度、出力の諸元は諸元表の一隅に記載すべきであった。

 

P.25 右欄 ●AD-3Nの説明で、「また夜間攻撃時の精密照準用にAN/AVQ-2Aサーチライト/ソノブイディスペンサー兼用ポッドを搭載した」とあるがウソAD-3Nと初期生産型AD-4N(124128-124156)AN/AVQ-2Aサーチライト/ソノブイディスペンサー兼用ポッドを搭載・運用できなかった。これを装備・運用したのはAD-4NL(124725-124760)AD-4N後期型(125707以降)が最初で、AD-3Nの項目で説明するのは場違い。また、AN/AVQ-2Aは夜間攻撃時の精密照準用ではなく、海上のレーダー探知目標(潜望鏡、シュノーケルあるいは艦艇等)識別用のもの。

 AD-4NLAD-4N後期型のサーチライトの用法説明は次のとおり。
 胴体内に並列で席を占める2名のレーダー手の右側の担当者が右手のハンドグリップで操作胴下から前方を睨むペリスコープと連動させて目標を識別する。サーチライト消灯後の暗順応に備えてパイロットは決して光芒や目標を見てはならず、その間バイサーを下げ、計器板に視線を集中して計器飛行で操縦に専念する。従ってパイロットはサーチライト使用中、照準器を覗くことはできない。夜間攻撃を実施する場合にはサーチライトを用いず、AN/APS-31でレーダー手が捕捉した目標に機首を向け、せいぜい吊光弾(フレアー)を」投下してパイロットが目標を目視で捕捉・照準してロケット弾発射あるいは爆弾投下するか、レーダー手がAN/APS-31AN/APA-16低高度爆撃装置を連動させ、ペリスコープを併用して自動投下する。なお、同様にAN/AVQ-2Aサーチライト/ソノブイディスペンサー兼用ポッドを搭載・運用するAD-5Nはパイロットに右側に席を占めるアシスタントパイロットがペリスコープを用いず、直接目視で右コンソールのハンドグリップでAN/AVQ-2Aを操作する。その場合もパイロットは視線を計器板に落として計器飛行に専念し、消灯後の視覚の案順応を健常に保つよう努力する。
 「何を、誰が、どのように」操作するのか十分理解した上で執筆しなければ読者にとんでもないウソをつくことになる。

 

P.26 左欄 ●AD-3Nの説明の続きで、「その他AN/ARR-27Aレーダー・リレーレシーバー、AN/ARR-2Aラジオレコーダー、IC/VRW-7ワイアレコーダー、AN/ARR-26ソノブイレシーバー・・・を搭載しており」とあるがウソAN/ARR-27A, IC/VRW-7, AN/ARR-26AN/AVQ-2Aサーチライト/ソノブイディスペンサー兼用ポッドと組み合わせて使用する対潜ウェポンシステムの構成機器で、AD-4NL及びAD-4N後期型以降に搭載されたもので、AD-3Nには一切搭載されておらず、ここで説明するのは場違い。

●また、AN/ARR-2AがレコーダーとあるがウソAN/ARR-2AAD-1からAD-5まで一貫して搭載されたVHFホーミング用の航法機器で、MCW(変調持続電波)をパイロットがヘッドフォンで聴きながら航法を行い、あるいは補助的に234258MHzの通信受信を行うもので、レコーダー(記録)機能はない。

 

P.26 右欄 ●AD-3Wの説明で、「なおAD-2以降完全カバータイプに改められた主脚扉は、本機の場合速度が重視されなかったためか、主脚柱前部がカバーされるだけの簡易型とされた。」とあるがウソXAD-1Wの項目で正しく記述されているとおり、以降AN/APS-20レドームを胴下に装着したスカイレイダー(空力試験機AD-2Wを除く)はカタパルトのブライドルとレドームとの干渉を防止するため、カタパルトフックを主脚柱に移設した。その結果完全カバータイプの主脚扉が使用できなくなったために一部をカバーするにとどまった。これはAN/APS-20レドームを備えたAD-5Wを含むAD-5系列の機体も胴下に可能な限りの外部装備装着に備えて採用された。

AN/APS-20の巨大なレドームの飛行性能への影響については一般読者が大いに興味を寄せるところだが、説明も一切なく、各型との比較する性能諸元の一覧表もなく、読者の要求を満たしていない。また、AN/APS-20の最大探知距離は200nm近くあるが、それを発揮するために早期警戒型スカイレイダーがどのような高度で運用されたのか、全く説明がない。

 

P.27左欄 ●AD-4の説明で「AD-3との違いは、エンジンが緊急時水噴射により3,200hpを発揮するR-3350-26WAとなり」とあるがウソ。水噴射による戦闘出力は3,150hp/2,900rpm/海面高度が正しい。外部装備の状況にもよるが、海面高度で15kt程度の増速が可能だったが、水噴射を使用するとエンジン寿命を大きく損なうため、(AD-4B, AD-5, AD-5N, AD-6, AD-7等では核攻撃任務など)一発勝負で速度や上昇力を要求される非常事態以外では使用してはならないと厳に戒められていたことも説明する必要がある。朝鮮戦争やベトナム戦争で命からがらの戦闘に数多く参加したスカイレイダーだが、水噴射で戦闘出力を使用した記録はなく、R-3360-26W以降はエンジンの出力上限はミリタリーパワー(軍用出力)の2,700hpに制限して運用されたと考えるべき。その出力条件下で重量増加を制限し、飛行性能の低下を防止ながら改修・改造を重ねて運用され続けた歴史を語るべきであった。

 

P.27 左欄 ●AD-4AD-3との違いとして、説明で初めてP-1オートパイロットとG-2コンパスが解説されているが、スカイレイダー系列で最初にこれを装備したのはAD-3NAD-3W。その実績に基づき単座のAD-4を含むAD-4系列以降、すべてのスカイレイダーに装備されたもの。P-1オートパイロットの作動にはG-2コンパスからの方位情報の入力が不可欠で、これらは不可分であることも一言述べてほしかった。

