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八戸市 日本の風景 飛行場空撮 八戸飛行場
八戸飛行場の歴史

 

A2103-01 青森県八戸市 八戸飛行場 海上自衛隊八戸航空基地 陸上自衛隊八戸駐屯地
       Hachinohe Base, Hachinohe City, Aomori Prefecture
 
日本の風景  飛行場空撮 八戸飛行場 滑走路 (07/25)2250×45 (06/24)597×15.5

撮影2013

八戸飛行場の歴史

資料提供:寿( kotobuki) まとめ:佐伯邦昭

 
 東北の基地では、三沢や松島がクローズアップされがちですが、八戸はそれよりも早く日本陸軍によって建設され、占領下には米陸軍が大拡張を行って、一時は3200人もの兵隊が駐留するという東北有数の基地でした。
 朝鮮戦争で米軍が転進した後は、日本に返還され、以後陸・海・空三自衛隊の駐屯地・基地として重要な役割を受け持ってきました。

八戸基地略史

1939 日本陸軍が八戸市高館に飛行場の建設を開始
八戸市民の勤労奉仕でつくられました。寿( kotobuki)志さんの母上も女学校の勤労奉仕に参加したそうです
1941 陸軍八戸飛行場完成 八戸少年飛行隊など設置
雪解けの4月5月は泥沼で飛行場が使いものにならなかったとか
1945 7月から8月にかけて米海軍機動部隊による空襲を受ける
基幹産業の日東化学(現三菱マテリアル)が壊滅、八戸港に停泊中の砲艦稲城が3時間にわたって応戦したげく沈没しました  
1945/09 米陸軍第8軍第9軍団が飛行場を接収しキャンプホーゲンとする
八戸は一大基地の街と化しました
1950/05 朝鮮戦争勃発により、米軍のほとんどが朝鮮へ転進
1950/09 警察予備隊八戸駐屯地設置 3個大隊駐留
1952/10 保安隊八戸駐屯地に改編
1956/03 陸上自衛隊第5普通科連隊が青森から移駐
1956/05 米軍撤退、基地を日本へ返還
1957/03 陸上自衛隊第9航空隊が霞目から移駐
1957/07 海上自衛隊八戸航空基地設置
1963/06 航空自衛隊臨時八戸派遣隊設置
一時はノースアメリカンF-86Fもおりました
1972/02 航空自衛隊八戸基地廃止
現在の
航空部隊
陸上自衛隊 東北方面航空隊 第2戦車ヘリコプター隊
第9師団 第9飛行隊
海上自衛隊第2航空群 第2航空隊、第4航空隊、八戸救難飛行隊

         

八戸基地の航空写真  左は1955年頃の撮影、右は1987年の撮影です。


 米軍によって拡張された日本陸軍時代の滑走路が残っています。赤いマークは基地正門(現陸上自衛隊正門)です。

                



                 

 海上自衛隊の滑走路を始め施設が整備されています。

                    

米軍が残した施設の活用

キャンプホーゲンの教会 今は八戸駐屯地の銃剣道場
米軍時代にはイラストのような十字架を頂いた尖塔がありました 右は鐘楼を下から見たものです
キャンプホーゲンの将校クラブ 今は八戸駐屯地の戦術講堂と防衛館(史料展示室)

 

グラマンF6F 12.7ミリ機銃の弾痕 旧格納庫鉄骨 撮影2004/04/25