| ◎ JR仙石線鹿妻駅前三菱T-2後期型 69-5128 
			
			
				| 1976/07/02 | c/n28 航空自衛隊へ引渡  第22航空隊 |  
				|  | ブルーインパルスで用途廃止 |  
				|  | 各地巡回展示 奈良市あやめ池参照 |  
				|  | JR仙石線鹿妻駅前へ展示 |  
						| 2011/03/11 | 東北大震災 |  新 2020年 
					
					
					 4年前と比べて殆ど状態は変わりません。松島基地か東松島市が定期的に手入れを行なっているのかも知れません。 
					撮影2020/01/06 伊藤憲一
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  2016年 
					2013年
					 現役機を思わせる濃い色合いと艶あり状態で、3年前の投稿時と比べてむしろ良くなっているように見えます。定期的に手入れをしているのかもしれません。ただ、細かいステンシル文字類は3年前の投稿時同様、ありません 撮影2016/01/14 伊藤憲一
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					 2007年10月の時よりも外観に光沢があり、良くなっているように見えます。胴体下面の白い細かいステンシル文字は全てなくなっています。塗装し直したのでしょう。(このあたり一帯も津波に襲われたはずですが台座にはその痕跡が認められません。清掃したものとも思われますが、詳細は不明です。)
 撮影2013/01/10 伊藤憲一
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 2011年3月11日東北大震災後の状況 
			2007年
									 松島市JR鹿妻駅前のT2ブルーですが、個人の方のブログに掲載されています。
 http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/34497325.html(2019/12 ブログ終了) 
									
									
									 このブログの方は金華山で地震と津波に遭遇し、鮎川から石巻を通り東松島までの行程を記録されていますが凄惨の一言です。改めて災害の恐ろしさを認識しました。10年近く前にこの辺一帯をとても楽しんで旅した思い出があり、胸がつまる思いです。 佐伯さんが言っているように、松島基地や被災市民を元気付けるモニュメントになって欲しいと思います。
									(2011/04/16 小規模板工房) 
 
															撮影2007/10/10 :伊藤憲一
    
 
    
															
															後部胴体下部右側の一部です。改めて見てみると、ステンシル文字が細々と記入されています。
 
  
  
					 下から見た、右主翼の位置灯(緑)です。よく見ると空の光が透けて見えます。この部分は、主翼に穴が開いている(強度を受け持つ部材がないという意味で)ことが分かります。確かF−104も同じような構造だったと思います。それだけ主翼が薄いのでしょう。強度設計上、設計者は苦労するところなのでしょうか。知りたいところです。
  
					2004年
 
 撮影2004/02/26  伊藤憲一
 
   
 
					2003年
 
					撮影2003/11/29  Ogurenko
					
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