 

P.27 左欄 ●AD-4の説明で「Mod.3/4爆弾投下指示装置」とあるがウソ。正しくはMk.3 Mod.3/4で、AD-1以降装備されていたMk.1 Mod.2に代えて搭載されたもの。いずれもトス爆撃(爆撃目標を光学照準器に捉えて緩降下し、引き起こし中に爆弾を自動投下する)用の弾道計算装置。Mk.1 Mod.2についてもAD-1の箇所で説明しておくべき内容。

 

P.27 左欄 ●AD-4の説明で「朝鮮戦争の教訓から生産途中でコックピット周囲の防弾板追加や・・・」とあるが、その防弾板の合計重量が618lbに及び、これを装着することで軍用出力時の最大速度が海面高度で1kt、最適高度で2kt、公称出力での上昇限度が800ft、戦闘行動半径が10nm減少し、失速速度が1.4kt、離陸滑走距離が向かい風25kt48ft増加したこと等、飛行性能の低下の状況も説明すべき。

 

P.28 右欄 ●AD-4NAの説明で、「側面の扉は残されているが、内部電子装置、座席などは搭載されていない。」とあるがウソ。攻撃部隊に配属されたAD-4NAの多くは単座の昼間攻撃機としての任務のほか、後部胴体内に座席を残し、COD (Carrier On-board Delivery/艦上輸送機)として人員輸送の任務を兼務していた。

 

P.29 左欄 ●「AD-5は並列複座(左席:パイロット)」とあるが、右席の乗員についての説明が全くされていない。右席の乗員はアシスタントパイロットと呼ばれるが、操縦装置はなく、航法と(搭載されていれば)AN/APS-19レーダーの操作を担当する。単座型ではレーダースコープは計器板の右上に配置されていたが、AD-5では右席前方にあり、アシスタントパイロットが操作する。従って、全天候戦闘機として運用する場合はアシスタントパイロットがレーダーを用いてICSでパイロットを目標近くに誘導し、パイロットは目視で目標を捉えて光学照準器を用いて射撃する。

●「後向き座席x4を備えたVIP輸送機」とあるが、艦上人員輸送機と説明するのが妥当。後向き座席配置も着艦時のアレスティングワイアーによる制動に備えたもの。この仕様の機体は輸送航空隊であるVR-2219548月〜19551月にTBM-3Rの後継機として使用されたことがある。

AD-5(A-1E)の項目で、米空軍に移籍され、さらに南ベトナム空軍でも使用されたA-1Eに関して全く記述がない。米空軍が陸上機としての使用するための仕様変更・改造(例えば、尾輪をソリッドタイアからバルーンタイアに換装、着陸灯の新設、副操縦装置の搭載、地上部隊との交信のための通信装置増備、後にはヤンキーエクストラクションシートの装備等)、またその当時になって出現し、装備された兵装等についても触れるべき。

 

P.29 右欄 ●AD-5(A-1G)の項目で、上記AD-5(A-1E)の項目同様、米空軍に移籍され、さらに南ベトナム空軍でも使用されたA-1Gに関して全く記述がない。少なくともAN/APS-31Bレーダーを装備した全天候攻撃機からレーダー関連機器及び後部座席を撤去して昼間攻撃機に転換の上、米空軍仕様のA-1Eに準じて改造を加えたものであることの説明は必須。当然米空軍で使用されたA-1GA-1Eとの差異についても一切説明されていない。

 

P.30 中欄 ●AD-5Qの「AD-5Nとの外観上の相違」に関してAN/APQ-33アンテナフェアリングの追加は述べられているが、そのために胴下のスピードブレーキが撤去され、全くスピードブレーキを持たない機体となったことに触れられていない。また、実際にAN./APQ-33を装備した機体はほとんどなく、ほぼ全機がその位置に2基目のAN./APA-69 ECM D./Fアンテナのフェアリングを増設していたことも説明すべき。

AD-5Q/EA-1Fの「武装は全廃されたという説もあるが、パスファインダー任務用に20mm機関砲x2を残した機体もあった。」とあるが、平時(冷戦を含む)は重量軽減のため20mm機関砲は全く装備せず、後述するように、ベトナム戦争初期に全天候戦闘機として使用した際に20mm機関砲を復活した実例がある。

 

P.31 左欄 ●AD-5Wの説明で「捜索レーダーAN/APS-20Bを初めとして電子装備はAD-4Wとほぼ変わらないが」とあるがウソ。先述の通りAD-4Wの装備レーダーはAN/APS-20AもしくはAN/APS-20CAN/APS-20Bではない。設計当初AD-5WAN/APS-20Bの搭載計画はあったが、実際には探知能力が飛躍的に向上したAN/APS-20Eが搭載された。従ってレドーム内のアンテナもAS-407に換装されている。

 

P.31 左欄 ●AD-5Wの説明で「ナビゲーター兼ECMオペレーターとの連携がとりやすくなった。」とあるがウソAD-5W(EA-1E)にはECM機材は一切搭載しておらず、ECMオペレーターの任務も配員もない。AD-5Wによらず多座機の解説には、各乗員の任務と搭載機材の分担を把握した上で執筆しなければならないが、全くその形跡がない。パイロットの右席の乗員はオブザーバー呼ばれ、後部のレーダーオペレーターと同様IP-203/APS-20Bレーダー指示装置があり、HF通信、IFFの操作を担当し、AN.APS-20Eレーダーの操作も分担する。

 

