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ヒコーキマニア人生録・図書室 掲載07/02/05 09/10/14

  《もの申します》 墜落した旅客機残骸の常時展示について

 

目 次

  2007/02/04  問題提起
2007/02/08  御巣鷹山事故遺族会幹部の非常識
2007/02/15  8.12連絡会事務局長 美谷島邦子女史からの返事
上記の手紙を読んでの感想
2007/03/21  日本航空安全啓発センター見学の感想
2008/07/19  遺品展示や慰霊登山道の災害復旧について
2009/10/14  経営改善なら真っ先に安全啓発センターを廃止せよ
 その意見に賛成する  長野のTさんから
2007/02/04 問題提起 佐伯邦昭の意見 (日替わりメモ027番 )

 御巣鷹山事故で思い出すのは、日航が調査と捜査が済んだ747残骸を廃棄しようとしたら、保存を望む世論が出てきたため、乗員訓練用に展示したということ、そうしたら、今度は全日空が雫石事故の727残骸を展示した(一般には非公開)というニュースが出ました。

 墜落残骸を社員に見せて訓練の一環にするといいますが、そんな自虐的な表示で教育効果があるのでしょうか。いやしくも乗務員はプロフェッショナルの訓練を受け、その最大の目的はお客を安全に運ぶということであり、それを始めから終りまで叩き込まれているはずです。

 たまに操縦桿を握るアマチュアであれば、そのような現物を見ることで暗示効果を生むことが期待できるかもしれませんが、プロフェッショナルに対してそうまでして意識啓発を図らなければならないという日本の航空会社の姿には、かえって不安を感じます。 

 残骸を捨ててしまえというのではなく、科学的技術的な見地からの保存、歴史遺物や鎮魂の意味で残すというのなら反対はしませんけど。                    


2007/02/05 Aさんの意見

 昨日2月4日は、忘れもしないJA8302が東京湾に墜落した日です。当時の花形の最新鋭のジェット旅客機。「夢のジェット機727」と吉永小百合と橋 幸男の歌まであった飛行機でした。

 その残骸は、通称マッカーサーハンガーと言われた羽田空港の北のはずれで海老取川に面した古ぼけた格納庫に実機同様に並べ られました。私も携わりました。事故の悲惨さは戦争と同様にどんどん風化していきます。

 経験者としてどういう伝え方があるか、その一つの方法が実物である残骸を見せることだと思います。日替わりメモ027に「乗員訓練用」と書かれていますが、必ずしも乗員のみでなく事務職も含めた全社員と考えたいと思います。

 事故当時、飛行機の残骸は物として並べていましたので、それほどの思いは無かったのですが、中にひしゃげたバター飴の缶の蓋やショールが出てきてぞっとしたことを思い出します。

 小生も出向先の会社の新入社員訓練で事故の翌日の新聞写真をOHPで写して事故の悲惨さを話したことがあります。

  自動車の免許証の更新時に事故の映画を見せて、安全教育をするのと似ています。


2007/02/05 Bさんの意見

 だいたい事故機の残骸は、事故調査のためには必要ですが、それが終われば処分すべきと考えています。希少価値で歴史的に貴重な遺産物としての展示保存の価値があれば別ですが。

 日替わりメモ027の問題は、御巣鷹山事故に特別の感情を抱く遺族たちの希望が強いために、JALは当事者の弱みもあって社員の安全意識高揚をしていると世間に向かっての安全PRに使ったといえば言い過ぎでしょうか?

 おまけに全日空までが、その尻馬に乗ったのかどうか? 雫石の現地には慰霊碑を建立し、慰霊と同時に安全の徹底を誓っているのですから、その当時、話にも出なかった残骸展示なんて余計なことと思います。これも時代の流れなのでしょうかね。

 プロたちは、どんなに努力しても事故ゼロはあり得ないことを肌で知っています。

 私は、残骸を常時見せて精神的緊張を高めさせるようなことよりも、航空機自体の構造システムと人間の仕事の流れの構造システム、つまり機械はいつでも壊れるし、人間は愚かなミスエラーを犯す動物であるとの前提に立って、その対策なり安全研修のカリキュラムを更新させていくことに力を注ぐべきだと思います。

