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写真で見る東京国際空港の歴史 History of Tokyo International Airport seen with a photograph

[58-4]  ツポレフTu-104飛来、エールフランスの北極回り路線開設 5
 


ツポレフTu-104
@ CCCP-几5442 CCCP-几5445の到着
A CCCP-几5442 CCCP-几5445の到着
B 参考 航空情報85 1958年6月号 グラビアより
C CCCP-几5442の離日 
D CCCP-几5444  モスクワ芸術座輸送
エールフランスの北極回り路線開設 E 試験飛行及び一番機の見送り風景
 

 

レニングラード交響楽団とモスクワ芸術座を乗せてきたツポレフTu-104双発ジェット旅客機


 大東亜戦争後、本格的な芸術や娯楽に飢えていた日本にドンコサック合唱団、ウイーン少年合唱団、レニングラード交響楽団、ピカソ展覧会、ボリショイサーカスなどを迎え入れて、興奮の渦を巻き起こした神がかり的な興行師、その名は彰でした。

 その一つのレニングラード交響楽団は、ソ連政府の宣伝政策もあって新鋭のツポレフTu-104双発ジェット旅客機で送りたいという条件がつき、まだ米軍の影響が強い日本の空の管制下で実現が危ぶまれましたが、またもや神さんの神がかり的な奔走によって、1958(昭和33)年4月12日(土曜日)2機のツポレフTu-104が東京国際空港へ飛来したのでした。

 日本政府としては、国交のないソ連からの要請に対して、航空士と無線士を乗せることを条件として羽田乗り入れを許可し たのです。2機のTu-104に乗るためにモスクワへ行かされた(実にうらやましい)顔ぶれは次の人々でした。
 航空局  航務課長亀山忠直 同管制官泉靖二
 航空自衛隊  美保派遣隊原田喜代治三佐  空幕 防衛課荒井勇次郎三佐

 交響楽団一行を降ろしたTu-104は、この音楽会を主催した朝日新聞社による航空関係者の機内見学会とデッキからの一般見学会(1千人)などに開放し、蒲田警察署などによる徹夜の警戒をうけた翌13日(日曜日)淡路人形浄瑠璃一行21人を乗せてモスクワへ帰りました。

 レニングラード交響楽団は、1か月以上にわたって全国を公演し、5月21日淡路人形浄瑠璃一行を積んで再来日したTu-104によって日本を離れたのでした。

 さて、そのTu-104の来日を伝える実写及び航空情報誌によりますと、次の3機のナンバーが確認できます。

CCCP-几5442(初来日) 
CCCP-几5445(初来日) 
CCCP-几5444(上記以外の日) 

                                                     佐伯邦昭記

@ Toshiyukiさんのアルバムから 提供かかし













付記


この写真機は【ZORKI 4】です  かつおさんから

 日本にキャノン、ニッカ、ニコンなどとライカやコンタックスを模倣したカメラがあるようにソビエトは、戦後ドイツ人光学技術者・施設をごっそり持ち去りライカ、コンタックス類似のコピーカメラを多く作りました。パイロットが持っているカメラはその中の【ZORKI 4】です。(下記写真参照)

 私もかつてのカメラ・コレクションにこの古い型やコンタックスのソックリさんのキエフなども持っていましたが、身辺整理で総て処分しました。







ZORKI 4 撮影かつお

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A 我が家のアルバムから 提供PAPPY To













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B 参考 航空情報85 1958年6月号グラビアから  3 

(キャプション) 着陸してタキシングするTu-104


(キャプション) 正面



(キャプション) 離陸のスナップ 滑走距離の短さが注目を引いた



(キャプション) 尾部 数字の上の窓は洗面所



(キャプション) 出発直前の2号機



(キャプション) 報道陣に囲まれた1号機



(キャプション) とんだ所で東西首脳会談 さすがのDC-7CもTu-104の人気の前には影がうすく、この勝負
完全に東の勝


C CCCP-几5442 レニングラー交響楽団の離日 

撮影1958/04/27 ET


                                                             TOP


D CCCP-几5444                        5

 ツポレフTu-104はソ連初のジェット旅客機で、Tu-16(バッジャー、1954就役)爆撃機を改造したものです。
 1956/09初就航したわずか2年後に来日し、当時ソ連機は鉄のカーテンの後遺症があって秘密のヴエールを剥がすようなワクワク感があり、学校をサボッテても見たかったものでした。 

 そのジェット音は身近で聞くと、とてつもないキーン高音と噴射ガスの石油ストーブ1000台をいっぺんに燃やしたような臭いにたまげました。  機内騒音のひどさもその後の日本人乗客リポートでも読みました。

 写真は、モスクワ芸術座一行を乗せて飛来したもので12:31に着陸し、15:00に離陸しました。航空情報は、Tu-104の通算3回の訪日飛行を無事終了したと報じています。(1959年4月号)

撮影1959/12/02 モスクワ芸術座一行を乗せて飛来 CCCP-几5444 にがうり

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エールフランスの北極経由路線開設   6

エールフランス ロッキードL-1649A スーパーコンステレーションの試験飛行

航空情報1958年3月号



一番機の見送り風景

ロッキードL-1649A 撮影1958/04/27 F-BHBT ET




高松宮ご夫妻がご搭乗 皇太子殿下がお見送り


この日は、レニングラード交響楽団を乗せて帰国するTu-104が目的でした。C参照

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