今日の11.30からTBSで「報道2019」と言う番組がありましたが,御覧になられまし
たか。
私の所に『航空情報』を通じてだと思いますが,突然写真を貸して欲しい,という
連絡がありましたのは8月でした。
TBSはかって研修で御世話になったこともありますので,ご恩返しと思って貸し出
しました。
特に司会者がどうのとかは気にしなかったのですが,最近になってやっぱり気にな
り始めて番組表を見ましたら,なんと左巻きの関口宏ではありませんか。
しまった,と思いましたが,まあいいや,今回はご恩返しだ,と目をつぶった次第で
す。
そしたら司会はともかく女のコメンテーターがやたら口数が多くて,何で選挙に落
ちたこんな女がデカい顔して喋っているのか,とすっかり不愉快になって,藤沢飛
行場への不時着事故まで見てテレビを消しました。
これとは直接の関係はありませんが,一つ今でも気になっている事がありますので,
下記いたしますので,スペースがありましたら使って見て頂ければ幸いです。
写真は良いのが見つかりませんので、とりあえず『航空情報』に載った私のU-2の
写真を添付いたします。
他にいくつかのネタはあるのですが,まだまとまっておりませんので,もう少しお
待ち頂ければ幸いです。
年末お忙しいとは思いますが,どうぞよろしくお願い申し上げます.
どうぞお身体に気をつけられて,長生きをなさってください。
来年も楽しみにさせて頂きます。
大変ありがとうございました。
戸田保紀
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六十年前/1959年の不思議な出来事
戸田保紀
「ひこうき雲」という得がたいサイトを長年運営されている佐伯さんのご苦労に,
何時も深く感謝をしている者です。
今年も大変疲れ様でした。是非来年もお元気に更新作業をお願いいたします。
12月30日にTBSが「報道2019」という番組を放送しましたが,その中にロッキード
U-2の活動に関連したいくつかのエピソードが紹介され,日本での活動も取りあげ
られました。
1959年の藤沢飛行場への不時着事件の稿では、私が撮った何枚かの写真が使われ
ましたが,TBSから写真を貸して欲しい,という依頼があったのは8月でした。
TBSは私が20代の頃に9年間御世話になった仙台の東北放送のキー局ですから,ご恩
返しと思ってどうぞお使いください,と写真を貸し出しました。
撮影者の名前は入れなくて結構です,といいましたので,放送ではクレジット無し
でしたが,私が送った5枚の写真全部が使われましたので十分と思っています。
番組の中で昔文通させて頂いた松崎幸治さんのお元気な姿を見られたのはよかっ
たのですね
この番組を皆様にご紹介しようと思ったのですが,司会が関口宏となっていました
ので,これはやめておこうとご案内を遠慮いたしました。
このロッキードU-2が離着陸していたのは神奈川県の厚木基地ですが,U-2はごく普
通に着陸していましたので,なんとなく怪しそうな飛行機だとは思いましたが,後
からわかったような大胆な飛行をする機体だとは思いませんでした。
実はそれとは別にもう60年も前になりますが,19才になったばかりの1959年11月
26日木曜日に、この厚木基地で未だに忘れられない出来事がおきます。
前月の10月には15日,22日と二回厚木でU-2の写真が撮れたのですが,11月の初めに
は宮城県の実家に一旦帰省して,その後青森県の三沢基地に二泊三日の『航空ファ
ン』の取材を行うなどで,厚木基地に出掛けるのは一ヶ月ぶりでした。
この日私は午前中に風向きを考えて,厚木基地の南側,滑走路
01の延長上の少し西
側のたんぼのあぜ道に腰掛けていました。所が天気はまあまあなのにさっぱり着
陸してくる機体がありません。一機も飛ばないんです。
どうしたんだろ,と思っていたのですが,左側の飛行場から突然「バーン」という
大きな音が聞こえてきました。私が座っていたところの近くは木が茂っていて,飛
行場の中を見ることが出来ませんが,その代わり基地の警備のガードからも見つか
らないという立地で,いつもこのあぜ道に座って待っていました。
音だけがすごく大きく聞こえたんですが,その少し後にF8U-1
クルーセイダーが,
北側から南に向けて一機離陸してきました。
私が座っていたところは飛行場の外ですから,もう機体が高くて写真を撮るには遠
すぎたので,ただ目で追うだけでしたが,その後はまた静かになって何も飛びませ
ん。
それからどれくらい時間が経ったのかわかりませんが,多分居眠りしてたんですね。
突然左側の道路から人の話し声が聞こえたんです。びっくりして顔を向けるとそ
こには3人の外人がいました。
驚いたのなんのって。「あー つかまる,逃げなきゃ」というのが最初に思い浮か
んだ事でした。