 太平洋戦争では、科学技術より精神重点主義の軍国日本が、自由精神ながら高度技術を誰もが簡単に使える構造システムを優先させたアメリカに惨敗しましたね。

 しかし、年々技術革新による新しい航空機が作られていますが、まだまだ人間が犯すすべての補完にはなっていません。旅客機の残骸展示などに使うお金や人手があるのなら、もっと有効に働かせてほしいものです。


2007/02/05 AさんとBさんの意見を読んで 佐伯邦昭

 Aさんが言うように、免許証の更新時に事故映像を見せたりするのは相当の心理的効果を生むものと思います。残骸を前にして安全教育を行うのも意味があると思います。

 しかし、旅客輸送を目的とする会社が、多数の犠牲者を出した民間旅客機の残骸を常設公開するという行為は異常です。Bさんが推定しているように一部遺族やマスコミの前に事なかれ主義に陥っているらしい日航と全日空の幹部に憐れみを覚えます。

 1937年に、カーチスホークと衝突して左翼の3分の2を失いながら無事帰還した海軍九六式艦上戦闘機いわゆる樫村機が、新宿の海軍館へ展示公開され、昭和天皇の天覧にもあずかったのは有名な話ですが、これが戦意高揚目的のポジティブな展示であったことは多言を要しません。

 民間旅客機の事故残骸の展示は、それとは正反対です。安全を至上命令として叩きこまれている社内のプロ達は、はじめのうちは残骸を見て気を引き締めるかもしれませんが、そのうち慣れてしまうでしょうし、気の小さいプロは、いい加減にしてくれと 忌々しく思うでしょう。

 また、一般民衆の立場では事故の悲惨な情景を蘇らせ、犠牲者に手を合わせる心境にはなるとしても、それが旅客機あるいは会社に対するプラスイメージにつながるとはとても思えません。

 航空局や事故調査委員会の啓発活動ならともかく、営業会社のそれは逆効果も甚だしいものと私は極論します。

 

 ここからは皮相的な見方です。

 日航が圧力隔壁をメインに展示しているのは、ボーイング社に対するあてつけである。
 
理由 御巣鷹山の事故原因は、当初報道された操縦ミス説は完全に影をひそめ、事故調査委員会はボーイング社による後部圧力隔壁の整備ミス説を採用しました。
 
 全日空がその雫石残骸を展示するのは、航空自衛隊へのあてつけである。
 理由 全日空機の雫石事故については、刑事裁判・民事裁判ともに自衛隊側の過失が大きいと認めました。

 そういう意味での展示ならわかりますが、これとても、やらずもがな、逆効果も甚だしいです。
 
Aさんが経験した東京湾事故ならば、JAL-ANAのスピード競争がもたらした事故の教訓として社内向けの効果がある かもしれません。ANAの社内誌の表題は「安全飛行」です。8

 

 

2007/02/08 御巣鷹山事故遺族会幹部の非常識 佐伯邦昭

● 前段
 朝日新聞は2月5日に10段抜きで「空の安全 事故どう生かす」という記事を発表しました。趣旨は、事故調査委員会の調査と警察捜査の現状と矛盾を明らかにし、どちらかというと刑法優先の日本社会では、事故調の結果が警察の犯罪捜査に提供されるため、パイロットなどが事故調に真実を言わない傾向にあることを警告するものです。

 たまたま、日航が事故を起こしたパイロットの懲戒処分を行わない方針を決めたということもあり、この記事は注目に値します。私は、過去の多くの航空事故で、何年も過ぎてから検察がパイロットや管制官を起訴し、そのまた何年もたってから有罪判決が出ることに、わだかまりを感じていました。明らかな飲酒搭乗や故意による事故は別として、斬罪よりも事故に学んでシステムの改善をはかるという方向がとれないものかという意味においてです。

 朝日の記事を読んで、法曹界が共感してくれたかどうかはわかりませんが、世の動向に多少は敏感になってくれるかもしれません。

 ところが、その中に載った日航ジャンボ機事故の遺族でつくる「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さんの話というのが、希望をぶちこわしてくれました。

● 美谷島邦子女史の話要約
 個人を罰しても仕方ないと最初から考えていたが、安全を軽視した会社の責任は問いたかった。操縦士の集会で、外人パイロットが「刑事責任を問われると調査で証言できない」と話すのが納得できなかった。
 わだかまりが解けた気がしたのは20年目、日航が残存機体の展示を決めた時だ。

 企業が責任を果たし、事故を忘れさせないこと、事故に学ぶことが一番大切。それは刑事責任でなくて事故調査だと本当に思った。

● この話の問題点
 美谷島女史がこの事故で次男を失われた悲しみを持ち続けられ、遺族会の世話を引き受けておられることをどうこういうつもりはありません。

 しかし、「残存機体の展示でわだかまりが解けた」というのは一体なんでしょうか?

