思い出 1959年西武池袋本店のヘリポート 西武スカイステーション開港
西武スカイステーションの歴史 出展:ホームページ西武グループの歴史 及びシーナさんの調査
1959/07 |
西武が朝日ヘリコプターに資本参加・・・朝日航洋50年史
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1959/09/12 |
池袋西武百貨店屋上に世界最大級の屋上ヘリポート「西武スカイステーション」開港 |
1963/06 |
店内工事中に出火、屋上に避難した従業員等を朝日ヘリが立教大学まで輸送 この火災がヘリポート閉鎖のきっかけになった模様 |
1963/08 |
池袋西武百貨店屋上ヘリポート閉鎖・・・朝日航洋50年史 |
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以下 グラビア拡大
着陸 フロートの文字は西武ヘリポート
海上自衛隊のシコルスキーHSS-1の1号機らしい この塗装の写真は貴重です
以後、常駐したと言われる朝日ヘリコプターの川崎ベル47G-2 ‥をバックに鰐淵姉妹がテープカット
鰐淵晴子、朗子姉妹の写真は、戸田保紀さん提供 |
消火活動のデモンストレーションでしょうか レ-ダーアンテナ(単なる展示品)
伊藤音次郎 横山秀子(3年前に米軍のT-33Aを操縦) 小橋良夫(兵器ジャーナリスト)
回想 航空ファン編集長 三井一郎さん
小学生のころ、東京に出た折、親にせがんでヘリポートを見に行き、風圧で吹き飛ばされそうになった覚えがあります。
長野の田舎に住んでいた子供の私も知っていたのですから、当時は相当話題になると同時に人気のある施設だったのだと思います。たしか、西武デパートの包装紙はヘリコプターの絵柄でした。
思い出 西武スカイステーションで行われた行事から
(1) 写生大会 撮影H
o r n e t
シコルスキーH-19C 40020 第1ヘリコプター隊
ノースアメリカンF-86F 62-7508
F86F-40 62-7508の経歴
1956/11/05 |
c/n227-110 US55-3925 航空自衛隊に引渡 |
1959/09 |
西武スカイステーション開港にあたり池袋西武百貨店屋上に展示 |
1960/08/10 |
用途廃止 浜松基地に保管 |
1981/05/27 |
三沢基地に展示 |
朝日ヘリコプターの川崎ベル47G-2 JA7046(左) JA7026(右)
萩原JHX-5 ラムジェットヘリコプター 周囲の金網は離着陸時に電動で外側へ倒す仕組み
アンリファルマン
時期を各機体の経歴からの推定 (佐伯)
@ ノースアメリカンF-86F 62-7508は、1960年8月10日に用途廃止となり、浜松基地に保管して、各地の展覧会などへ貸し出し。現在は三沢基地のモニュメントとして恒久展示。
A 川崎ベル47G-2 JA7046は、1962年6月1日に北海道でクラッシュ。
B アンリファルマン機は、1960年9月18日の航空ページェント(羽田)で米軍から返還。
C 萩原JHX-4は、1956ないし1958年に製作されたと言われている。
D 陸上自衛隊H-19C 40020は、1974年に用途廃止。
47G-2とH-19Cは現役機が飛来したものであり、F-86Fは退役機を浜松から運んだものと思われます。
よって、@、B及びAの日付の中間であり、人々の服装から見て1961(昭和36)年の夏休みと推定されます。
(2) 空の日関連行事か? H-19C飛来 撮影geta-o
1961年9月17日(日曜日)の撮影です。このときもF-86Fは62-7508でした。ただ陸自のH-19は40015です。想像ですが西武百貨店の屋上では航空日近くに展示会が行われていたのだと思います。ちなみに1961年の当日はファルマン機の展示はありませんでした。
左右の金網が倒してあるのがわかる
朝日ヘリコプターの川崎ベル47G-2JA7026
朝日ヘリコプターの川崎ベル47G-2 JA7046
(3) F-86Fのガンベイパネルをはずして展示 撮影にがうり
F-86Fのガンベイパネルがはずしてあり、興味を持って写しました。その日が写生大会であったかどうかなどは覚えていません。
日替わりメモ090926番
○ 西武スカイステーション開港
池袋西武百貨店のヘリポートについてお尋ねしたところ、またたく間にたくさんの情報を頂きました。ありがとうございました。
知る人ぞ知るの存在どころか、当時相当の話題を提供した施設であったことを知りました。シーナさんが見つけてくれた日本ヘリコプター協会の50年史http://www.helijapan.org/general/sjac051.pdfの空撮写真にHマーク、S
E I
Bの標識、ベル47系2機とS-55系1機が見えます。なるほど、世界最大級のうたい文句に相違ないですね。
素人には、当時の建築審査や航空局の検査に問題がなかったのか、店内に騒音が響かなかったのか、事故ったら国鉄、西武、東武の駅が被害を受けるのではないかといろいろ心配なことが浮かびます。
ちなみに、東に700メートルほどの高さ240メートルのサンシャインビルはまだ姿を見せていないうちにヘリポートは廃止されました。
池袋といえば百貨店の激戦地として有名でした。それを航空史から見ると
・ 1959年 西武百貨店がスカイステーション開港
・ 1970年 東武百貨店が中元商戦でダグラスDC-3
JA5078のオークションを実施
・ 1980年 三越百貨店で日本の航空70周年記念航空博覧会を開催
と、10年ごとに航空関連の出来事がありました。三越はこの5月で閉店しましたが、生き残っている2デパートは、日本の航空100年に向けて盛大なイベントを企画してくれないものでしょうか。
日替わりメモ090927番
○ 続 西武スカイステーション開港
geta-oさんから、1961年9月17日(日曜日)と日付がはっきりしている写真を頂きました。人払いし、左右のフェンスを倒して、陸上自衛隊のH-19がホバリングしています。H
o r n e tさん撮影の写生大会のH-19とは違うし、ファルマン機もなかったそうですから、そこから想像すると、ヘリポートとしての3年10カ月間にはデパートの販促もからめていろいろな行事が実施されていたのでしょう。モデルアート社1992/02/29発行「日本航空機辞典下巻」223ページにも、女優や案内ガールとおぼしき女性とともにベル47の写真が2枚載っています。
資料によると、朝日ヘリが基地にしていた所沢のヘリポートの設置者が西武百貨店になっています。とすると池袋の屋上ヘリポートは西武グループの宣伝を兼ねた前進基地という役割分担のような気がします。デパート本店の新館建設に合わせて、陸のターミナルであり且つ西武鉄道(武蔵鉄道)発祥の地に空のターミナルをと狙っていたのかもしれません。
戦時中に国の要請とはいえ、黄金列車(し尿専用貨物列車)を西武沿線に大展開しようと着手した堤康二郎さんですから、世人があっと驚く着想のひとつがこの屋上ヘリポートであったに違いありません。
黄金列車にしろ屋上ヘリポートにしろ、実施を命じられた役員社員の”冗談じゃねーぞ”という驚きや腹立ちが目に浮かびますね。儲かるものなら何にでも手を出すという堤哲学は二代目にも引き継がれますが、それが兄弟の相克になったりして没落の道をたどったことはご承知のとおり。
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