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ヒコーキマニア人生録・図書室 掲載07/10/27

 自衛隊の行進曲に思う

 
関連1 にがうりさん
関連2 Shinさん
関連3 かつおさん 
うんちくのまとめ 佐伯邦昭
 

 

 2007年10月21日、陸上自衛隊朝霞駐屯地で平成19年度自衛隊観閲式の予行が行われました。そこで演奏された音楽について少々ウンチクを傾けておきます。
 
 
(音入り動画はRUNWAY FUNさんのホームページ、また行進曲は陸上自衛隊公式ホームページから同中央音楽隊の演奏がダウンロードできます。)

 

△ 曲中に大砲を撃つチャイコフスキー作曲の「1812年 」について   かつおさんから

 チャイコフスキーの「 序曲1812年」で大砲をぶっ放すのはヨーロッパではたまにあるようですが、チャイコフスキー自身が失敗作と言ったといわれているだけに、演奏機会は少ないようです。曲にはナポレオンに攻め込まれた情景がえがかれているため、フランス国歌ラ・マルセーズが断片的に出てきますが、結局歴史の通り最後のフィナーレはロシア国歌が出ます。これは吹奏楽器にも適した旋律です 。
 
 日本でこの曲でドカン!とやるのは異例では? しかも、日本の自衛隊と1812年の関係は?と考え込んでしまいます。ともあれ珍しいシーンでした。

 

△ 陸軍分列行進曲では ♪敵は幾万 を口ずさんでしまう  佐伯から

 確かにクライマックスで大砲17発を轟かせた場面がでましたが、轟音のためにチャイコフスキー先生の 曲が聞き取れないのが残念でした。
 しかし、陸自普通科連隊から始まる隊列行進の行進曲だけはよく聞こえました。3自衛隊がそれぞれの行進曲をもっており、陸自は陸軍分列行進曲、海自は軍艦マーチ、空自は航空自衛隊行進曲、その他君が代行進曲等々のようでした。

 私だけかもしれませんが、陸自の陸軍分列行進曲 を聞いていると ♪敵は幾万ありとても、すべて烏合の勢なるぞ♪  の歌詞が口をついて出てきます。最新鋭の陸自が、いまだに敵を烏合(うごう=ばらばらの寄せ集め)の衆とみなし、突撃精神で蹴散らすなんて訓練をしているわけではないですから、どうも困ったもんであります。

 調べてみると、陸軍分列行進曲は明治の軍楽隊を指導したC.ルルーという仏人が作曲したもので、「敵は幾万」には関係がないみたいですが、メロディーがそっくりなのです。

 私の世代は、ラデツキー行進曲など聞かされ たこともなく、小学生といえども行進の時には ♪敵は幾万ありとても♪ とか ♪勝ってくるぞと勇ましく♪ とか ♪朝だ夜明けだ うしおの息吹き♪ などを歌っていましたから、それらはDNAの中に沁みついているのです。

 戦後になって、メーデーのデモ行進で、♪聞け万国の労働者 轟き渡るメーデーの♪ というのを聞いていると ♪萬朶(ばんだ)の櫻か襟の色 花は吉野に嵐吹く♪ (歩兵の歌)の替え歌でした。

 どうして労働歌に変ってしまったのか。そう、あの頃は、軍隊帰りが組合運動の中心でしたなあ。デモ行進も大きな赤旗を何本も掲げて、ワッショイ ワッショイとジグザグを繰り返したりしてすごい迫力がありました。

 ラデツキー行進曲など聞かされ たことのない世代としては、労働歌も軍歌も、欲求不満を歌に替えて、自身を奮い立たせようとする一種の麻薬なのです。だから未だに ♪敵は幾万ありとても、すべて烏合の 勢なるぞ♪ と口ずさんでしまうのでしょう。しかし、そのDNAは、あらゆる音楽を受け入れる素地として、後年非常に役立っていると思うのです。

 

 そういえば、近年、行進で歌っている場面を見ませんね。私など、ボーイスカウトの時には郊外へ遠征すると、声をそろえて ♪静かな湖畔の森の陰から♪ などと班ごとに歌いながら歩いたものです。最近はどうなのでしょう。

 大人が付き添って集団登下校などという馬鹿げた風潮が当たり前のことになりつつありますが、恥ずかしがらずに皆で歌いながら歩いてみれば、健康にもいいし、地域社会も明るくなるというものです。

 唱歌でも軍歌でも労働歌でもフォークソングでも演歌でも讃美歌でもいい。カラオケルームから出て外で皆で歌いませんか。


関連1 私のウンチク 陸軍分列行進曲は「抜刀隊」です  にがうりさんから   

 陸自観閲行進の曲は「抜刀隊」 ♪われは官軍 わが敵は 天地容れざる朝敵ぞ♪ です。佐伯さんも ♪敵は幾万ありとても♪ とは違うことに気付いてますが、私にとっては父方の曽祖父(唐津藩士)が西南戦争で西郷方についた賊軍で田原坂で戦死してることもあって 、この「抜刀隊」(特に歌詞)は悲しく聞こえる曲なのです。 

 西南戦争当初は官軍の百姓兵よりも、賊軍西郷軍の武士兵士が強かったのですが、官軍も警察官になっていた元の侍たちを集めて官軍兵士の「抜刀隊」として西郷軍と戦わせました。その「抜刀隊」が奮闘して戦勝したので、明治政府は、東大教授の外山正一が作詞した「抜刀隊」をシャルル・ルルーに作曲させました。ルルーは、更にこれを編曲して「陸軍分列行進曲」とし、長く陸軍の観閲式で演奏され、今では陸自と警察の行進曲になってます。以上私のウンチクでした。

