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ヒコーキマニア人生録・図書室 もの申します 掲載11/10/26

許すことができない海上自衛隊小月航空基地のコスプレ行事許可

佐伯邦昭
 


・ 許すことができない海上自衛隊小月航空基地のコスプレ行事許可
 コスプレピクニック実行委員会なる団体が、あらかじめ希望者を募集して、航空祭当日に教室で着替えさせ、展示会場などを自由に歩かせました。学生が血のにじむような訓練を重ねている航空機のそばに、女装の男などが誇らしげにまとわりついていて、常識ある人々は吐き気をもようしたと言います。

コスプレピクニック実行委員会ホームページから
イベントの主催は「海上自衛隊小月航空基地」ではなく、コスプレイベント団体「コスプレピクニック実行委員会」です。厳密には「小月航空基地祭」で行われる様々な協力イベントのひとつとして「コスプレピクニック」が行われるものです。〜 イベントのルール策定につきましては、「海上自衛隊小月教育航空群」と協議を行い設定したものです。

 明らかに基地が深く関与し、許可を与えていたことが分ります。隊員に抗議したら、一様に上が決めたことですからと吐き捨てるように答えていたそうです。隊員の多くが苦々しく思っているらしい証拠は、同基地公式ホームページの「小月航空基地祭/スウェルフェスタ2011」のページにコスプレのコの字もなく、それを匂わせる写真も一切出していないことで分ります。 http://www.mod.go.jp/msdf/oz-atg/
  東日本大震災で国民の認識が一挙に深まった自衛隊の姿を、こんな眉をひそめるようなイベントで貶(おとし)めた当事者は責任をとってやめていただきたい。もちろん基地司令の責任も重大です。
 コスプレ趣味の彼らには、送別会で学生の仮装行列でも見せたうえで、基地から放り出してしまいなさい!                                  

 

〇 小月基地のコスプレピクニックについて  Yさんからメール

 初めてメールします。佐伯さんの行動力には常日頃から感服しています。
 さて、標題の件、少々古い記事ですが、佐伯さんは小月基地のコスプレイベントに対して酷評を下しています。確かに自衛隊の基地内でコスチュームプレイというのはいかがなものかという意見はもっともであるとは思います。しかしながら、そこにあえて異議を唱えます。 

 まず、広報という観点で言えば、いくつかのネットメディアが面白半分な観点ながらもこれを取り上げていましたし、特に若年者を中心に好意的な反応をしていた例が散見されました。また、近年アニメ作品の質・量の著しい向上によってそういったものから飛行機に興味を持つ人も増えているのは間違いのないことです。

 一若年航空ファンとしては、確かに先達からマナーを教わる事も必要だと感じるシーンもあります。ですが、こういったイベントを「眉をひそめるような」と切って捨てるのは「アニメから飛行機を好きになるような輩は飛行機ファンにあらず」という狭量さ、あるいは失礼ながらヴェテランの傲慢さ、とも感じてしまいます。 

 すくなくとも、個人的には(参加する気は起きませんでしたが)このイベントをそこまで毛嫌いするものではないと思いました。

佐伯から : なるほど「狭量、ヴェテランの傲慢」があてはまる部分もあるなあとしばし黙考いたしました。
 流行の社会現象として太陽族、みゆき族、アンノン族、竹の子族、最近ではガングロとか秋葉系とか草食男子・肉食女子などと流れてきて、その系列の中に、コスプレも入るのでしょうか。実にくだらないとは思いますが、その現象を否定する勇気はありません。すべては逼塞した生活空間の中からアウトサイダー的に生まれてきたものですから。

 軍事航空でいえば、太平洋戦争中の米爆撃機はセクシーな女の絵をいっぱい画いていました。今でもそんなノーズアートがありますが、無味乾燥な軍隊生活の中で命を掛けざるを得ない兵士の感情の発露だといえます。それに比べたらコスプレ人間が飛行場内をうろついても大したことないのかもしれません。

 かつての日本軍では、公物に裸女を画くことなどは絶対にありません。猥本や猥談や料亭や遊郭や慰安婦等での発散はどこの国も同じですが、日本では公と私だけは峻別されていたと思うのです。西洋の文物を採り入れても、やはり儒教精神が日本軍隊の底を流れており、それは当然自衛隊にも引き継がれてきたはずです。

 隊員が、勤務に支障が無い範囲で私的にどう流行を追おうとも構いませんが、隊をあげて一過性の社会風俗を持ち込むなどは、最近の自衛隊の堕落にしかみえません。

 Yさん、年寄の近視眼とお許し願いますが、「がんばろう東北」などのスロ―ガンが多くの機体に書かれている今年、コスプレに興じる部隊幹部の顔とはどうしても調和しないのです。