パイパーL-21B (民間名称PA-18-135) JA3272の経歴 作成:佐伯邦昭
1951 |
製造番号18-2756 米陸軍シリアル53-3756 |
1953 |
保安隊へ供与 全62機 |
1953 |
陸上自衛隊へ移行後 シリアルJG12016となる |
1966/06/24 |
日本赤十字社へ払い下げ 全14機 日赤航空隊編成 本機はJA3272となる |
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以後 個人所有変遷 定置場も龍ヶ崎、大利根、関宿など |
2003 |
関宿滑空場名義となる |
2004/12 |
JA3272抹消登録 |
本機にまつわる思い出:
この機体を曳航機として関宿で運用を始めたのは、たしか1981年ごろだと思います。その頃わたくしはまだ駆け出しのグライダーパイロットでしたが、何でも飛びたい盛りで、「黄色い飛行機も良さそう」と、飛行機のライセンスを米国チノ飛行場で取得しました。一般の小型機はノーズ車輪式がほとんどですが、それは地上滑走、離着陸がずっと容易だからです。米国などで誰でも飛行機のライセンスが取れるのは、そのためです。
1999年関宿で 筆者撮影
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L-21Bも含め、「尾輪式」の車輪配置では根本的に滑走中の方向安定がなく、滑走中に少しでも注意を怠ると針路がはずれ、悪くすると「グラウンドループ」といって、飛行機全体が水平にくるりと廻されてしまいます。悪くすると主翼も接地してしまいます。尾輪式機が壊れてしまう大半の原因はこれによります。これが普通の人とを分ける「関門」です。
現在日本で尾輪式ヒコーキを運転できるのは、合わせても50人くらいでしょうか。航空局の試験官には1名もおりません。ということで、特に着陸では、接地の際に「バウンド」せずにぴたりと降ろすことができるまで、相当練習しました。たぶん着陸は500回ぐらい訓練したと思います。また横風にも相当神経を使いました。
関宿滑空場は、雨のあとは路面が軟弱になりがちなので、低圧タイヤ+プロペラと地面の間隔が確保できる本機は非常に重宝します。いったん上空に上がってしまえば、3舵のバランスが非常に良い、思い通りになる機体です。たしかにパイロットフレンドリーですが、エンジンが150馬力と小さいので、「お仕事」すなわち重たいグライダーの曳航には苦労しました。
操縦席のイスはとても小さいのですが、人間工学的に良くできた設計で、ほとんどの体型のパイロットに適合し、好評でした。操縦桿(スティック)のポジションも良く、今私が飛ばしている「ハスキー」とは天と地の違いです。ヒーターも良く効きます。
1999年関宿で 筆者撮影
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関宿は冬季になると風が強く、そのために「ひっくり返る」ことが起こっていますが、米国ではいまでもサードパーティから正式部品が供給されているので、修理運用は問題ありません。ただし、PA-18ではなくL-21なので、後部キャノピーの形状が独特です。私のアマチュアパイロットの修行のほとんどはこの機体ででした。グライダー、飛行機と合わせてこれまで50機種以上操縦していますが、もっとも印象に残る機体の一つです。忘れられません。下の写真は1999年冬関宿、1999年3月ごろ、群馬県板倉滑空場に私が操縦、出張した際に撮影したものです。
1998年3月板倉で筆者撮影
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PS Tiger-02の写真は、英国ケントにある「Tiger
AHub」でデハビランド・タイガーモスの操縦訓練をしたときのものです。2000年6月でした。