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航空歴史館

 

《追悼》  浪速の工匠 高見保市さん

 


 名古屋に転居されてはいますが、私にとっては、AGCの赤塚さんが高見さんの作品に惚れこんで米海軍機100点あまりを東京に運んで展示したときのタイトル「浪速の工匠 高見保市の世界」からくる浪速のイメージそのものです。

 彼の遺作は、このTV-2で、ご遺族にお願いして名古屋三点クラブの8月例会に持ち込まれましたが、見慣れないマーキングに皆さん驚いたそうです。

 今月初めの大澤郁夫「ヒコーキおもしろ展」には、新明和甲南工場のスベリからおりるUF-XS の見事なジオラマとともに上京されておりました。


 そして、帰宅して、ソリッドモデルの木取り中に倒れて病院に急送されましたが、そのまま息を引き取られたという、大変失礼な言葉ながら、工匠としてまことにうらやましい死に様でした。喪主挨拶状にご家族の気持ちが痛切に現れております。

 


 彩雲会の中軸として、そして会長として、関西のソリッドもデル界を牽引してこられたと思うのですが、むしろポストみたいなものには無縁な一人の「工匠」として見えざるところで牽引者の役割を果たしてこられたのだと思います。

 上田新太郎君に聞いた話ですが、模型には手を染めていない歴史派・記録派・写真派の上田、山内、中井、佐藤君らが彩雲会の例会に出席していたのは、高見さんらから外国文献など資料の収集公開を求められ、かつ、毎回の打ち揚げ場所を確保せよという指令があったためだそうで、その伝統は、今も続いているようです。
 同じく、模型不製作派の私が彩雲会や名古屋三点クラブに大きな関心を持っているのも、そうした影響でしょう。常に「名匠」の影を感じます。

私のアルバムから 伊丹・甲南 出版記念会での高見さんとその作品

彩雲会第21回展のレセプションでかなりお酒が回った後のショット
 

 向かって右にいる(高見さんと同じように彩雲会出身で名古屋三点クラブ会員)となった高田さんからの佐伯宛メールを紹介しておきます。 

 兎に角早や作りで、ソリモは楽しんで作らなアカン!と、沢山の友人と沢山の飛行機を見て沢山のソリモを作った稀有の人でした。62年のお付き合いの最後に東京へのドライブの思い出を残してくれました。
 余り騒ぎ立てるのは氏の好みではないと思いますので、これ位にしておきます。


浪速の名匠 高見保市さん 

 次に会うときには、木を削り、絵の具を塗っているすぐそばで匠の動きをじっくり観察させてもらいますよ! 

                   2017年8月23日 インターネット航空雑誌ヒコーキ雲制作 佐伯邦昭   

 

 

2017/08/27 Blue1さんから高見保市さんの思い出

  ご本人はすっかりお忘れでしたが、郷里青森の高校生時代にF-4BファンタムUのガルグレイのカラーサンプルを送って頂いたことがあるのです。
 当時の航空ファン誌に掲載の同機製作記事の文中に「工場から分けてもらった本物のカラーを使っている」と云う内容が目に留まり、厚かましくもそれのおねだりの手紙をお送りしました。返信は半年後の忘れた頃にハガキ程度の台紙に塗られて届きました。「箪笥の上に置いて乾かしてたら忘れまして・・・」とのメモが添えてありました。
 それから40年近く経ち東京ソリモの展示会を訪れた際に大阪からご本人が来ていらっしゃ
ると聞き、ご紹介を頂きその節のお礼を申し上げましたら「忘れました! 」と笑っておられまし
た。 ご冥福をお祈りします。

 追悼の足しにもならないかと存じますが、私の137点目の作品(1998年)、大好きなT-33Aを添えておきます。世界の傑作機に紹介されている松島航空隊の当時の塗装(全面銀色ですが下面は暗い銀色)です。翼端のタンク内側は“ダークグリーン”です。 飛行機は「銀色」が一番お似合いです。昨今のジェット機、情緒が有りませんね、高見さん!