上里町と本庄市にまたがる児玉開拓地、現児玉工業団地の由緒
児玉飛行場乃跡碑 上里町嘉美1184 撮影2015/10/18 れすお(以下同じ)
児玉飛行場乃跡碑裏面抄録 |
1942春 |
飛行場建設に着手 八十八反の飛行場と呼ばれる |
1943/10 |
熊谷陸軍飛行学校児玉教育班設置 九五式一型練習機で教育開始 |
1944/04 |
児玉教育隊と改称 特別操縦見習士官養成 |
1944/08 |
第一練習飛行隊編成 ジャワへ移駐 |
1944/10 |
児玉基地と改称 第四十四飛行場大隊配備 特攻基地化 |
1945/03 |
八日市から第四教育飛行隊が移駐 特攻振武部隊 |
1945秋 |
残留隊員等によって農地開拓 |
第十五輸送飛行隊、第四教育飛行隊各鎮魂碑、焼夷弾残骸、慈母観音像など配置
旧兵舎の一部 現在は公民館として利用 上里町嘉美1273
児玉飛行場排水路の蓋 本庄市共栄 Google
Earth N36°13′ E139°08′で確認できます
靴先から穴の大きさが分かります 延長約200m
宝蔵寺の機銃掃射を受けた石燈篭 上里町大御堂737