小牧基地における撮影記録
その4 Curtiss C-46D Command
丹羽 八十

Nagoya Aviation Historical Society
はじめに
これまでにF-86D, F-102AそれにControl TWR変遷の撮影記録をまとめてきた。次に何をまとめるかを決めかねていたが小牧基地の現在の大家さんは「輸送航空団」でもあり60年目を迎えようとしている「航空自衛隊」を支え続けてきた「輸送機」の
歴史を残しておく意義を見出した。もう一つの選定理由としては自分が最初に体験搭乗した自衛隊機がC-46Dだったせいもある。
今から50年前の高校生時代に雑誌社が主催する夏期体験入隊ツアー最終日に名古屋港上空周遊の体験飛行があった。機内の騒音、
蒸し風呂状態に只々閉口し降機してからエプロンにへたり込んでしまった事を思い出す。残念なのはその時の乗機シリアルを記録し
て無い事だった。現職自衛官でC-46搭乗経験者は皆無となってしまった創立以来のワークフォースが輝いていた時代を前回までと
同様に故森脇啓忠医師撮影記録に自分の撮影記録も交えてまとめてみた。
C-46Dが舞い降り、飛び立っていった滑走路を共有していた仲間にはF-86D, F-86F, T-33Aが常連だった時代から
F-104J, F-4EJが現れた時代をへて向かいのMHI名古屋航空機製作所から産みだされてくるYS-11が輸送航空団の仲間に加わった
後、さらにC-1が幅を利かせ始めてもまだまだ飛来してくるC-46Dを見ることができた。
頼まれもしないのにフェンスの外からカメラで記録し続けて来た自分らにとって、戦闘機達と違ってゆったりと舞い降りてくる
C-46Dは撮影しやすく、また図体がデカいので長いレンズも必要としなかった。
あいにく48機全機が小牧基地へ飛来した事実は確認できていない。でもかえって神秘性を秘めて降りてくる機体に夢を託していた。
今でも地上展示されている機体は各地にあり、カラー撮影も可能であるが、ここではあえて白黒写真でしかも小牧基地及び上空での
「活きている状態」の画像だけを取り上げた。
近い将来C-2なる新型輸送機が配備されて、小牧基地へもスケジュールフライトして来る時代が目前に迫ってきている今、「温故
知新」にあるようにC-46Dを運用してきた先人たちの労苦を感じ取ってもらい現役輸送機達の安全運航への一助になれば幸いだ。
2025/08/12
Nagoya Aviation Historical Society
丹羽八十
表紙写真 表紙写真説明:C-46D, 71-1131, c/n132905, 撮影日 968.2.22.撮影者 森脇敬忠、
同機は1944年に米空軍へ配備の後、自衛隊使用後、米国へ民間貨物機として返却
撮影年代別1962 〜1967 (撮影: 森脇敬忠)
August 30.1962. 51-1114,
FCGのRW16側のチェックで初代TWRがまだ残る

August 12. 1963. 51-1112
R/W16からのintersection take offの様子

April 14. 1965. 61-1128
背景のLast Chance
Areaはのどかさを感じさせる

January 24.1967. 91-1138
Can
be seen actual operating F-86D and T-33A of
the 3rd AW.

撮影年代別1968 〜1977 (撮影: 丹羽八十)
December 13. 1968. 51-1103
今も健在の補給品倉庫が背景に見られる

September 18.1969. 51-1120
第三航空団が使用中のMOBOが見られる

February 28. 1973. 71-1136
今はもう見られないアンテナ群が林立している

April 17. 197? 91-1141
今では岐阜基地に屋外保管されている

思い出のフライトシーン
Star board view as R/W
16 approach
Oct.25.1964. 61-1130
demonstration flight
as open house

June 16. 1967. 51-1109

July 14. 1966. 51-1106

Port side view as
R/W 34 end
September
21. 1962. 51-1105

November 7. 1969. 91-1141

December 5. 1964. 51-1122

August 9. 1966. 51-1103

February 28. 1973. 71-1136

May 9. 1964. 51-1111

輸送航空団以外の運用機
Air Proving Group for Flight Test Bed, ,
71-1133
APG C-46D could be seen
variant style depending on the test program.
September 21.1964.

May 8.1967.

Air Defense
Command for Electronics Warfare
EC-46D , 91-1140, fixed radar dorm on her
nose
EC-46D , 91-1143, without radar dorm
without radar dorm on her
nose, February 14. 1972

with radar dorm on her nose, June
28. 1965

Flight Check Group
51-1101, 91-1138, 91, 1146 and
51-1114 (see page 2)
November 6. 1964

May 21. 1977

January 17. 1966

accidental record
51-1121, on August
21.1964
1964年8月21日9時50分、 岡山飛行場で
岡山博覧会の協力準備の為離着陸訓練中、
主車輪を滑走路の溝にとられ車輪を折って
胴体着陸し、そのまま500m走って滑走路際
の草むらで止まった。
このショックで右エンジン
から出火し飛行機は炎上大破した。
(雑誌「航空情報」Vol.182, 1964.10月号)
51-1107, crashed on November 30.1964

51-1113,
crashed on March 4. 1957
March 29. 1967

51-1125, crashed on
July 54.1967
December
25. 1965

71-1134, crashed on
January 14.1969

51-1104, on
March 31.1970.
詳細不明
編集後記
撮影期間が1962.8.30から1977.5.21までを繋ぎ合わせた航空自衛隊のC-46Dの名古屋空港/小牧基地へ飛来記録をまとめてみた。
近年目覚ましいデジカメやエアーバンドレシーバーの普及と飛行機ファン増加現象など思いもつかなかった時代に不便なアクセスの中
可能な限り通い続けたフェンス沿いで見つめてきた航空機の種類、形態、塗装の違いなどを追い続けて、記録を重ねていた時代があった。
少数の同好者とやがて会話を交わすようになり、数少ない情報の交換を行うも最大の武器はやはり当てもなく待ち続ける根性だった。
こうした遠く過ぎ去った記録が埋もれてしまうことに、今まで費やしたエネルギーにもう少しだけ現代のOA手段に頼りながら電子データ
と紙面上に残す努力を加えてみようと試みてきている。今回で第4集になる「C-46D」はその通過点の一つに過ぎない。
でも今も耳の奥底にはしっかりと残っているP&W. R2800エンジンやディスクブレーキの音はユーモラスな胴体シルゥェットともに
見届けることに間に合った人生に感謝している。
使用した記録画像
使用Film
故森脇敬忠氏撮影 1960年9月から 1973年4月まで Neopan SS
丹羽八十 撮影 1968年9月から 1977年5月まで Neopan SS,
Kodak TX, PX
使用scanner
Nikon
COOLSCAN 5000
使用soft
Adv Photoshop
参照文献
Japanese Military Aircraft Serials '06/J.A.R.G.
酣燈社刊 「航空情報」バックナンバー
丹羽八十作成 「新聞スクラップブック」集
編集・発行
2013.8.10.発行
丹羽八十(にわやそ)/ AAHS(American Aviation Historical Society) 会員
禁無断転載