 日航の高木社長は事故後すぐに責任をとって辞任したにも拘わらず以後ずっと慰霊の行脚を続け、日航は御巣鷹山現地の慰霊碑建立、毎年の慰霊行事も続き、また、支払った賠償金は600億円にも達しました。それで、遺族の悲しみや痛手が消滅するものではありませんが、自動車事故にしろ、労災事故にしろ、そういう形で決着させていくのが社会のルールというものです。

 日航は、初めての、しかも航空史上例のない民間機大量犠牲事故ということで、あたふたした面があり、それが遺族側に立つマスコミの格好の餌食になって随分叩かれました。遺族の一部からは、まるで時のヒーロー気分なのかと思わせるような苛烈な追及もありました。

 時が過ぎて、20年後の残存機体の展示は、それを引きずっているのでしょうか。何の意味があるのでしょうか。事故調が、後部圧力隔壁を修理したボーイング社のミスと言っているのに、日航がそれを展示したからと言って日航の「安全を軽視した会社の責任」をとったことになるのでしょうか。

(注1 1978年6月当該機が伊丹で尻もち事故を起こした時の修理状況を調べ、耐空検査証を出した航空局検査官は、御巣鷹山事故の群馬県警参考人聴取後に自殺。これも日航に直接責任がない傍証になると思う)

 社会の常識的判断によれば、御巣鷹山事故は決着済みであり、その教訓による安全対策の強化で、似たような事故はすくなくとも日本では起きにくくなったと見るべきです。これ以上、何を望むのでしょう。

(注2 1987/03/31付けサンケイ新聞によれば、ボーイング社は品質管理を日航に学べと社員を日航に派遣し、更に三菱重工などでも研修を予定しているという。) 

 美谷島女史は、「刑事責任でなくて事故調査だと本当に思った」と結んでいますが、調査も捜査も済んだ残骸を、当の航空会社に公開展示させるというのは、刑事的責任に代わる、いや、それ以上の責任をとらせようとしているかのごとくです。

 5日に述べたように、残骸の展示は社内においても一般大衆の立場でも逆効果も甚だしい行為です。バス会社の前に死亡事故の車両を展示していたら、運転手は毎日朗らかな気分でハンドルを握りますか? お客は進んでその会社のバスに乗ろうとしますか?

 美谷島女史だって敬遠するでしょう。
 こういう言行不一致、後ろ向き姿勢の連中がさもインテリ顔で日本の良識を代表しているかのごとく振舞うのはうんざりです。15

(注 ここまでの全文のコピーを美谷島邦子さん宛に送り、朝日新聞社(広島支局経由)と日本航空にもメール送信しました。2007/02/08 佐伯)


2007/02/15 美谷島邦子女史からの返事 (原文のまま転載 黄文字による強調は佐伯) 

佐伯邦昭様

  お便りいただきました。メールでご返事と思いましたが。封書にいたしました。
  わたしの思っていることがどれだけ伝わるか不安があります。でも、佐伯様がわたしの考えを聞きますという文面を拝見し、優しい方なんだなと思い書いています。新聞記事は、コメントの一部のみしか活字になりません。失礼があるかもしれませんが、お読み下さい。