P.31 左欄 ●「AD-5W1955年にVC-11, -12(56VAW-11-12となる)への配属が開始され、同年後半に空母への分遣隊派遣が始められた。」とあるがウソAD-5Wの配属は195411月にVC-12に開始され、195412月にはVC-11にも配属が開始されている。また、空母への分遣隊派遣は1955年前半の3月にはVC-12DET.39が空母タイコンデロガ(CVA-14)に搭載されて開始された。

 

AD-5W(EA-1E)の項目で、米海軍から退役し、米空軍に移籍され、米空軍仕様のA-1Eに準じて改造されたA-1E-5についての記述が全くない。AD-5W時代に外された胴下のスピードブレーキを再装備しなかったこと、副操縦装置を装備しなかったこと等、米空軍仕様のA-1Eとの差異も説明すべき。

 

P.31 中欄から右欄 ●AD-6(A-1H)AD-7(A-1J)の項目で最後の米海軍攻撃型スカイレイダー使用部隊、VA-25VA-152A-1H/Jがヤンキーエクストラクションシートを装備したが、その説明もなく、P.88上にヤンキーエクストラクションシートを備えたVA-25A-1HもしくはA-1Jの良く判る写真がありながら、読者の視線をそこに誘導できていないのは非常に残念。

 

P.31 中欄から右欄 ●AD-6(A-1H)AD-7(A-1J)の項目で米空軍に移籍され、さらに南ベトナム空軍でも使用されたA-1H/Jに関して全く記述がない。米空軍が陸上機としての使用するための仕様変更・改造(例えば、尾輪をソリッドタイアからバルーンタイアに換装、着陸灯の新設、地上部隊との交信のための通信装置増備、後にはヤンキーエクストラクションシートの装備等)、またその当時になって出現し、装備された兵装等についても触れるべき。

 

P.40 上 ●AD-4NAの説明で「通常のAD-4と同等の機体」とあるがウソAD-43枚のスピードブレーキを装備し、急降下爆撃が行えるが、AD-4NAはスピードブレーキを一切装備していないので、急降下爆撃機としては運用できない。97艦攻は99艦爆と同等ではないのと同じ。

 

P.41 上 ●「AD-4Qは・・・AD-3Qとは任務、装備とも同じで、外見上の差異も・・・Bu.No.を見ないと識別は難しい」とあるがウソ。レーダー装備がAD-3QAN/APS-4AD-4QAN/APS-19なので、左内翼下面のレーダーポッドの形状を見れば一目で識別できる。

 

P.44上 ●「ベトナム戦争初期電子戦機が不足した時期に、EA-1E, A-1Gの様排気のシャーシー、パーツを組み合わせて少なくとも3機のEA-1Fが作られたという説があるが」とあるが、EA-1EからEA-1Fに改造されたのは6(132790, 133758, 133770, 135140, 135161, 135188) A-1EからEA-1Fに改造されたのは1(132683)A-1GからEA-1Fに改造されたのが1(132606)で、当初の54機に加えて少なくとも8機がAD-5Q/EA-1Fに改造された。

 

P.55中欄 ●AN/APS-4に関する説明で、AD-1のみに触れられているが、スカイレイダー系列の中でAN/APS-4を装備したのはXBT2D-1, XBT2D-1P, XBT2D-1N, XBT2D-1Q, AD-1, AD-1Q, XAD-2, AD-2, AD-2Q, AD-2QU, AD-3, AD-3Q12機種(約628機)にのぼる。

 

P.55右欄 ●AN/APS-19を装備した機種としてAD-4N, AD-5, AD-6が例示されているが、スカイレイダー系列で最初にAN/APS-19を装備したのはAD-3Nで、その派生型AD-3Sもこれを装備。

 AD-4NAN/APS-19を装備したのは最初の29機だけで、続く278機中100機はレーダーを装備しないAD-4NAとして完成したため、AD-4NLを含む178機がAN/APS-31を装備して完成した。AD-4系列ではAD-4B, AD-4QAN/APS-19を装備。

 AD-3N, -3S, -4N, -4NL, -4B, -4Q, -5は左内翼下面のMk.51爆弾架にAN/APS-19レーダーポッドを装着したが、AD-5Mk.51爆弾架を空けて増槽、兵装を搭載するためにAD/SC-543で左外翼下面の外から4番目のAero14DまたはAero14E爆弾架にアダプターを介して装着するよう配線が改められた。

 なお、AD-54機に1機の割合でAN/APS-19を装備機が生産された。

 また、713機生産されたAD-6AN/APS-19を装備できたのは、わずか最初の172機のみ。残る541機はAN/APS-19を一切搭載しなかった。

 AN/APS-19はペンシルビームで空対空索敵に適し、例示の通り多くに夜間戦闘機に搭載されたが、AN/APS-19を装備したAD-4N194910月〜19507月に、AD-519557月〜11月に全天候迎撃任務を帯びた太平洋艦隊のVC-3に配属され、F4U-5N/-5NLとともに使用された実績がある。同様に19556月〜19588月大西洋艦隊のVC-4(19567月にVF(AW)-4に改編)25機程度のAN/APS-19装備のAD-5が配属され、F4U-5N/-5NLコルセアーの後継機として対潜支援空母の全天候迎撃戦闘機として分遣隊配備された経緯も述べる必要がある。なおVC-4/VF(AW)-4では全天候迎撃戦闘と兼ねて他の対潜機が海上にマーカーで示した潜水艦潜没位置にMk.90対潜核爆弾(重量2,495lb)を投下する対潜核攻撃機としてもAD-5を使用した。

 更にベトナム戦争初期、北ベトナムからの低速機による南ベトナム空襲に備えて米空軍のF-102AデルタダガーとともにVAW-13所属のEA-1F20mm機関砲を取り付けVAW-13DET.Sを編成し、19657月〜10月ダナンに展開して全天候防空任務に当たったが、本来搭載していたAN/APS-31Bはファンビームのため空対空索敵には不適で、別途左外翼下面にAN/APS-19ポッドを追加装備して全天候下の空対空戦闘能力を備えたことも説明すべき。

