連山滑走路の中央部から南側を見る 撮影02/05/26 TRON
現陸上自衛隊東千歳駐屯地(旧海軍千歳第二、第三飛行場)の滑走路については、守屋憲治
著「北の翼 千歳航空史」に以下のような記述があります。
・第二飛行場滑走路(連山滑走路): コンクリート舗装
・第三飛行場滑走路: 火山灰にセメントを混合して散水、転圧した簡易舗装
また、どちらも滑走路下に札幌近郊から切り出した基盤石を敷いているとのことです。
なお、これは東千歳駐屯地の記念行事の際に何度も「連山滑走路」を見たことのある私の意見ですが、実際に見た感じからも北海道には自生しない孟宗竹の竹筋をわざわざ使用したという話は今一つ信じられません。
(もし竹筋が残っていれば、現在の装軌車両の装甲でボロボロにひび割れてしまっているはずです。上の写真参照)
また、これまでに私が収集した文献情報では、2つの滑走路の着工はどちらも1942年(昭和17年)で、1944年4月に第二飛行場滑走路が1200m×80mの状態で完成、1945年8月15日つまり敗戦の日に第二飛行場の滑走路延長(1200m→2500m)工事と第三飛行場滑走路の工事が完成しています。
ただし、第三飛行場滑走路はそれ以前から使用開始となっていたらしく、敗戦時は第三飛行場側に「東海」対潜哨戒機13機が残されていたのは周知の事実です。
また、同じく第三飛行場滑走路南端付近には空挺部隊訓練用の木製B-29実物大模型があったそうです。
なお、「連山」の諸元では攻撃時過重で離陸滑走距離652m、着陸滑走距離550mとありますが、試作4号機のアメリカでのテスト飛行結果ではエンジンの不調もあって微風状態で約1800mの離陸距離を要したとなっています。
また、同様の2500mの滑走路を千歳以外にも郡山など数ヶ所に建設する予定だったことから、訓練でも十二分に安全に離着陸できる長さの滑走路長にしたのではないでしょうか?
国土地理院所蔵の空中写真からつくった概念図
長い方が第二飛行場連山滑走路 画:佐伯邦昭