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A2331-02 宮城県東松島市 航空自衛隊松島基地
              Matsushima Air Base, Higashimatsusima City, Miyagi Prefecture  
    
航空自衛隊松島基地の展示機
X ノースアメリカンT-6G 52-0080
ノースアメリカンF-86F-40 82-7789
ロッキードF-104J 36-8535 
三菱T-2後期型 59-5192
  × ノースアメリカンF-86D 04-8200
  × ロッキードT-33A 51-5626
  ×  シコルスキーH-19C 71-4706

2011/03/11 東日本大震災後 (2012防府航空祭の写真展示から)


常設展示機は、東日本大震災による流失や大きな損壊はありませんでした

 

 ノースアメリカンT-6G 52-0080   T6

52-0080の経歴

1955/09/15 c/n168-246 US49-3142 航空自衛隊へ引渡  
1959/10/20 用途廃止
  松島基地に展示
2011/03/11  東日本大震災で冠水
2017 展示場から撤去

2017年

強風でひとりでに動き出し、破損したため展示場から撤去されたそうです。

撮影2018/01/15 遊佐 豊


2016年

 下面の腐食が見られます。そのうち廃棄処分かもしれません。

撮影2016/08/01 遊佐 豊


 


2004年

ノーマーク 撮影2004/07/24  伊藤憲一 


1989年

第15飛行教育団マーク  撮影1989/08  シシオ


撮影 遊佐 豊


1985年

第4航空団T-2の松葉マーキング 撮影 1985/09 遊佐 豊  AIR JAPAN 43号から転載 

 

○ 松葉マーク について  伊藤憲一

 松葉のマーキングは、T-2時代に数年間(1970年代後半ごろ〜1980年代半ばごろ)採用された第21飛行隊、22飛行隊のマーキングです 。

 この時期、常設展示機にもこのマークを描いたのでしょう。松島にちなみ、松葉で第4航空団の「4」をデザインしたものです。松葉は緑色、そしてバックの色で21飛行隊(白)、22飛行隊(黄色)の識別をしていたようです。

 T-6の後ろに写っているT-33AF-86Fにも同じマーキングがされています。写真では、マークのバックがT-6、T-33Aでは明るく、白に塗ったものと思います。F-86Fのものは、少し暗く見え、黄色く塗ったものではないでしょうか。

参考 第4航空団T-2のマーキングの変遷 戸田保紀さんのスカイホークのアルバムから借用しました

第4航空団T-2の初期のマーク F-86F時代を踏襲
第21飛行隊 バックが白
第22飛行隊 バックが黄
第21飛行隊 後期のマーク
第22飛行隊 後期のマーク
◎ ノースアメリカンF-86F-40 82-7789  F86F
1958/03/31 c/n238-19 US56-2791 航空自衛隊へ引渡 第1航空団  
1978/03/31 第4航空団第5飛行隊で用途廃止
  松島基地に展示
2011/03/11  東日本大震災で冠水
2016 機首に津波到達ラインを表示

 垂直尾翼のシリアルナンバーをよく見ると、百位の「7」の文字のところに、「8」を消したような痕跡があります。機首のラジオコールナンバーも、明らかにマスキングを施して「789」と塗装したことがわかるのですが、下地の痕跡は見られません。キャノピーにはナンバー記入、痕跡なし、コックピットは覗けません。尾翼のみ他機からの流用か、全体が789号機でないのかもしれませんが、F−86Fの場合は、このような例がたくさんあるようなので、これ以上はわからないですね。 (伊藤憲一)


2016年 機首に津波到達ラインを表示

撮影2016/08/01 遊佐 豊


2004年 第4航空団第7飛行隊のマーク

撮影2004/07/24  伊藤憲一 


1985年 第4航空団第5飛行隊及び第7飛行隊のマーク 

第5飛行隊 撮影 1985/09 遊佐 豊


第7飛行隊 撮影 1985/09 遊佐 豊


1982年 第4航空団T-2松葉のマーク 

撮影 1982/07 遊佐 豊

 