 

P.56左欄 ●「AD-3E, -3S, -4N, -5は対潜哨戒や対地攻撃用に舷側内翼ステーションにAN/APS-31Bを搭載した。」とあるがウソ。後述の通りAD-3Wを改造した対潜戦ハンターであるAD-3Eの装備レーダーはAN/APS-20Aであり、AN/APS-31を装備したことは全くない。

 これも後述の通り2機がAD-3Nから改造された対潜戦キラーであるAD-3Sのうち、AN/APS-31Bを装備したのは1機のみで、他の1機はAN/APS-19Aを装備

 先述の通りAD-4NAN/APS-31Bを装備したのはAD-4NLを含む後期生産型の187機のみ。これも先述の通りAD-5の装備レーダーはAN/APS-19CAN/APS-31Bを搭載したものはない。

 まとめて述べれば、AN/AOPS-31Bを装備したのはAD-3S 1機のみ)、AD-4N後期生産型、AD-4NL, AD-5N,(A-1G)AD-5Q(EA-1F)

 

P.56左欄 ●「AN/APS-31Bはウエスチングハウス社が製造しPBM-3P5M飛行艇, P2V-5哨戒機にも搭載されたXバンドレーダーで、ポッドに収納するため小型化したアンテナを左右150°スキャンした」とあるがウソPBM-3及びその派生型は194612月に全機退役しており、その後開発されたAN/APS-31Bを搭載する機会はなかった。P5M飛行艇ではPBM-5改造の試作型のXP5M-1(98616)が、AN/APS-31をそのまま流用装備していただけで生産機は全く搭載した記録はなく、P5M-1AN/APS-44P5M-2が当初AN/APS-44後にAN/APS-80を搭載していた。

 AN/APS-31, AN/APS-31A, AN/APS-31C用のアンテナAS-287/APS-31, AS-287B/APS-31, AS-287C/APS-31, AS-628/APS-31Cのサイズは23-1/2in(D) x 22-1/8in (W)x 24-7/16in(H) であるのに対し、AN/APS-31B用のAS-553/APS-31B28in(D) x 24in(W) x 32in(H)と逆に大型化しており、説明は事実と真逆である。

 

P.56 P.56P.57にかけて延々とAN/APS-20を搭載したTBM-3Wアヴェンジャーの説明がなされているが、AN/ARW-35AN/ARC-18もスカイレイダーには一切搭載されておらず、ここで扱うのは蛇足。

AN/APX-13はスカイレイダーの実用機ではAD-3WAD-4Wに搭載された初期のインテロゲーターで、探知した目標のIFFに対して誰何するもの、AD-5WではこれがAN/APX-7に換装されているが、その機能とスカイレイダー史における位置づけがなされていない。

 補足するなら、AD-3WIFFトランスポンダーがAN/APX-1AMであったが、AD-4W以降はAN/APX-6に換装されている。

●艦艇側のシステムも紹介されているが、AD-4W以降はAN/APA-57Cを搭載し、AN/APS-20と組み合わせることにより機上のレーダースコープも機首方位と関係なく常に北が上になって表示できるようになった説明が欠落している。

●「1949年にAD-3Wとして33機がAEW機として改造され」とあるがウソAD-3Wは当初からAD-3WとしてAN/APS-20Aを装備し、AEW機として生産された。派生型と改造機を混同してはならない。

●「最大出力が2MWまで増加されたAN/APS-20Eを搭載したAD-4W158機生産された」とあるが、ウソAD-4Wの最初の52機(Bu.No.124076-124127)はAN/APS-20Aを装備し、残る106機はAN/APS-20Bを装備して完成した。

AN/APS-20A, AN/APS-20Bはいずれも最大出力は1MWで、AD-4WAN/APS-20Eを搭載した機体は存在しない。出力2MWAN/APS-20Eを搭載したのはAD-5W

●「機内のレーダーオペレーター席には3つのスコープがあり・・・」とTBM-3Wに搭載された初期のAN/APS-20ID-128/APS-20レーダー指示装置に関する説明があるが、これはAD-3Wに搭載されたAN/APS-20AID-128A/APS-20もしくはIE-128B/APS-20AD-4Wに搭載されたAN/APS-20CID-128B/APS-20にも該当するもので、AD-5Wに搭載されたAN/APS-20E用のIP-203A/APS-20B レーダー指示装置(スコープは1つだけ)には通用しない。P.55にはAD-5Wレーダー操作員席と電子機器配置図が、P.56にはAD-5W機内配置図をせっかく掲載しながら、AEW型としては最大機数の218機が生産され、就役期間も圧倒的に長かったAD-5W(EA-1E)について、触れていないのは不思議。本文中にその搭載レーダーAN/APS-20Eの操作員の配置と役割、AN/APS-20EAN/APS-20AAN/APS-20Cとの出力以外の差異(例えばパルス繰り返し幅を300ppsから600ppsに上げることで、探知距離50nm以内の精密な捜索が可能となり、シュノーケルやペリスコープの探知が容易になった事など)について全く説明がなされていない。

 

P.58下写真のキャプション ●「AD-4の操縦席メインパネル。右上にはAN/APS-4のレーダースコープが装備されている」とあるがウソ。これはAN/APS-19ID-158A/APS-19レーダースコープ。AN/APS-4を装備したAD-4は存在せず、XBT2D-1AD-3系列に装備されたAN/APS-4ID-11/APS-4スコープは画面が長方形のBスコープであった。

 

P.58 左欄 ●「1機で捜索と攻撃が行えるようにAD-3Wのレーダーフェアリングを外し、AN/APS-31海上哨戒用ASV(Airborne Surface Vessel, Radar for Maritime Patrol Aircraft) レーダーポッドを搭載、AD-3Eハンター機として試験した」というのは真っ赤なウソAD-3Sキラーとペアを組むAD-3E2機ともAD-3Wの改造型で搭載レーダーはAN/APS-20Aのまま。