 わたしは、今回日航が、故意や怠慢によるミスを除いて懲戒処分の対象としないことを定めたことに賛成しています。航空機事故のように複合化したシステムによる事故は、原因が特定されない又は、究明に時間がかかります。罰することより、再発防止の対策をいち早く講じミスをあぶりだし共有することが何よりも必要だと思います。
 刑事責任は個人の責任しか問えず、結局現場の人の責任やパイロットの責任追及で終わってしまう。叉、事故調査の段階で真実がなかなか出てこないのは、刑事責任を追及されるのを恐れてしまうからです。この刑事捜査と事故調査の矛盾で、遺族は真実に近づけず悩んできました。
 事故で肉親を亡くしたものにとって知りたいのは、事故の原因です。そして、対策が講じられ再発防止がなされることだと考えています。刑事で誰かを罰するということよりも大切なことは、真実が明らかにされることです。
 事故調査の段階で、刑事事件の資料として現場の人たちの証言が使われるとなると真実は語られません。御巣鷹山の事故もボーイング社の現場で修理ミスを犯した人の証言を得ることは出来ませんでした。
 その事故調査についてですが、日本の事故調は弱体です。NTSBとよく比べられますが、事故調査が徹底的になされることが、本当の再発防止に寄与するとおもいます。
  わたしは、事故を起こした人たちの証言が、何より大切と考えます。刑事罰を科すことより、免責を与えて真実を話してもらい、再発防止策をそこから引き出して欲しいと考えています。
 人間はミスを犯すのです。処罰でミスを防ぐことができるとは考えていません。到底許しがたい行為には処罰は必要です。しかし、航空機事故の場合は、事故原因の特定がしがたい場合が多く、どのシステムによるのかを特定するのに時間がかかります。いち早く対策を講じていくことが再発防止になります。
 企業の社会的責任についてですが、ICAOの中にも飛行機を安全に運行するか否かを決め
るのは経営者とあります。教訓を生かし、忘れず、会社としてJALは、「安全の指導者」となって欲しいと考えます。
 わたしは、広島の原爆資料館で、真っ黒になった三輪車の前で涙が止まりませんでした。
わたしたちは事故を忘れて欲しくない。JALの社員の5割は、事故を知らない人たちです。

 安全啓発センターには行かれましたでしようか?「空の安全」に寄与しているとわたしは、
思いました。補償ということですべては終わりません。
 実は、ANAのほうが、先に保存を決めたんですが、完成したのは、JALのほうが早かった。

 JALは、1987年民営化し、その後20年、御巣鷹の事故だけが原因で低迷しているとは思いません。一人ひとりの社員は、すばらしい、優しい人たちです。御巣鷹山に新入社員も毎年登ってくれています。わたしは、JALにがんばって欲しいと本気で思っています。
 佐伯様のHPは、開いていません。きっと飛行機を心から愛する方と思います。
 わたしの次男も飛行機が大好きでした。9歳で亡くなりましたが、最後の家族旅行のアルバムにたくさんの大空の雲を残していきました。

  同封の本お読みくだされば幸いです。(文集茜雲も毎年出しています。)
  拙い文面でお許し下さい。
                      2007.2.11

                                               美谷島邦子

同封文書
1 旅路 真実を求めて 平成17年8月12日上毛新聞社刊
2 高い安全水準をもった企業としての再生に向けた提言書 平成17年12月日本航空安全アドバイザリーグループ

 

上記の手紙を読んでの感想 佐伯邦昭 日替わりメモ037番 2007/02/15から転記
  大日如来の命を受けて、大自在天という仏様を迎えに行った不動明王が7回も断られたため、どうしましょうかと如来に訴えたところ、殺してしまえと命じられました。不動明王は逆らう大自在天とその妃を両足で踏みつぶしてしまったというお話しが経典に出ています。

 三千世界の根源たる大日如来様が意外なことを言われるものよと思いますが、空海は、それは智慧の足をもって邪悪なる心を断てとおっしゃったのだと解説しています。

 日航御巣鷹山事故8.12連絡会事務局長の美谷島邦子女史から頂いたお手紙と関連書籍を読みながら、私はなんとなく、このエピソードを思い起こしました。

 さて、私自身に社会のあらゆる規範に遵法して日常を送っているか問えば、ノーです。失礼ですが、あなたは道路の法定速度を必ず守ってハンドルを握っていますか?

 いわんや、安全第一といわれる航空業界でも自動車業界でも瞬間湯沸かし器業界でもテレビ制作業界でも、口では安全だの公正だのを唱えながらも、自分の利害や利益の前では平然と法を犯してしまうのが人間の常ではないでしょうか。人は、みな
大日如来にタテをつく大自在天なのです。

 その邪悪なる心が積み重なった時に不動明王が踏みつぶしに来ます。その巻き添えで犠牲になられた方とそのご遺族にはどうか大日如来の無量無辺(一切という意味)の光を充て続けていただきたいと祈るしかありません。

 一方で、大自在天は大いに反省し、悔い改めて安全思想に立ち戻ります。しかし、口先だけの奴もいるし、喉元過ぎればの奴もいます。個人も企業も生き残っていくためのあくなき利益追求の前に邪悪なる心をきれいさっぱりと捨て去ることなどあり得ないと思うのです。

