真名飛行場
1 国土交通省ウエブマッピングシステムから
茂原市には、旧茂原海軍航空隊の飛行場がありましたが、1970年に建設された茂原飛行場は、1947年撮影の空中写真で見る限り滑走路等の痕跡はなく、農地として開墾された土地のように伺えます。
2 SPORTS AVIATION
1970年8月号「茂原エアポート10月オープン」の記事から
離着陸場の名称 |
茂原エアポート |
所在地 |
茂原市真名平台1741 |
管理者 |
京葉航空機 |
標高 |
370ft 110m |
着陸帯 |
A 65×25m 02/20
B 450×25m 16/34 |
記事 |
1969年末から臨時離発着として使用 1970年10月オープン予定 |
ここで、初めて飛行場(場外離着陸場)のことが雑誌に姿を現します。同誌には京葉航空機の佐々木久人社長がセスナとアメリカンヤンキーAA-1を従えた形で立っている飛行場の写真と小型機のメッカになるような10年後の将来図が載っています。名称は茂原エアポートです。
3 SPORTS AVIATION 1972年12月号 各飛行場紹介から
場外離着陸場の名称 |
茂原飛行場 N35°28′ E140°16′ |
所在地 |
茂原市 |
管理者 |
京葉航空機 |
標高 |
370ft 110m |
着陸帯 |
A 550×25m 02/20
B 450×25m 16/34 |
2から、2年後のリストで、名前が茂原飛行場になり、A滑走路(02/20)が550mに延長されています。
4 国土交通省ウエブマッピングシステムから 画像処理大石治生 滑走路ラインと文字は佐伯邦昭
3から、2年後の撮影ではB滑走路(16/34)から誘導路を介して建物があり、ここが管理事務所や格納庫だったと思われます。
しかし、京葉航空を佐々木社長から引き継いだ川戸社長が航空事業から撤退し、ゴルフ場として真名カントリークラブを開設したため、飛行場は消滅しました。閉鎖時期は不明です。
なお、京葉航空(航空使用事業免許付)は、藤田寛望氏が譲り受けて本社を東京に移し、その後鹿児島空港の新日本航空として継続してしています。
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