2機がAN/APS-19Aを装備するAD-3Nから改造されたAD-3Sキラーの内1(Bu.No.122911)が左内翼下面に装備していたAN/APS-19を廃し、後のAD-4N後期生産型同様に右内翼下面にAN/APS-31ポッドを装着した話と混同している。原典を精読し、事情をよく理解してから執筆してもらいたい。

 

P.58 右欄 ●「しかし、潜航時間が長くなった新しい潜水艦の探知には」とあるがウソ。当時の対潜戦の対象となる潜水艦は旧ドイツ海軍のXXI型水中高速潜水艦の技術を基に開発されたソ連のWhisky, Romeo, Zulu, Foxtrot級等で、従来型と比較して潜航速度の向上したこととシュノーケルの装備によるシュノーケル潜航で目視、レーダーでの探知が相対的に困難になったことに苦慮したのであって、潜航時間が長くなったわけではない。

 

P.58 右欄 ●AD-1Qの説明で、「右舷翼の下にAN/APS-4レーダーポッド、左舷側翼の下にMX-346/Aチャフディスペンサーポッドを搭載し」とあるがウソAD-1Q, AD-2Q, AD-3QAN/APS-4レーダーポッドを左内翼下のMk.51爆弾架に装着する。(右内翼下のMk.51爆弾架にはAN/APS-4レーダーポッドのための配線はない。

 従ってチャフディスペンサーポッドは右内翼下のMk.51爆弾架に装着するが、MX-346/Aではなく、正しくはMX-356/Aチャフディスペンサーポッド。

 

P.58 右欄 ●AD-2Qの説明で、「AD-2QAN/APA-11レーダー波の方向探知機、ECM妨害装置用として複数のアンテナが後部胴体に追加された。」とあるが意味不明。

 記事にある通りAN/APA-11はパルスアナライザーで方向探知機ではないし、方向探知機と直結して使うものでもない。またECM妨害装置と直結して使うものでもない。

 そもそもAD-2QECMの方向探知機は装備せずに完成した。後にECM受信装置AN/APR-1AN/APR-9に換装し、その際にAN/APR-9と連動するECM方向探知機AN/APA-69を搭載し、そのアンテナ(AS-776/APA-69)を胴下(スピードブレーキの前方)に装備し、後部胴体には新たに装備したAN/ALR-3用のソードアンテナ(AT-820/ALR-3, AT-822/ALR-3)を装着した機体を米海兵隊がAD-5Nと交替するまで使用した実績がある。

 

P.58 右欄 ●AD-3QAD-4QAD-5Q(EA-1F)の説明で「ECMオペレーターが同乗しているので、爆撃用にMk.3 Mod.3爆撃照準器を搭載し、トス爆撃用のAN/ASG-10計算機も搭載していた。」とあるがウソAD-3QMk.1 Mod.2 Bomb DirectorAN/ASG-10Aを組み合わせて装備、AD-4QMk.3 Mod.3もしくはMk.3 Mod.4 Bomb Directorのみ、AD-5Q(EA-1F)Mk.3 Mod.5 Bomb Directorを装備可能だったが、実際には搭載されなかった。これらの機器の操作・投弾は単座型を含めてすべてパイロットの仕事でECMオペレーターが手を出すことはない。従って「ECMオペレーターが同乗しているので」という理由な全く意味を成さない。

 

P.59左欄 ●「AD-5ASWではなく攻撃機として生産され・・・」とあるがウソ。スカイレイダーの系列で対潜核爆弾Mk.90 (2,495lb)を搭載できたのはAD-5, AD-5N, AD-6, AD-7で、AD-5は立派なASW機、対潜核攻撃機であった。上に述べた通り、VC-4/VF(AW)-4に所属するAD-51956年〜1958年に大西洋艦隊の各対潜支援空母に分遣隊で搭載され、全天候迎撃任務とともに、対潜核爆弾投下の任務を帯びていた。

 

P.59 左欄 ●「トス爆撃用AN/ASG-10は通常爆弾だけでなく魚雷やロケット弾でも使用可能で、AD-2から追加装備された。」とあるがウソAN/ASG-10Bomb Director Mk.1 Mod.2とともにAD-1 及びAD-1Qから装備されていた。

 

P.59 中欄 ●「AD-4からはP-1オートパイロット、耐Gスーツ用の配管が操縦席に付けられているので、」とあるがウソP-1オートパイロットを最初に搭載したのは上述の通りAD-3NAD-3WAD-4を起点とするのは間違い。

 耐Gスーツ用の配管を最初に装備して完成したのはAD-4B(Bu.No.132333以降)で、AD-4, AD-4L, AD-4QにはASC299もしくはASC277で後日装備された。AD-4Lは主翼・尾翼の前縁の防氷用ラバーブーツと圧搾空気を共用するので、スイッチの切り替えでいずれかのモードで使用した。またAD-4N, -4Wには耐Gスーツ用の配管は一切されなかった。以後-5, -5N, -6, -7にも耐Gスーツ用の配管が施されたが、多座機であるAD-5, -5Nの配管はパイロットのみで、高G運動を継続的に行うと、パイロット以外の乗員はグレーアウト〜ブラックアウトする可能性があった。早期警戒型のAD-5Wには全く耐Gスーツ用配管はなく、AD-5Qも配管の用意がされているだけで、実際に使用することはなかった。

 