 美谷島邦子女史が、佐伯の極論にきわめて冷静に対応され、事故の真相と安全追及の21年間の歩みを示してくださったことに感謝します。また、私に認識不足の点があったことも正直に認めます。

 しかし、事故に至るまでの日航の幹部や整備担当部署の人間が、こんな重大事故が起きるであろうことを予想して手を抜いていたというなら、それは死刑に値する行為ですが、遺族会の度重なる刑事告発にもかかわらず前橋地検が不起訴処分にした(それが何かの圧力で不当にななされたという証拠があるのなら別ですが)ことで、社会的には一定の結論が出たとしか言いようがありません。

 日航をかばうわけではありません。恐らく、彼らは不動明王の智慧の足で邪悪なる心を踏みつけられて悩んで悩んで立直ってきているはずです。

 航空100年を振り返るならば、まさに事故が発展を促す歴史の繰り返しでした。より高く、より速く、より遠くのスローガンのもとで、メカニカルかつヒューマン安全システムの絶えざる研究開発を望んでやみません。 

 残骸展示に関する両意見についてのご判断は、皆様にまかせます。よろしければ、ご意見を送ってください。

 

 

2007/03/21 《旅行記》 ’07 神奈川・東京遠征記   (19) 日本航空安全啓発センター

 

 天空橋前の羽田整備場地区南端から北へ向かってJ歩くと、目指す第2綜合ビルがあります。1階のビル受付で入館バッジを貰い、2階の日航安全啓発センターへあがります。

 午前10時からの予約客は10人ほど、事前に8.12連絡会事務局長美谷島邦子女子に伝えておきましたが、お見えにはなりませんでした。

 180坪ほどの展示室を説明スタッフに案内されて回ります。所要時間1時間。

 撮影厳禁ですが、写して悪いものは遺品などわずかしかなく、回収された後部圧力隔壁や垂直尾翼などをなぜ写させないのか分りません。残骸には航空鉄道事故調査委員会のラベルが貼ってあり、マジックで記入した記号や番号もそのままになっているのが、何か具合がわるいのでしょうか。

 スチュワーデスらしい美女が説明を聞きながらメモをとっていましたが、横目でちらっと見ると、薄暗い照明の下で何を書いているのか、後で参考になりそうな字ではなかったですな。

 展示をどう見るかは、見物人によって違うと思います。
 興味といっては失礼ですが、私が最も関心を抱いていたのは、後部圧力隔壁の接続不良部分から疲労亀裂が発生し、次第に広がっていったという箇所です。その肝心のところでスタッフの説明がさらっとしたものだったので、「具体的にどこですか」と質問したら、「そこです」とあっさり答えて次の展示品へ行ってしまいました。1人残って本に書いてある周辺部のスプライスプレート(継板)、スティッフナー(芯金)、リベット穴などを確認しようと覗いてみましたが、それらしいかなという程度のことしかわかりませんでした。

 誰のために何の目的で、このような立派な施設を作って残骸を運び入れたのか、少々腹立たしい思いがよぎりましたね。

 事故の全体状況については、部品が散らばっている山の模型をはじめ、どこが千切れて、どこが回収されたとか随分と手間暇かけて図板やビデオを作り、ボイスレコーダーから複製した会話まで流しています。

 しかし、事故の原因という点において、最も強調して説明されるべき大阪事故後のボーイング社修理チームによる欠陥修理のことをさらりとかわしてしまったのでは、日本航空が一番悪かったのですという自虐展示に過ぎないと言わざるを得ません。

 聞くところでは、JALの整備チームが見学すると、この点がよく言われるそうです。当然です。

 ボーイング社修理後の受領検査とその後の6回にわたるCチェック(飛行3千時間ごとの検査)で問題箇所を発見できなかったからと言って、検査員たちが事故の危険性を知っていて故意に手抜きをしたなんてありえません。結果論としてマニュアル以上の注意を払えばよかったというだけのことです。

○ 日航の個々の社員に責任があるか
 美谷島邦子女子は「JALの
一人ひとりの社員は、すばらしい、優しい人たちです。」と書いています。そうです。現場の人たちがやるべきことをしていなかったのかと言えばノーです。その時の教育なりマニュアルに基づいて与えられた職務を果たしていたのです。誰かが手抜きをしたなどいう立証はありません。 

