1944年、首都防衛のため今の東武東上線森林公園駅の南側(旧地名は唐子、宮前)に飛行場の建設を開始し、そのために東武東上線を北側に大きく迂回させました。
飛行場が完成していたのか、部隊や飛行機があったのかどうかは不明です。地元では唐子飛行場と呼んでいます。
航空写真による関東松山飛行場と誘導路、東武東上線(新旧)など 提供:滑川町役場
飛行場の西側から、飛行機を森林に隠蔽するための無舗装の誘導路を2本建設し、南誘導路は撤去した東上線の線路を利用し、車輪が接地する地面には軌道の砂利を敷いていました。
誘導路跡 提供:滑川町役場
その正方形に近い跡地(約200f、旧地名は唐子、宮前)は、戦後、農地に開拓して、地名を都と改め、現在は東松山工業団地となっています。その経緯を示す石碑が松山開拓都会館に建てられています。
松山開拓都会館の石碑 撮影2015/10/18 れすお Google
Earth N36°02′ E139°22′