P.59 中欄 ●「AD-4BAN/ASG-10とともにLABS(Low Altitude Bombing System)用タイマーが取り付けられた。」とあるがウソAN/ASG-10を装備したのはAD-1, AD-1Q, AD-2, AD-2Q, AD-3, AD-3Nまでで、AD-4, AD-4B, AD-4L, AD-4Q, AD-4N, AD-4NA, AD-4NLにはAN/ASG-10に代えてMk.3. Mod.3又はMk.3 Mod.4 Bomb Directorを装備した。従ってAN/ASG-10を装備したAD-4Bは存在しない。Mk.3 Mod.3/4 BDにはロフト爆撃の機能はなく、AN/ASG-10と同様にトス爆撃が主な爆撃モードであった。従ってスカイレイダー系列で最初に核爆弾を搭載できたAD-4Bも当初はMk.3 Mod.4を装備し、トス爆撃で核兵器を投下した。ことに地下の潜水艦ブンカー攻撃を目的とした徹甲核爆弾であるMk.8の投下には爆撃精度が要求されたため、急降下あるいは緩降下でのトス爆撃が有効であった。Mk.7核爆弾の投下では低空侵入による目標目視確認と空中核爆発に必要な爆発高度を両立させるため、Mk.3 Mod.4を用いてO/S (Over the Shoulder/肩越し)爆撃で実施できた。
 つまり、目標上空を低空で通過と同時に4.5Gで引上げ、垂直上昇をやや超えたあたりで自動投弾し、機体はそのままキューバンエイトで侵入方向に脱出し、ほぼ垂直に投げ上げられた爆弾は頂点を経て目標上空の所定の高度まで落下して空中爆発するもの。
 従ってタイマーは必要なく、この段階では装備されていなかった。その後Mk.3 Mod.0タイマーを内蔵したMk.3 Mod.5 Bomb Directorが開発され、AD/SC-548AD-4Bにも装備、初めてロフト爆撃が可能となった。すなわち、目標の手前にIPを設定し、目標・IP間の距離を速度で割って所要秒時を算出、これをタイマーにセットしておき、IPを予め設定された速度・方向で通過と同時にタイマーを発動、カウントダウン・ゼロで4.0Gの引き起こしを開始すれば、MK.3 Mod.5 BD45度前後の上昇角に到達した時点で自動的に核爆弾を投弾、核爆弾は放物線を描いて前方に最大距離を飛翔した後空中爆発、投下機はウイングオーバーで爆心地に尻を向けて離脱することで、爆心地とのセパレーションを大きくとれるようになり、より弾頭威力の大きな核爆弾を運用できるようになった。

Bomb Directorに関してはこの項目を除いて執筆する箇所がないが、全く触れられていない。核装備可能なAD-5, AD-5N及び前期生産型AD-6は当初Mk.3 Mod.4 BDを装備して完成したためロフト爆撃はできなかったが、後AD/SC-461Mk.3 Mod.5に換装、後期生産型のAD-6は当初からMk.3 Mod.5を装備して完成した。その後これらの機体はAD/SC-639Mk.3 Mod.5Aero 18Aに、AD/SC-656Aero 18Cに換装、AD-7は全機Aero 18Cを装備して完成した。

 

P.59 中欄 ●「1950年代半ばまでにスカイレイダーで編成された攻撃部隊に少数ずつのAD-4Bが装備され、空母上で運用できる核兵器能力が付与された。」とあるがウソ

 19522月、最初にAD-4Bを装備した実戦部隊は全天候攻撃を任務とするVC-33(大西洋艦隊)VC-35(太平洋艦隊)で、分遣隊をAD-4Bを含めた混成で編成して各空母に核攻撃能力を付与したが、それから1年にも満たない19531月にはVA-45が装備機全機をAD-4Bに統一し、19534月からは西太平洋に展開、6月以降朝鮮戦争に(通常兵器を用いて)参戦した。当然のことながら母艦のCVA-39 (USS LAKE CHAMPLAIN)の艦内弾薬庫にはMk.7及びMk.8核爆弾が搭載されていたと考えられる。VC-33VC-35ともにAD-4B分遣隊体制は1953年には終えており、以後1956年ごろまでAD-4NAAD-4B混成のVA部隊も存在したが、195310月には核装備可能なAD-6のみで編成されたVA部隊も続々と出現した。むしろ特筆すべきは、19528月から厚木基地に展開したVC-35DET.W8機のAD-4Bで構成され、西太平洋に展開し、朝鮮戦争に投入され、通常兵装で参戦していた各空母に対し、「有事」の際は直ちに着艦して核爆弾を搭載・出撃できる体制にあったこと、また前線のVC-35分遣隊から輪番で乗員を受け入れ、模擬核爆弾を装備して厚木基地から水戸の射爆場に向かい核爆弾投下訓練を実施していた事実だろう。

 

P.59 中欄 ●「1960年代には単座型のA-1H, Jも核兵器が運用可能で、Mk..43(2,125lb)Mk..57(500lb)Mk..101が搭載できたが、Mk.101は対潜水艦攻撃用の水中爆発用核爆弾だった。」とあるが、不適切で説明不足。

 19536月に初飛行したAD-6(A-1H)19568月から部隊配属が開始されたAD-7(A-1J)も生産当初からMk.7及びMk.8核爆弾及びMk.1BOAR核ロケット弾を装備してTOSSあるいはLOFT核攻撃が可能で、1958年にはMk.105核爆弾を搭載してレイダウン核攻撃が可能となった。Mk.101核爆雷の艦隊配備は1958年、Mk.57核爆弾の艦隊配備は1963年で、Mk.57は水圧調定信管を装着して核爆雷としても使用可能となり、Mk.101の後継兵器となったと説明すべき。1961年から艦隊に配備されたMk.43は弾頭威力1MTの熱核爆弾(水爆)として知られているが、これを海面最大速度260ktA-1H/Jから時限信管付きレイダウン爆撃で投下しても投下機の自滅は明白。実際に搭載運用したのは弾頭威力わずか70KTB43Y4のみであったことも説明すべき。

