ラウンドハウスの上に万国旗がはためき、華やかな風景から、新ターミナルビルが定着した1960年前後の撮影と思われます。T55-2 東京国際空港ターミナルビル開館
とともにご覧ください
撮影 1960年前後と推定 北田尚夫
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拡大してみると、1955年の開館当時にあった右の一般見学入場口がなくなり、左の団体見学入場口に統合されています。
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入場券 提供 Twinbeech
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撮影1960/07/12 左端のダブから降りた客が到着ロビーへ向かう
戸田保紀
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撮影1960/07/11 盛夏の団体
戸田保紀
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クリスチャン
ディオールが開発したAラインが日本の女性に大流行していました。最近の珍奇な女のスタイルが足元にも及ばない優雅なデザインにほれぼれします。それにしても和服のオバサンと手拭のジャパニーズスタイルのオジサン達は何の団体でしょうかね?
撮影1960/02/05 戸田保紀
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〇 東京国際空港ターミナルビル
古い話しになりますが、経済成長が止まって税収が伸びなくなると決まって民間活力の活用という言葉が流行りました。近年は、指定管理者制度などと称して建設から管理まで一切を入札で決めたりするようになりました。
1955年に完成した東京国際空港ターミナルビルは、戦後の大掛かりな民間活用の第一号でした。
「世界にも類例の少ない純民間資本による空港ターミナルビル」(東京国際空港ターミナルビル50年史)は、米軍管理下の制約に泣かされて来た運輸省の自主独立のターミナルビルをつくりたいという強い欲求にも拘らず、予算要求をことごとく大蔵省につぶされたあげくの窮余の策として生まれたものです。
本来、国が建設すべき空港事務所、管制塔、気象台、出入国検査施設、税関、検疫までを含めて一切を日本空港ビルデング株式会社に建設させて、あとで買い取る或いは賃借するという方式は、この羽田から始まったのであります。そして、その成功が、各地の飛行場に第三セクター方式のビルが生まれるモデルになったのです。
予想もできない大量輸送時代に遭遇して既に初代ターミナルビルの姿はありませんが、当初の平面形は国際線の拡張を想定してのなかなか優れたものであったと思います。これは、開館7年後の拡張についてAviation
Week誌が報じたものです。
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航空思想の普及を願うマニアサイドとしては、特に、オープン後5年間で見学者が1100万人を超えたという送迎・見学デッキの2階歩廊(400メートル)と3階航空教室は、今でもそのようなものがほしいなあと思わせるものがありますね。入場券販売と遊覧飛行受付のラウンドハウスは、大昔の羽田飛行場にあった待合室を想起させます。
近年、警備を理由にして見学者を遠ざけようとする無粋な航空行政がまかり通っているだけに、機能や保安一辺倒の中にも、何か工夫がないものかとオールドマニアは思うのであります。