○ 経営者は安全対策を軽視していたのか
 社会の批判は、日航という組織体に向けられます。営業優先で、安全対策をおろそかにする企業風土があったのではないか等々。確かに、末端現場の声が上層部に伝わりにくく、発言しても仕方がないやといった風通しの悪さがあったでしょう。だから、経営者が整備へ金を出し惜しんで故意に対策をおろそかにしていたのかと言えばノーです。
 他社に負けないよう新鋭機を導入し、その関連整備施設一切のお金を調達しようとすれば、経営者の顔はそちらの方に向きっぱなしで、旧来の設備に目が届かなくなってしまうのはどこの会社にもあることです。それが安全意識の希薄につながったというのは学者の結果論であって、まさか予見できる重大事故から目をそむけていたなんてあり得ないことです。

  柳田邦男氏らの日本航空アドバザリーグループが「安全を確保する企業風土の創造」という提言を行っていますが、すべて学者評論家の結果論であって、ボーイング社の責任をほとんど無視し、日航がかくかく変わるべきだということに終始しています。私は、一読して、これは原因究明隠しじゃないかとさえ思いました。

 その中に、残骸その他を展示して安全教育を行えという提言があり、私の見た限りでは安全啓発センターはその提言内容を忠実に実行したものであります。

 見学の後で、JAL執行役員 安全推進本部副本部長 総括安全補佐の小林忍さんと会って、このような私の考えをぶつけてみました。小林さんは、保存公開については、社内で賛否の激論が交わされたけれども、やはり非常に有益なものであることを、慎重に言葉を選んでお答えになりました。その公式発言だけを記して、具体の会話の内容は私の胸の内に留めておきましょう。

○ 結論
 安全啓発センターは、日航はかかる施設をつくってまで安全運航に最大限の努力をしていますよという宣伝であり、遺族や学者評論家に対する迎合(へつらい)でもあるとの感を強くしました。

 無駄な施設とまでは言いませんが、その辺の博物館がうらやましがるであろうほどに金をかけていること、スタッフの人件費やビル会社に支払う家賃その他維持管理費などかなりの負担が生じているはずです。

 そのお金を整備工場へ回してやりなさいよ。幹部が、これがなければ社員の安全教育ができないと本気で考えているとしたら日航は危ないです。
 「利益水増しが隠した5期連続赤字 処分資産尽き資金繰りの綱渡り続く」(週刊ダイヤモンド3/10号)日本航空にとくと考えて頂きたいものであります。

 

2008/07/19 御巣鷹山事故の遺品展示や慰霊登山道の災害復旧について 

  今年も8月12日が巡ってきます。御巣鷹山事故のご遺族の悲しみはまた新たなるものがあるかとお察し申し上げます。その上で、最近のニュースから感じたことを述べさせていただきます。

 美谷島邦子女史が事務局長の8.12連絡会のホームページには、2008年になってからの活動記録が載っていないので、やや客観性を欠くかもしれませんが、御巣鷹山の事故現場に至る道路が大雨で崩壊したため、地元の町と日航とで迂回路を整備して登山用自動車道を確保するとか、所有者の確定できない遺品を日航安全啓発センターへ1か月間展示するというニュースの背景に、8.12連絡会の圧力を感じます。

 一方で、不採算路線を次々に閉鎖して心ならずも国民から利便性を奪わなければならない日航が、こういうことのために担当職員を配置し、多額の費用をねん出するということに疑問をもちます。「こういうことのために」とは何だ!と8.12連絡会は怒るかもしれませんが、23年も経って、既に持ち主も何も不明で保管費用ばかりかかっている遺品を安全啓発センターで人目にさらすというのは、お涙ちょうだいの情緒的な処置以外のなにものでもないように思います。これで、航空安全意識が更にたかまるのでしょうか。日航の腹のうちはいい加減にしてもらいたいであるに決まっています。

 崩れた登山自動車道路云々にしても、大雨災害で緊急に復旧を要する箇所はそこだけではないはずであり、地元町民の生活各般に及んでいるものと想像します。役場には、御巣鷹山を(言葉は悪いですが)一種の観光資源として来町者の落とすお金、もしくは日航が負担するお金に着目しての下心があるのではないかと感じてしまいます。

 これらに、大義名分があることは否定しません。8.12連絡会に属する人々の心のうちにまではいりこむ気持ちも毛頭ありません。事故を風化させてはいけないという歴史感があることも認めます。

