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写真で見る東京国際空港の歴史 History of Tokyo International Airport seen with a photograph


[60-2] 1960年全日空にバイカウントとコンベアCV440登場


 


バイカウント744 全日空 1号機 東京国際空港到着時の模様 
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                                航空情報1960年9月号から転載



 全日空は、初めてのタービン機の技術習得のために神田機長ほか1名をビッカース社に派遣し、この機体に乗って帰国しましたが、念のためビッカース社から操縦士1名と整備士4名を招聘しており、その英人パイロットが着陸前に3発停止や派手な旋回などをやって、バイカウント旅客機の優秀性を披露し ました。 

全日空1号機 G-APKJ


バイカウント744 G-APKJ geta-o 機首KJはブルー


撮影1960/07 全日空バイカウント744 G-APKJ にがうり


撮影1960/08/21 バイカウント744 G-APKJ Twinbeech

リース2番機 G-APKKは7月28日に到着

撮影1960/08/12 バイカウント744 G-APKK  ET


 バイカウント744は、その後の828と違い内蔵タラップは装着されてなく、後部搭乗口に地上タラップを付ける古い形式です。機体の前後ドアを開けてるのは、夏場で機内温度の低減ためと思います。当時の機体は地上のエンジン停止時の機内空調はありません。(にがうり)

拡大 イギリスのナンバーで就航

拡大 機首ナンバー KKは黄色

拡大 ホバート自走式電源車 車上にDC(28V)発電機を積んでいます。


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コンベアCV440 ダグラスDC-3 デハビランドDH1044

撮影1960/07/12 全日空コンベアCV440 JA5053 戸田保紀


撮影1960/02/07 全日空コンベアCV440 JA5055 戸田保紀 黒い帽子は係長以上

CONVAIR社マーク

撮影1960/07/12 全日空 ダグラスDC-3 JA5027  戸田保紀 日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史JA5027参照


撮影1960/04 全日空 ダグラスDC-3 JA5039  戸田保紀
           ドラム缶から給油? 日本におけるダグラスDC-3 1951年以降の歴史JA5039参照



撮影1960/02/05 戸田保紀

手前から
・ デハビランドDH104-1B JA5006 全日空
・ デハビランドDH104-1B JA5003 全日空
・ デハビランドDH104-5A JA5023 日本遊覧

 この3機は、たぶん東京〜八丈島線(全日空2便、日本遊覧1便)に就航していたものと思いますが、全日空はこの1960年にフレンドシップを入れたために余ったDC-3を八丈島線に投入し、日本遊覧もヘロンに切り替えましたので、ダブは羽田から姿を消しました。

 エプロンとBランの間を工事中で、遠くはスモッグで霞んでいます。4年後のオリンピックを控えて、絶え間なくいたるところ工事中の東京を象徴する風景でした。


シコルスキーS-55C

撮影1960/04 全日空 シコルスキーS-55C JA7055  戸田保紀


右に見えるボンネットバスの改造車は何でしょうか? プロペラ運搬用かもしれないという人もいますが、はて?  


答え

  ベル47D-1のフランクリン エンジンの試運転台

 全日空が、伊藤忠航空整備に作らせたヘリコプターのエンジンの試運転台を載せたバスです。

 ベル47D-1のフランクリンエンジン専用で、A型のフレームの間に水平対向6気筒を垂直にプロペラ軸が上に向けて装備してムリネがつきます。バスの後ろの木製のA型はそのモックアップです。
 
 また別にパイプ組のものが見えるのは、機体のエンジン取り付け部分フレームの修理用の冶具で、機体構造のパイプのゆがみやまがり、時には切り継ぎ溶接で作業していたということです。

(注) ムリネとは、エンジンの台上試験運転(実機装着状態ではない)で、エンジンの各種データ確認とか試験運転の時に使う「特製プロペラ」です。固定ピッチの見た目も実機用とは違いブレードの短くごつい感じです。どのエンジンでも新造完成時や修理、オーバーホール完成時の性能確認で台上運転する時の専用「プロペラ」です。

・ フランクリン エンジン Franklin 6V4-200-C32 水平対向6気筒  200HP 3100rpm

水平対向エンジンを立てて取り付ける 撮影2002/11/27  交通博物館 佐伯邦昭