でももうすぐそこに居るんですから,今更逃げるのは無理です。
仕方ないので固まったままその3人の外人を見ていました,
一人は30才くらいの人で,もう二人は20代前半ではないかと思える若い人でした。
この三人が私が座っていたあぜ道を歩いてどんどん近づいてくるんですね。
先頭を歩いていた外人と目が合ったその瞬間,その外人は「ハーイ」といいながら
手を上げて,そのまま私の背中を越えて南の方に行ってしまいました。。
「助かった
!」と思うと同時に,直ぐトンズラしようとカメラをしまって,朝来た
道を小田急線桜ヶ丘駅に向けて歩き出しました。そしてちょうど滑走路の延長上
辺りに来たら,道路に何かが置いてあるのが見えました。
近づいていくと「あっ
サイドワインダー!!」と叫びそうになりました。
なんと弾頭が無くなったサイドワインダーが一発,道路に立ててあったんです。
「あー
さっきの爆発音はサイドワインダーの発射音だったのか」と思いましたが,
爆発音は一回しか聞こえなくて,着弾した音は聞こえなかったなあ、と思っている
と,直ぐそばの取り入れが終わって,すっかり乾いた田んぼで一人の外人が何かを
探していました。
「そうか,サイドワインダーは二発発射されて,一発はここにあるもので,見つから
ないもう一発をさっきの三人で探しに行ったんだな」と思いました。
写真を撮りたかったのですが,直ぐそこに外人さんがいますので,とても勇気は無
くて,目で記憶しただけですが,弾頭の部分がないだけで,他はしっかりしていまし
た。
この11月26日の数日後,神田で行われた航空情報友の会の例会でこの事を話しまし
たら,26日は感謝祭で休日ですよ,といわれました。
「感謝祭?
なにそれ!」で当時の私は感謝祭というのを全く知らなかったんです。
アメリカの休日なのか,それじゃ飛ばなくても仕方が無いな,と思いましたが,話し
の続きでこのサイドワインダー暴発事件のことを話したのですが,何しろ写真があ
りませんので,集まっていた『航空情報』友の会のかたがたに信じてもらえたのか
どうかはわかりません。
離陸してきたクルーセイダーの音で着弾音が聞こえなかったのか,二機で離陸しよ
うとしたのに一機からサイドワインダーが発射されてしまったので,もう一機は離
陸を取りやめたのか,とかいろいろ考えられるのですが,座っていたところからは
基地の中が見えませんので,真相は60年経ってもわかりません。
ただこの日以来,11月の第四木曜日は感謝祭だ,というのだけは忘れることがあり
ません。
saeki <dansa@hicat.ne.jp>さん:
>
お忙しい中、大変に迷惑を掛けました。
>
今度は丁寧に保存して有効に活用いたします。
>
戸田さんの写真は、さすが、プロだけあって、とらえどころが抜群で、しかも
鮮明で
> す。
> 非常に使いやすいのです。
>
> 長久保君の思い出を待っています。
>
>
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> 佐伯邦昭 メール dansa@hicat.ne.jp
>
インターネット航空雑誌ヒコーキ雲 http://dansa.minim.ne.jp/index.htm
> フェイスブック https://www.facebook.com/kuniaki.saeki.5
>
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>
>
> -----Original
Message-----
> From:
freeair2@manager.interq.or.jp [mailto:freeair2@manager.interq.or.jp
]
> Sent: Monday, August 5,
2019 10:18 AM
> To: saeki <dansa@hicat.ne.jp>
> Subject:
量が多くて大変申し訳ありません--戸田保紀
>
> 佐伯さん
>
> メールが11通にもなってしまい大変申し訳ありません。
> 不要な写真もあると思いますが,チェックが難しかったので,とりあえず今ファ
イ
> ル化している日本航空の機体だけ,全部をお送りいたしました。
>
>
何か不明な点がありましたらお知らせください。
>
> 取り急ぎご連絡をさせて頂きます。
>
> 戸田保紀
>
>
家の中で組立 2004/03〜2005/11
Ultra Cruiser "God Gift" JR1669
日本航空協会 航空と文化
http://www.aero.or.jp/web-koku-to-bunka/2014_08_fujita/2014_08_fujita.html
エクスペリメンタル航空機連盟
http://www.exal.info/hujita.html