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航空歴史館 掲載09/10/15



冷戦の終結を早めた海上自衛隊航空部隊の功績

2008年9月海上自衛隊徳島教育航空群で開催された「VS会」でのスピーチから


山内 秀樹


 

 久間防衛大臣は、第二次大戦の終結と原爆投下を結び付けた米国の歴史解釈をそのまま発言したために、国民の顰蹙を買った。しかし、ここにお集まりの現役及びOBの方々は「冷戦の終結を早めたのは海上自衛隊航空部隊である」ことを認識しておいていただきたい。

 56中業で「1000海里シーレーン防衛構想」が定められ、それに基づいてSOSUS-P-3C(下記用語解説参照)という武器体系が構築された。その結果、誰かさん(VS会会員の元海将補)の計算間違いで、P-3Cを100機も購入した。

 これを訓練部隊を含めて10個隊に配備した結果、世界に類を見ない対潜機による濃密な対潜哨戒水域が出現した。ちなみに、海上自衛隊航空部隊の充実も勘案しての結果だろうが、当時の米海軍はこの水域に三沢と嘉手納にVPもしくはVP分遣隊を1個配置していただけで、最大18機であった。

 迷惑したのは、ソ連海軍であった。

 「1000海里シーレーン防衛」と標榜しながら、実態は日本周辺の海域を「金魚鉢」状態にしてしまったからだ。

 1946年2月28日に開戦した「冷戦」は、1950年代中期以降「相手の人口の40%を殲滅することによって、国家として存続できなくする」ことを戦略目標とした大量核報復戦略に立脚して戦われた。
 
 そもそも、ソ連の米国に対する核抑止力は、ICBMと戦略爆撃機とSLBM(潜水艦発射弾道弾の3本柱であった。ICBMのサイロは補給の関係でシベリア鉄道沿いに限定され、すべて米国の戦略核兵器の標的になっていた。戦略爆撃機も早期警戒機と偵察衛星の充実で米本土への核攻撃では実効が疑われる状態であった。

 残るSLBM搭載SSBNは、搭載ミサイルの射程の関係で大西洋中部あるいは太平洋中部に進出しなければならなかったが、Y型SSBN1970年代には完全にSOSUSに探知される状態であった。
 ソ連SSBNの最終的配置としては、長射程ミサイルを搭載したDSSBNを最後の聖域と認識していたバレンツ海に北洋艦隊のものを、オホーツク海には太平洋艦隊のものを潜ませ、米本土を狙っていた。
 しかし、バレンツ海には米国のSSNが常に張り付き、有事の際は目的を果たすことなく撃沈の憂き目を見ることが確実だった。

 三方をソ連領土に囲まれたオホーツク海こそがソ連の内海と考えられたが、ウラジオストックを基地とし、オホーツク海に展開しようとするSSBNは完全に海上自衛隊によって探知・捕捉・追尾される状況であった。「漏れいずるお話し」に耳を傾ければ、P-3Cの配備後は日本周辺のソ連海軍潜水艦は100%捕捉・追尾できていたらしい。
 もっとも宗谷海峡を通過し、オホーツク海の奥深くに展開したデルタの位置局限は、三沢のP-3Cの担当だったと思われるが。

 ソ連自体がその戦略オプションの喪失をはっきりと認識したのはウォーカー・スパイ事件の結果である。米海軍のウォーカーから入手した米海軍暗号解読キーを元に、ソ連海軍は自国の潜水艦がどの程度米海軍に探知されているかを知り、オホーツク海に展開したSSBNの戦略オプションの喪失を認識したと考えられる。

 こうしてソ連は、太平洋方面における米本土に対する核抑止力のオプションを失い、外交的オプションを失い、崩壊した。冷戦は、湾岸戦争が終結した1991年のクリスマスにゴルバチョフが辞意を発表した時点で終結した。

 我が自衛隊は一発も打たず、一兵も殺さず、居あい抜きのように相手を睨み据えるだけで、相手の軍事戦略オプションを奪い、外交的オプションを奪い、我国にとって望ましい方向で冷戦を終結に導いた。まさに、平時における軍事の有効な利用の典型であり、我が自衛隊の理想的な姿であった。その中核を成したのは海上自衛隊航空部隊であり、その礎を築かれたのがここにお集まりのOBの方々であることは間違いない。