参考 : 陸上自衛隊ホームページから借用

● 「陸軍分列行進曲」(解説)

 作曲者のルルーはフランスの軍楽長で、明治11年に来日、陸軍軍楽隊の教師として明治22年まで在任し軍楽隊の基礎を築いた。分列行進曲は、フランスで出版された「扶桑歌行進曲」の一部と外山正一の新体詩にルルー作曲の「抜刀隊の歌」をトリオ(中間部)に用いて完成させた勇壮な曲。
  

関連2 私のウンチク  shinさんから

 序曲1812年について

 私が序曲1812年を陸上自衛隊の大砲入り演奏で聞いたのは総火演や東部方面隊観閲式など、これで三回目です。

 関係者の話では、西部方面隊の方で74式戦車の主砲を使用して演奏したこともあるそうですから、この曲自体はさほど珍しい演目では無いと思います。

 一般に使用している大砲は105ミリM2A1榴弾砲で、普通は「十榴」と呼んでいます。すでに第一線を退いた旧い砲ですが、海外の国家元首などを迎える礼砲として羽田空港ではお馴染みです。

 △ 陸軍分列行進曲について

 観閲行進に使用された曲ですが、「陸軍分列行進曲」から ♪敵は幾万ありとても♪ というのはどうも結び付きません。この曲のトリオ部(間奏)に使用されているのは「抜刀隊」で歌詞は ♪われは官軍  わが敵は 天地容れざる朝敵ぞ♪ です。

 陸上自衛隊の公式行進曲でもあり、防衛大学校の観閲行進や警視庁のパレードでも演奏されています。警視庁にとって抜刀隊は中興の祖ですから。
 ちなみに海上自衛隊公式行進曲の「行進曲軍艦」のトリオ部は「海ゆかば」が使用されております。この「行進曲軍艦」は東南アジア某国などでは歌詞を変え、現在も国軍の行進曲として採用されている名曲です。


関連3 私のウンチク かつおさんから  

 ルルーは、日本人の短調好みを見抜いていたのか、短調で始まりながら後半で転調して長調でしめくくるなどの技法は、明治の日本人では無理だったでしょうね。 

 ドカン!とぶっ放すシーンで佐伯さんがチャイコが聞き取れないのは無理もありません。私は旋律を知っているから断片的にでも解りますが、その部分をバックして聞きなおして確認しました。荘厳な旋律です。

 シュトラウスのラデッツキー行進曲は、本来は管弦楽用観賞用とでも言うべき曲で、軍隊の行進での演奏例は聞いたことがありません。ラデッツキー伯の名称をつけていますが直接の関係はなく、シュトラウスが作った行進曲に戦功のあった人物の名をつけただけのようで、例えば貴族の舞踏会その他のパーティーなどの「お開き」などで演奏されることが多かったとか。
 現代ではコンサートのプログラム終了後アンコールでしばしば聞かれます。楽員としては神経・体力をかなり使う交響曲や協奏曲などが終わってほっと一息のあとでは、演奏者も楽しくうきうきする曲です。

 軍隊の分列行進曲は、やはり「海兵隊賛歌」のように単純構成の中にも勇壮さがあり、しかも一度聞けば直ぐに覚えてしまう親しみやすい旋律が受けるのではと、これは私見です。


ウンチクのまとめ 佐伯邦昭

 抜刀隊 詩:外山正一(東大文学部長 後に総長) 曲:シャルル ルルー

 われは官軍  わが敵は 天地容れざる朝敵ぞ
  敵の大将たる者は 古今無双の英雄で
  これに従う つわものは ともに慓悍決死の士
  鬼神に恥じぬ勇あるも 天の許さぬ反逆を
  起こせし者は昔より 栄えしためし有らざるぞ
  敵の滅ぶるそれまでは 
  進めや進め諸共に
  玉散る剣 抜きつれて
  死する覚悟で進むべし

 敵は幾万 詩:山口美妙斉(文学者) 曲:小山作之助(東京音楽学校教授 夏は来ぬなどの作曲者)

1 敵は幾万ありとても  すべて烏合の勢なるぞ
  烏合の勢にあらずとも 味方に正しき道理あり 
  邪はそれ正に勝ち難く 直は曲にぞかち栗の
  堅き心の一徹は 石に矢の立つためしあり 
  石に矢の立つためしあり 
  などて恐るることやある
  などて撓(たゆ)とうことやある 

 皆さん、ありがとうございました。陸軍分列行進曲が抜刀隊が基になっていることは陸上自衛隊ホームページの解説を見ていましたが、いつも「敵は幾万」を口ずさんでいるので素直な感想を書きました。 ただし、似ていると思うのは音痴の私だけでしょう。

 「敵は幾万」は、山口美妙斉という人の詩集の中から、小山先生が一高(不確か)の寮歌として曲を付けたのだそうで、 それが軍歌になり、あるいは多くの学校の応援歌になり、更には陸海軍大本営発表の前奏曲(海軍だけの時は軍艦マーチ)にもなっています。私の 耳の奥に沁みついたのは、国民学校の先生やラジオの影響だろうと思います。

 ラデツキー行進曲は、広島カープがまだ広島県営球場で公式戦をやっていた頃、レコードが一枚しかなかったようで、試合開始まではこればかり流していました。ニューイヤーコンサートのアンコールなどをつとめる定番の名曲だと知るのは、かなり後のことでした。カープが石本監督や白石監督の時代の懐かしの曲であります。今は、たしか地元テレビのRCCがスポーツ放送の前奏に使っていると思います。