朝日新聞社のドルニエ コメット (資料によってまちまちなので正確性は保障できません)
経 歴 |
1923(大12)/01 |
朝日新聞社が旅客輸送業務の東西定期航空会を結成 |
1924(大13) |
川崎造船所飛行機部がドルニエ社からコメットの陸上型Do.Cと海上型Do.D各1機を輸入 |
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陸上型を軍用機に改造したが不採用となり、朝日新聞社に譲渡した
下記 朝日第101号 J-COFH → J-BANAと思われる |
1927(昭2)/01/01 |
朝日新聞が川崎にコメット陸上型2機発注をトップ記事で発表 |
1927(昭2) |
川崎造船所飛行機部がコメットDo.Cをノックダウン生産
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1928(昭3)/05 |
朝日第101号 J-COFH → J-BANAを朝日新聞社に引渡 |
1928(昭3)/06 |
J-COHJ → J-BAMA(上記写真)を朝日新聞社に引渡
朝日第103号 J-BADA → J-BAHAを朝日新聞社に引渡 |
1928(昭3)夏以降 |
東西定期航空会の東京〜大阪の主力旅客機として活躍 |
1929(昭4)/03 |
東西定期航空会解散、朝日定期航空会機として東京〜新潟に就航 |
1935(昭10)以降 |
朝日新聞社の空飛ぶ編集室として活躍 |
1936(昭11) |
朝日第102号 J-BAMAを東京朝日新聞社屋上に展示 (撤去時期不明) |
Do.C 寸法性能 |
全幅 |
19.60m |
全長 |
12.10m |
全高 |
3.48m |
発動機 |
J-COFH ロレーン400HP → ネピア・ライオン450HP
他の2機 BMW-6 水冷V型12気筒 500HP/1420rpm 後600HPに換装 |
プロペラ |
木製固定 直径3.00m |
全備重量 |
約3700kg |
乗員/乗客 |
2/4〜6 |
最大速度 |
約195km/h |
航続距離 |
約1100km 6.5時間 |
なお、朝日の3機のドルニエ コメットについては、3機説と4機説があります。
〔3機説〕 1機は、川崎造船所飛行機部が研究のために輸入した数種類のドルニエ機の中のコメット陸上型を陸軍向けに改造してみたが、採用されなかったので、朝日に譲渡し、
他の2機は朝日の注文で部品を輸入し各務原でノックダウン生産したという説
その根拠は、1927(昭2)年元旦に朝日新聞がトップ記事で「総金属製のドルニエ コメット型単葉輸送機二機の整備計画」を公表しており(日本航空史昭和初期編 P605)、東西定期航空会の活動を伝える文献では、ドルニエ コメットは3機という数字しか出てこないからです。
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〔4機説〕 1機は、川崎造船所飛行機部が研究のために輸入した数種類のドルニエ機の中のコメット陸上型を陸軍向けに改造してみたが、採用されなかったので、朝日に譲渡し、
朝日は更に3機を注文し、川崎が各務原でノックダウン生産したものという説
その根拠は、朝日新聞社の絵葉書に「新たに三壹増備した」と説明してあることですが、三壹増備というのが、1+3=4なのか1+2=3なのか断定はできませんが、言葉のニュアンスとしては1+3=4に近いものと思います。
絵葉書提供:横川裕一
また、ウイキペディアのドルニ
エコメットによると、Do.Cの朝日新聞譲渡機のナンバーを朝日第46号 J-BAEAとし、第101号J-BANA 第102号J-BAMA 第103号J-BAHAを加えて4機としています。 |
ウイキペディアのJ-BAEA説は、ヒコーキの会機関紙CONTRAIL
110号に上甲 昇さんが書いているEuropian Transport Aircraft S.1910のJ
ストラウド氏の記述にあるというJ-BAEAというのを鵜呑みにした人がおり、それを孫引きしているものと思います。しかし、上甲さんは断定していないし、BADAが後にBAHAに変えられたように、そのBAEAもBANAかBAMAのどちらかに変わったのではないかとの疑問が残るとしています。
結局、彼も3機なのか4機なのか決め手がないとして情報を求めているのですが、資料の最大公約数を取って、朝日新聞社の所有で東西定期航空会に就航したドルニ
エコメットは、次の3機ということにしておきます。
朝日第101号 |
J-COFH → J-BANA |
J-BAEAを間に挟んでいた可能性も |
朝日第102号 |
J-COHJ → J-BAMA |
J-BAEAを間に挟んでいた可能性も |
朝日第103号 |
J-BADA → J-BAHA |
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参考文献
日本航空史昭和初期編(1975年日本航空協会)、日本航空機総集川崎篇
(1966年出版協同社)、国枝実著わが回想の飛行機(1975年朝日ソノラマ)、上甲昇筆満州航空史中の東西定期航空会
CONTRAIL110号、日本の航空50年(1960年酣燈社)