大戦中に配備された機種が零式艦戦などでしたが、これと同じような光景が見られたのでしょう。撮影は1983年の12月。ちなみに私は18歳でした。
飛行前の写真では、手前の機の機長がプリーフィングを行なっている。HSS-2の搭乗員は4名なのですが、この時は候補生(航空学生)が同乗するために5名が搭乗。
右の消火器隣りにいる整備員は護衛艦「しらね飛行科」所属で、支援要員として一緒に列線作業を行なってました。おそらく戦時中もこのように陸上航空部隊で空母部隊の搭乗員や整備員などが入り混じって飛行作業を行なっていたのでしょう。
飛行後の写真は、エンジンやミッション回りの点検とグリスアップを行なっている。
飛行前でも同様の点検を行ないますが、この時に点検パネルを開けるのに重宝するのが柄の短いスタビータイプのマイナスドライバーで、列線整備員は必ず身に付けています。
これは、新米が現場で先輩に付いて整備の修行を行なっていると、一人前?と認めらた時にプレゼントされる伝統的なもので、柄にはパラシュートの紐が結び付けられてます。
航空機の整備以外にも栓抜きなど隊内生活でもいろいろな用途に活用してました。このドライバーをブラ下げていることが列線整備員であることの誇りでした。
戦時中、陸海軍の戦闘機パイロットなどが航空時計に落下傘の紐を付けて首から下げている写真を見かけますと、時計は貴重品だしネジも巻かなければならないなどの理由の他に、これも何かしらの伝統があったのでしょうね。
海上自衛隊の場合、搭乗員は航空士と呼ばれる航空電子整備の特技マークを持つ要員が乗り込みますが、列線整備経験者から航空士になった人は整備をすることは無いのですが、宝物のようなドライバーを飛行作業中は持ち歩いているようです。
戦時中や戦前の飛行機はマイナスのネジしか使われてませんでしたから、整備員の伝統としてこのマイナスドライバーは現在に受け継いでいるのでしょうか?
(2008/06/08記)
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