 しかし、墜落させる意識、例えば銃撃されて墜落とか、故意の欠陥修理で墜落させたとかの事故ではなく、日航123便ボーイング747の墜落は、史上最大の犠牲者数という特異性を除けば(これも言葉は悪いですが)よく起きる旅客機事故のひとつにすぎないと私は見ています。いずれにしても風化していきます。

 弱みの日航にいつまでも、これを引きずらせるのが犠牲者に報いることなのでしょうか。最近のニュースを見て疑問に思った次第です。

                  不愉快に思われた方は反論をどうぞ  佐伯


日本航空株式会社の危機  安全啓発センターは真っ先に廃止を 佐伯 1014

2009/09/15のJALホームページ
当社と海外航空会社との提携および資金調達等に係る報道がなされておりますが、この報道は当社が発表したものではなく、現時点で決定しているものではございません。今後もお客さまに安心してご利用いただけるフライトを提供して参ります。

 平静を装った広報ですが、6800人もの人員削減を行うと公表した昨日の国土交通省の有識者会議なるものの内容をもっと知りたいところです。社員の14パーセントを整理するというのですから、これは大変なことです。

 そこで、真っ先に槍玉にあげてもらいたいのが日航安全啓発センターです。JALグループの安全運航の原点とするなどとうたいながら、実は御巣鷹山事故についてボーイング社の責任に全く触れない自社自虐展示の場所に過ぎないことは、既に何度も指摘しました 。

 羽田の旧整備場の貸しビル2階の賃料、残骸やさまざまな作成資料の維持管理費、そして常駐執行役員以下の人件費は年間相当のお金になるでしょう。安全を軽視しろとは言いませんが、JALの技術職員が、なぜボーイングの責任に触れないのかと自虐展示に不信感を抱いて会場を去るような施設は、一部うるさい遺族やマスコミにアピールするだけの高価な無駄なもの、と私は思います。

 安全啓発センターは廃止して、そのお金をより実効ある安全投資にあてるよう提言いたします。

2009/10/14 その意見に賛成する  長野のTさんからの意見を要約

 佐伯さんのご意見はもっともだと思います。

 昨年、或るご遺族と一緒に日航安全啓発センターへ行きました。結果として、ご遺族は激怒していました。

 理由は、年配の日航社員の説明の仕方が他人事で、冒頭に残骸を指して「これがあの懐かしの日航カラーの残骸です」と言ったのにです。そして終始他人事のような説明でした。案内人は確かに「もういい加減にして欲しい」気持ちがありありで、事故とは関係なく、機体の残骸の部位の役目を聞くと嬉しそうに説明していました。

  ただ、これだけでは「悪役」ですが、帰りに書庫にあった上野村発行の「鎮魂のしおり」(1988刊・非売品)を見てご遺族が欲しいと言ったので、上野村に手配し、後日、無償でご遺族まで届けてくれました。残骸写真も遺族が望めば撮影可能でした。(但し非公開が前提) 

  日航が経営するから無益な反感を買うのです。ここは慰霊の園のように第三者に任せるべきではないのでしょうか。

(佐伯から注 : 直営であろうと委託であろうと日航の自虐展示である限りは無駄な施設であり、経営改善の真っ先に廃止をというのが私の意見です。)

  私なりに、日航の立場を検証しています。多くの人に直接会って取材をした経緯からは、機長をはじめとするクルー3名に何ら落ち度は無いと確信しています。また、日航現場に圧力隔壁の点検項目はありませんでした。ここにも落ち度はありません。 

 肝心の手抜き修理を行ったボーイング社は、治外法権を盾にして当時の作業員を一切非公開としましたが、作業員を法廷に出さなかった代わりに、遺族補償金の80パーセント以上を負担しているそうです。結果として責任を認めていると考えていいでしょう。

 事故から7年前のしりもち事故のパイロットと修理に立ち会った運輸省職員は、自殺してしまいました。悲しい彼らの結末です。

 日航は、佐伯さんも書いているように朝田社長はじめ当初からお詫びの態度を一貫しています。そして今も、上野村の慰霊の園を守り続け、事故現場も管理し続けています。「520名殺したんだから当然だ」という意見もあるでしょうが、だったらボーイング社も管理すべきでしょう。

 これは「三菱ふそうリコール隠し事件」で、タイヤがもげて母子が亡くなった事件で、三菱ふそうに代わって、不良品に乗せられた運転手と運送会社が土下座しているようなものではありませんか。