◎ 三菱T-2後期型 59-5192   T-2

1985/02/18 c/n192 航空自衛隊へ引渡  
2004/05/17 第4航空団第21飛行隊で用途廃止
2008/08現在 当所へ展示
2011/03/11  東日本大震災で冠水
   

2016年 著変なし

撮影2016/08/01 遊佐 豊


2008年

撮影2008/08/24 伊藤憲一

 

◎ ロッキードF-104J 36-8535
1963/09/30 c/n3035 航空自衛隊に引渡 第202飛行隊
198305/25 第204飛行隊で用途廃止
  松島基地に展示 
(注)新田原基地の展示機46-8656に36-8535として記入している

2016年 著変なし

撮影2016/08/01 遊佐 豊


2004年

2004/07/24  伊藤憲一


キャノピーナンバー36-8585なる機体は存在しません塗装替えの際のミスと思われます

 

 

保存機
    
◎ 三菱T-2後期型 29-5176 

29-5176の経歴

1982/02/05 c/n176 航空自衛隊へ引渡  
2003/10/21 第4航空団第22飛行隊ブルーインパルスで用途廃止  松島基地に保管
2008以降 航空祭に展示

撮影2009/08/23 にがうり


撮影2008/08/24 伊藤憲一

航空自衛隊松島基地の訓練機     訓練機

◎ 三菱T-2後期型 79-5141  

79-5141の経歴

1977/04/27 c/n141 航空自衛隊へ引渡 
1996/11/19 第4航空団第21飛行隊で用途廃止
2009/08現在 前部胴体を乗員救出訓練用として保管

撮影2016/03/20 飛行浪人


撮影2014/01/06  遊佐 豊  津波による松枯れでよく見えるようになった


撮影2009/08/23 MAVRIC
0

 

過去の展示機

 

 ロッキードT-33A 51-5626
1955/08/09 c/n580-8897 US53-5558 航空自衛隊へ供与  
1965/10/11 用途廃止
  松島基地に展示
2011/03/11  東日本大震災で冠水
2016現在 展示場から撤去

ノーマーク 撮影1967/03/17 戸田保紀

第35飛行隊マーク 撮影1979/07 遊佐 豊

撮影2004/07/24  伊藤憲一 

 ノースアメリカンF-86D 84-8134
1958/09/04 c/n173-130 US51-5986 航空自衛隊へ供与 第2航空団  
1968/10/01 第2航空団第103飛行隊で用途廃止
  ▼ 海自 八戸航空基地に展示(下郷資料による)
  松島基地に展示
2011/03/11  東日本大震災で冠水
2016現在 展示場から撤去

第3航空団マーク 撮影2004/07/24 伊藤憲一


第4航空団T-2の松葉マーキング 撮影 1982/07 遊佐 豊


第103飛行隊マーク 撮影 1980/07 遊佐 豊  AIR JAPAN 43号から転載 

× 三菱T-2前期型 59-5109 撮影2004/07/24  伊藤憲一

59-5109の経歴

1975 c/n09 航空自衛隊へ引渡 
1993/03/31 第4航空団第21飛行隊で用途廃止
1968/06/07 当所へ展示
2008/08現在 展示場から撤去

× ノースアメリカンF-86D 04-8200

× F-86D 04-8200の経歴

1960/09/28 c/n190-427 (US52-4024)  航空自衛隊へ引渡 04-8200 
  2W103Sq 3W102Sq 101Sq 2W103Sq
1968/06/07 2W103Sq 解隊
1968/10/01 用途廃止  下記航空祭で展示後そのまま松島に留め置かれたものと思われる
1969確認 松島基地へ展示
1977確認 磐梯グランドホテルへ展示

撮影1968/08/18 松島航空祭 戸田保紀

 

上記写真の1年後 1969年 松島基地常設展示機に (#109は東京都旧都立工科短大 へ)

撮影1969/07/27 松島航空祭 戸田保紀

 

× シコルスキーH-19 81-4706 

81-4706の経歴

1958/12/26 c/nM55-002 US55-1225 航空自衛隊へ引渡  
1973/01/11 用途廃止   
  松島基地へ展示  撤去時期不明

撮影1974/07/28  伊藤憲一