 さらに説明すべきは1950年代半ば以降、1964年にベトナム戦争に本格介入するまで、空母による各種の核攻撃法の中でも成功率の高いAD-6/7(A-1H/J)による低高度侵攻・低高度核攻撃態勢が維持されていたことは、1950年代後半核装備したAD-5Nによる全天候下の低高度侵攻・低高度核攻撃態勢が維持されていたことと合わせて説明すべきスカイレイダーの重要な役割。胴下に核兵器を、内翼下面に容量300Gal増槽2本を搭載し、敵の早期警戒レーダの履域をかいくぐり、グラウンドクラッターに身を隠し、VFR状態で谷筋を縫って目標に忍び寄って核攻撃を加える、いわゆるLO-LO-LOミッションプロファイルで、航続時間は11時間に及んだと言われる。この攻撃能力は地形回避レーダを装備しIFRで実施できるA-6Aの就役でようやく引き継がれた。

これが顕在化したのは「あわや第三次世界大戦勃発か」と思われた196210月のキューバ危機で、西太平洋に展開した空母CVA-31搭載のVA-196CVA-34搭載のVA-165CVA-63搭載のVA-115所属のA-1H/Jのうち8機が、地中海に展開した空母CVA-59搭載のVA-85CVA-42搭載のVA-15所属のA-1Hのうち4機が核装備して飛行甲板上でアラート態勢にあったが、これらの機体は速度と航続距離を稼ぐため、装甲板、外翼の20mm機関砲、外翼下面のAero14爆弾架の一部を取外した核攻撃ミッション専用のいでたちであった。(その形態はP.45下のA-1Jの写真に示されている。)

 

P.59 中欄 ●「パイロット席にはMk.1 Mod.3/4光学照準器が取り付けられ機関砲、ロケット弾攻撃時に使用される。」とあるが、その光学照準器はスカイレイダーの主要攻撃兵装である爆撃照準にも使用されたことが一言も書かれていない。

Mk.1 Mod.3/4光学照準器はAD-1からAD-4, AD-4N, AD-4Qまで使用されたが、AD-4BAD-6初期生産型ではMk.8 Mod.12に換装、更にAD-5AD-6後期生産型はMk.20 Mod.4を装備したという一連の流れが一切説明されておらず、あたかもスカイレイダー系列を一貫してMk.1 Mod.3/4が使用されたかのような誤解を与える記述である。

 

P.59右欄 ●「機体のバージョンアップとともにエンジンもパワーアップしているが」とあるがウソ。たしかにAD-1/-1QからAD-2/-2QへのバージョンアップについてはR-3350-24W(軍用出力2,500hp)からR-3350-26W(軍用出力2,700hp)へのパワーアップはあったものの、先述の通り、AD-2に続くAD-3,-4, -5, -6, -7の系列は派生型を含めていずれも軍用出力2,700hpのままで、一切パワーアップはなかった。

 

P.59右欄 ●「胴体下のセンターラインステーションは3,600lb、主脚外側の内翼ステーションには3,000lb、主翼下の左右合計12か所のステーションにはそれぞれ500lbまでの兵装を装着可能。」とあるがウソAD-1からAD-4に至るまでは胴下と内翼下面は2,300lb、外翼下面は250lb12発あるいは500lb4発が最大限度。

 AD-4B, AD-5, AD-5Nに至って胴下の容量が3,500lbまで強化されたが内翼下面は2,300lbのままであった。

 ここで説明すべきは、センターラインステーションはBomb Ejector Cartridge Mk.1を用いて爆弾等を射出することによって、スカイレイダーが後継機となった急降下爆撃機SBDスカイレイダーやSB2Cヘルダイバーの必需品ディスプレイスメントアームを不要としたこと。スピードブレーキで降下速度が制限された状態で、切り離された爆弾が重力加速度で加速してプロペラ回転面を突き破らないようにするには従来はディスプレイスメントアームを用いる必要性があったが、スカイレイダーではカートリッジを用いて爆弾等をプロペラ回転面下に射出・突き放すことで、デッドウェイトとなるディスプレイスメントアームを省略して軽量化するとともに、最大85°の急降下爆撃が可能とした。

 

P.59右欄 ●「19535月、VA-301AD-4Bは」とあるがウソ。当時VA-301なる部隊は存在しなかった。AD-4Bがこの搭載量で飛行した記録について古来VA-301という「伝説」が各種の出版物に引用されてきたが、根拠は不明。1953531日の時点でAD-4Bが配属されていた部隊は24個あるが、VA-301なる部隊は存在しない。おそらくADの訓練部隊であるATU-301の間違いと思われるが、1953531日の時点の装備機はAD-1(60)TBM-3E(2)SNJ-42機)でAD-4Bを運用した形跡はない。

 

P.60左欄 ●「また機関砲の薬莢排出口があるステーション58は、兵装を先に使用しないと機関砲の発射はできなかった。」とあるがウソ

この制限があるのは外翼の20mm機関砲のみで、4門を装備したAD-4及びAD-4NL以後の機体及び後日改造で4門に増備した機体のみに適応されるもの。しかし外翼下面に兵装を装着したままでも内翼の2門の20mm機関砲を無制限に使用できるので、外翼機関砲のサーキットブレーカーを引き抜くか、外翼機関砲のGUN SWITCHOFFに切り替えれば射撃は可能。

 

P.6061左欄 ●ロケット弾の説明で、実戦には用いない2.25in、ベトナム戦争で多用された2.75in マイティマウス、朝鮮戦争でごく少数が使用された11.75inタイニーティムについては説明があるが、朝鮮戦争での主役ロケット弾であったMk.6弾頭付5in HVAR 6.5in RAM (6.5in ATAR弾頭付5inロケット弾)、ベトナム戦争で正確な弾道と弾頭威力で活躍した5in ZUNI FFARに関する説明が一言もない。片手落ちと言うか本末転倒と言うか、執筆のバランスが悪いと言うか・・・。