  自衛隊内部から「冷戦の終結を早めたのは海上自衛隊航空部隊である」と発言するのは、外交上にも問題を残す可能性があるだろう。

 従ってOBの皆様が、声を大きく発言して現役の方々を支援していただきたい。

 そのためには、冷戦下の平和と冷戦後の平和の「質」の違いを認識すること、させること、が肝要。米ソ対決の冷戦下、オーバーキルの核兵器で鍔迫り合いの下の空間に生まれ育った我々はそれを「平和」と呼んできた。しかし、冷戦の終結により、この18年間は「青空天井」の平和を満喫してきているのだ。

 1機百億円のP-3Cを100機購入し1兆円使ったわけだが、納税者の一人として、この平和を獲得するために使われたとするならば納得できる。

  米国は広島・長崎に対する核攻撃で多くの民間人を殺傷したが、我が海上自衛隊は核攻撃の標的となっていた多くの米国の民間人を救った。

 この事実を米国民にもしっかり認識してもらおうではないか。
                                   以上 


用語解説 主としてWikipediaによる 文責 佐伯邦昭

SOSUS(ソーサス、Sound Surveillance System)

 海底に設置されたソナー監視ライン。広い範囲で潜水艦を探知する。米海軍 は、その情報を海域哨戒中の海自P-3Cに送った。

SLBM    潜水艦発射弾道ミサイル

SSBN  弾道ミサイル原子力潜水艦
 
SSN   攻撃型原子力潜水艦

バレンツ海 ノルウエ―北部の北極海

 

日替わりメモ2009/10/15

○  冷戦の終結を早めた海上自衛隊航空部隊の功績

  弾道ミサイルを積んでオホーツク海から米本土各地をねらっていたソ連の原子力潜水艦隊が、海上自衛隊に有り余るロッキードP-3Cの哨戒行動のために戦意を失い、何んと東西冷戦の終結につながったと‥

 一発の砲弾も用いないで戦争を終わらせてしまった事実を、わが海上自衛隊のOBはもっと胸を張って誇ってもいいのではないかと、山内秀樹さんが検証の結果を発表しています。

 陸地の局から海底に長く伸ばしたマイクロフォンで敵潜の音を探知するアメリカのSOSUSと海自のP-3Cが連携するプロジェクトによってすべての原潜の位置が把握され、事が起きれば三沢基地から米海軍P-3Cが飛んでいって叩き潰してしまうというわけです。これを米軍内のスパイから得た暗号解読で知ったソ連は、袋のねずみ、身動きが取れない現実に愕然としたことでしょう。もはや勝算はないものと。

 ソ連の原潜捕捉に大きな役割を果たした海自のP-3Cは、当時海幕の某一等海佐の計算違いで過剰に100機も揃えてしまったのだそうです。しかし、結果として「世界に類を見ない対潜機による濃密な対潜哨戒水域が出現し」「冷戦の終結を早めたのは海上自衛隊航空部隊である」と山内さんは結論付けています。

 今まで、この角度から冷戦を論じた歴史家はおりません。軍事評論家もしかり。

 今後、山内論が正史として確立するかどうかは、佐伯には判断できませんが、米海軍部隊を1隻の艦船、1機の航空機に至るまでその配属から使われ方から加えられたシステム改造から廃棄まで等々ち密にデータを取った上での構築ですから、仮に誰かが反論でもしようものなら、膨大な証拠データを突き付けられて引下がるほかないでしょう。文林堂の世界の傑作機シリーズを1冊でも読んだ人なら、山内秀樹論文が確実な軍事関係情報を下敷きにして書かれていることが分かると思います。

 彼は言います。「米軍のフライトマニュアルでもメンテナンスマニュアルでも、改訂されているすべてのマニュアルを集めて目を通さなければならない。なぜなら、運用途中に於いて絶えず改善改良が加えらているからである」と。

 札幌で書棚が倒れて少女が重体という悲惨な事故がありました。豊中の山内家では、家そのものが紙の重さでつぶれることがないように、秘かに祈っていいる次第です。マニュアルだけでも2千冊だそうですから。

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