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航空歴史館
カーチスC-46Dコマンドの引退
撮影1978/03/22 航空自衛隊入間基地 tamanegi
tamanegiさんのご家族のアルバムにある写真です。添え書きはラストフライトとあるそうです。 カーチスC-46は、ダグラスC-47よりも搭載量が多く、第二次大戦中は連合国で重用されましたが、戦後製造元のカーチス社が倒産して部品補給が困難になり寿命を縮めてしまいました。しかし日本の航空自衛隊は輸送、空挺降下、フライトチェック、ECM訓練機としてこれをほぼ完全に使いこなしました。C-1とYS-11にその座を譲るまで23年間も飛んで います。 最後の機体の引退は1978年3月22日でした。この日、美保の飛行点検隊C-46D 91-1138と入間の電子訓練隊EC-46D 91-1145が入間基地で最終飛行を行いました。 (解説 佐伯邦昭 )
tamanegiさんのご家族のアルバムにある写真です。添え書きはラストフライトとあるそうです。
カーチスC-46は、ダグラスC-47よりも搭載量が多く、第二次大戦中は連合国で重用されましたが、戦後製造元のカーチス社が倒産して部品補給が困難になり寿命を縮めてしまいました。しかし日本の航空自衛隊は輸送、空挺降下、フライトチェック、ECM訓練機としてこれをほぼ完全に使いこなしました。C-1とYS-11にその座を譲るまで23年間も飛んで います。
最後の機体の引退は1978年3月22日でした。この日、美保の飛行点検隊C-46D 91-1138と入間の電子訓練隊EC-46D 91-1145が入間基地で最終飛行を行いました。 (解説 佐伯邦昭 )
C-46D 91-1138
91-1138は、有効飛行時間を2時間残してこの日を迎え、入間から浜松へ飛んで同基地に保管されました 今は広報館の庭に展示してあります 。 浜松広報館にて 撮影2005/05/14 佐伯邦昭
EC-46D 91-1145
EC-46D 91-1145は、最終フライトの後、入間基地の展示機となりました 。なぜか機首レドームを取り外してあります。 入間基地 旧展示場 撮影2002/11/3 FA300 入間基地 新展示場 撮影2004/06 YUSIS
交替するC-1が編隊で飛行
C-46の引退に寄せて
1 にがうりさんから
私も昔のカメラ、勿論望遠レンズなどない時代に飛行中のヨンロクを撮っていたので送ります。撮影日時はぜんぜん分りませんです。計器板もどこかの航空祭で撮ったものです。 もっと大昔S31〜32年頃は習志野演習場でヨンロクからの空挺隊降下が高校の授業中に見えました。時には3機編隊で飛んで いました。
2 かつおさんから
C−46はC−47と並び私の好きなき双発機です。20年ほど前にアメリカのWilliamsというマイナーメーカーの1/72で作ったことがあります。それを航空自衛隊機塗装で仕上げましたが 、そのシリアルをみると、1978年3月22日に引退飛行した機体と同じ同じ91-1138でした。 尾翼の赤白のチェックマークに苦労したことが思い出されます。このモデルはその後美保基地で働いていた元隊員さんに強引に“拉致”されてしまいました。 その後また作りたくなったものの、キットが手に入らず諦めていたら思いがけないところで入手できました。早速作り始めたものの塗装直前になってノーズの着陸灯の透明部品の欠落に気づきました。不透明なら何とかなりますが、透明でしかも表面ぴかぴか、ツルンツルンはなかなか難しく、工作は主要部組み立て完了後頓挫状態です。 この部品が解決できれば再開するつもりですが・・・・。
C−46はC−47と並び私の好きなき双発機です。20年ほど前にアメリカのWilliamsというマイナーメーカーの1/72で作ったことがあります。それを航空自衛隊機塗装で仕上げましたが 、そのシリアルをみると、1978年3月22日に引退飛行した機体と同じ同じ91-1138でした。
尾翼の赤白のチェックマークに苦労したことが思い出されます。このモデルはその後美保基地で働いていた元隊員さんに強引に“拉致”されてしまいました。 その後また作りたくなったものの、キットが手に入らず諦めていたら思いがけないところで入手できました。早速作り始めたものの塗装直前になってノーズの着陸灯の透明部品の欠落に気づきました。不透明なら何とかなりますが、透明でしかも表面ぴかぴか、ツルンツルンはなかなか難しく、工作は主要部組み立て完了後頓挫状態です。 この部品が解決できれば再開するつもりですが・・・・。