 

P.61左欄 ●「対地攻撃」の項目で、「誘導兵器としてはAGM-12A/Bブルパップ対地ミサイルの運用が可能だったが、」とあるが、外翼下面に左右各2基、計4基のAero 5A専用パイロン・ランチャーを介してAGM-12A/Bを搭載・運用できたのはAD-6(A-1H)6(139791, 139792, 139818, 139819, 139820, 139821)に過ぎず、その状態で艦隊に配備されたことも、実戦で使用されたことも無かった。本来AGM-12A/BP-3A/Bオライオン(AFC117)や、S-2E/Gトラッカー(AFC491)がこれを装備したように水上艦艇あるいは浮上潜水艦攻撃目的で開発されたもので、地上攻撃にも転用されたもの。断りなく「対地攻撃」の項目に押し込んで説明するのは乱暴すぎる。

 

P.61左欄 ●「誘導機はAD-4Nに無線誘導装置とテレビ受信装置が搭載されたAD-4Dが・・・」とあるがウソ

この時の誘導機はAD-2Qに無線誘導装置とテレビ受信装置を搭載したもので、通称としてAD-2Dとする資料もあるが、AD-4Dという呼称は全く存在しない。

 

P.61中欄 ●「BLU-72/-76燃料気化爆弾がある。ナパーム弾と同じように爆薬として揮発性の液体を使用する。」とあるがウソ

ナパーム弾は油脂焼夷弾で、弾体に込められているのは揮発性の液体(ナフサ・ガソリン等に増粘剤としてヤシ油等を加えたもの)は爆薬ではなく、燃焼剤で、それ自体は爆発せず、着発信管を用いて飛散する燃焼剤に着火し、周辺の空気から酸素を取り込みながら高温で燃焼剤が燃え尽きるまで燃焼を続ける。一方FAEであるBLU-72には液化プロパン(家庭用のプロパンガスと同じ)が、BLU-76にはエチレンオキサイド(手術用具の消毒に用いる有毒物質)が込められており、近接信管で内容物を飛散させ、空気と混合しエアロゾル化した段階で遅発信管を作動させ瞬時に大爆発させ、主として一瞬の衝撃波で破壊するもの。

 

P.61右欄 ●「BBLU-24/Bジャングル・ボムレット」とあるのはBLU-24/Bのタイプミス。(編集段階で校正してもらいたいもの。)

 

P.61右欄 ●「ベトナム戦中・・・・」とベトナム戦争における出撃回数、参加人員、被弾機数、被撃墜機数等が示されているが、スカイレイダーが重要な役割を果たした朝鮮戦争のデータが示されていない。なぜここでベトナム戦争のデータのみを示し、朝鮮戦争を無視したのか論拠がわからない。そもそも「ウェポンシステム」を分担している執筆者が触れるべき内容かどうか疑問。

 

P.70 上 ●「胴体中央に懸吊された搭載物は十文字のマーキングが紛らわしいが、2,000lb爆弾のようである。」とあるが、これはMk.34 対潜ホーミング魚雷で、その他の外部装備ともども典型的な対潜哨戒のいでたち。

 

P.70 下 ●「直甲板型の空母にはありがちなミシャップであり、」とあるがミシャップって何?mis + happenを語源とするmishap(災難・事故)のことだろうが、正しい発音をカタカナ表記すればミスハップ。言語学で言う語形成の観点から説明すると、ミスは接頭辞で語幹のハップの方にアクセントが来るので、ミシャップという発音にはならない。

 

P.79中 ●「602FS(C)はビエンホアからニャトラン、・・・」とあるがニャトランではなく、正しい地名はニャチャン。

 

P.79下 ●「6SOS 19682月にニャトラン(後にプレイク)に派遣された・・・」とあるが、ニャトランではなく正しい地名はニャチャン。(P.91等で正しくニャチャンと表記されているのに、原稿が集まった段階で編集部が修正し、表記統一を図るべき問題)


 以上の通り、執筆者は各型の寸法・仕様・電子装備・兵装(各種弾薬類、照準器、Bomb Director、爆弾架、核兵器コントロールモニター等を含む)の一覧表を精緻に作成し、それを根拠に各型の相違や、時系列的変化を運用の実態を踏まえて執筆すれば、これらの多くのウソは完全に防止できたはずである。

 多くの情報があふれかえっている現状で、各情報の信ぴょう性を吟味しながらこれらの一覧表を作成するには多大な時間と労力を必要とするが、その作業を通じて執筆者は読者に伝えるべき内容を整理することができる。編集者はそれらに十分な時間を与えなければ、本誌のように「ちょっと調べりゃすぐバレるウソで固めたとりとめもないたわごと集」を出版しなければならなくなる。

 執筆者は、読者に今の時点でこのテーマで、世の中には入手可能な情報がふんだんに存在し、それらをいかに上手に整理し、ある機種の一生(現用機では半生)をバランスよく、章立てを明確にしながら解説し、その中に本誌ならではの新事実・新発見をちりばめて読者の好奇心を満たす必要がある。

 テーマ(取り上げる機種)については納品1年前ぐらい前に執筆者に依頼しなければ、スカイレイダーのような多岐多様にわたる機種を洗練され、かつ限られた(つまり読者を飽きさせない)サイズに原稿を纏めることは不可能だと考える。深く反省してもらいたい。

 

佐伯から : 以上、山内秀樹さんの記述を私が更に推敲を加えることは不可能でありますので、そのままを発表しました。正しいかどうかの判断は、閲覧の皆様に委ねます。

 ただ、史上稀に見る多数のウソを公開された形の松崎豊一、海老浩司のご両名と湯澤チーフエディター、反論なり釈明なりあれば、どうぞご見解をお寄せください。

 公平を期すために掲載します。

 沈黙のままでは、信用されざる航空史家・編集者の汚名が残ってしまいます。