HOME・SITEMAP 日替わりメモ 神奈川県  伝説の時代から現代まで航空史抜き書き
 
航空歴史館

懐かしのマスキティアに再会

横浜市鶴見区 山一自動車販売

  :現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A3706 神奈川県 Kanagawa Prefecture  横浜市鶴見区 山一自動車販売 
                                               
◎ 横浜市鶴見区上末吉 山一自動車販売 ビーチクラフトA23マスキティアU JA3250 

 マスキティア23はビーチ社の4人乗り普及型小型機で主翼に層流翼断面を採用するなど意欲的な設計でした。U型A23は、23を軽量化したもので部品の数を大幅に減らしています。

JA3250の経歴

1965/01/12 ロールアウト C/NM-657 N12B
1965/07/05 登録JA3250 伊藤忠商事 定置場札幌
1972/02/10 宮本・宮川・小田部・稲垣 定置場札幌
1990ごろ 用途廃止 
  下記のとおり展示 宮本・宮川・小田部・稲垣名義のまま抹消登録未済

撮影2002/09/05  シシオ
 

脚の互換性

 前脚と主脚は同じ規格で互換性があります。それを確認してください。前輪だけ引込式ですが、ここでは扉を固定してしまっているように思えます。

              

左主脚

右主脚

前脚

前脚

前脚

左主脚と前脚

 

 

懐かしのマスキティアに再会

 

2006年3月に掲載した表紙絵

[解説] 
 2006年3月の航空史探検博物館ヒコーキ雲の表紙を飾ったFlying Witch(魔女) の写真は、JO1RBOさんが、「私が小さい頃に父が練習していたビーチマスキティア で、スッテップの上は私です。」と懐かしのアルバムから送ってくれたものです。引田天功さんも暇を見つけてはライセンス取得に汗を流していたそうで 、マジックは魔術ともいいますから、ノーズアートは引田さんにぴったりだと思い、表紙絵に採用しました。

 JA3250 ビーチA23マスキティアUは、個人4人の共同名義で定置場は札幌としてまだ航空局の登録台帳に生きています。JO1RBOさんの父上が練習されていたのは調布や桶川 ですから、定置場が札幌というのが不自然だし、まだ抹消されていないというのもおかしいです。それは所有者と使用者との間にはなにやら激しい葛藤があったためらしいです。

 調査して、現役登録のままではありますが、もうかなり以前から横浜市鶴見区の自動車販売会社に展示してあることを、知らせてあげたら、お父上も感激されたそうで、このたびJO1RBOさんが現地を訪ねて再会を果たされ、そのレポートが送られてきたものです。 
                                              (2006/06/14記 佐伯邦昭)


〔表紙絵263〕 全盛期の引田天功さんも訓練していたFlying Witch(魔女) ビーチA23マスキティアUJA3250 撮影1970年代調布飛行場  JO1RBO(ステップの坊やも) 


日本航空機全集1979年版から

 屋根の上にフラップ全開で往時をしのぶ魔女 航空機登録台帳ではJA3250として現役なんです   
 横浜市鶴見区  山一自動車
 撮影2002/09/05  シシオ 

30年ぶりの再会 撮影2006/06/11  RBO


 6月11日、横浜のマスキィティアを見に行ってきました。



 山一自動車販売鰍フ専務さんともお話ができました。屋根の上に上がって中を見たいと申し出たらOKで、専務さんも中を見るのは暫くぶりとのことで二人でウキウキ?梯子をかけておっかなびっくりであがりました。

 驚きました。
 当時の(引き取った)ままです。ないのは無線機類だけ。もちろんシート等はカビだらけでしたが、機番も確認できました。

 物心ついた頃からずっと気になっていたマスキテイア。当然、スクラップになっていただろうと思っていた。機番もわからず、調べようもなく。試しにだめ元で佐伯さんに聞いて判明した3250。そして、横浜に現存との情報。
再会。感動であります。ほんとに涙が出そうでしたよ。

 
 機体は専務のお父様である社長さんが購入したそうです。お父様は現在はご商売は息子さんに任せているようでしたが、まだまだお元気とのことでした。

 機体は、1973〜4(昭和48〜49)年頃に調布までトラックで引き取りに行ったそうです。
 現在は屋根の上に展示してありますが、当初は事務所横の今は中古車が展示してある場所に置いたそうです。社長さんが車の整備士ということもありレシプロエンジンはお手の物とのことで、エンジンをかけたところ、ものすごい爆音で近所迷惑にり、排気管に消音装置をつけて再度かけたそうです。

 たしかに、普段飛行場では遮蔽物がないので音が拡散されるのと、住宅地とは距離感が全く違うので目の前でエンジンをブン回しても音は比較の対象にはならないんだろうなと実感しました。もっとも、僕にとっては心地よい音ですが。

 帰りに時間が余ったので調布へ寄って暫く飛行機を眺めていました。その中にJA3171なんかもあったりして大変、複雑な気持ちになり時間っていったいなんなんだろうって不思議に感じた一日でした。

 
 機体ですが、やはりそれなりの痛みが見られます。当初、引き取ったときの塗装は記憶がないそうですが、社長が自分で塗装をし直したそうでそれが今の状態です。
 エンジンカウル横の魔法使いのおばあさんの絵があったはずと聞きましたが、やはり記憶にないということでした。社長さんは覚えておられるかもしれません。






尾翼付近の市松模様はうっすらと確認出来ました。




 驚いたのはタイヤです。触ったところ圧もあるし見た目もひび割れ等もないので交換したか訪ねたところまったく当時のままとのことでした。
 ホイールのセンターに貫通させる形でシャックルが絡ませ、タイヤには全く負担がかからないようにしてありました。この台座もお父様の自作だそうです。
 佐伯さんの情報では前のギアが引き込み式とありますが、たぶん、違うと思います。親父に聞いたところ足は出たままであったとのことで、見たところ、引き込む様子も無かったです。






 

 中を見せてもらいました。ドアロックもかかっておらず、専務は中は荒らされていたずらされていると思っていたようです。
 しかし、全く当時のままでした。ただ、全体的にカビが凄かったです。
 ひもで両方の操縦桿が結んであるのはガストロックの代わりかな?
 オーディオの切り替えパネルスイッチの横になにやら張ってあるものが、よくみると、調布のタワーの周波数と他。

 これで親父が200時間近く飛んだのか・・・。この後ろのシートにお袋と俺が乗ったのか・・・。
この翼の上で、あの写真が撮られたのか・・・・。


 初めて知ったのですが、この飛行機のドアは右しか無いんですね。帰って親父に聞いたら、当然のようにそうだよって答えました。知らなかったです。ステップも当然、一所ですね。

 


 専務も機体の痛みを感じたらしく、手入れしたいなあと呟いておられたので、その際は是非機番を入れてやってくださいとお願いいたしました。
 その字体とかは何か決まりがあるのか?との問いに?解らないので適当にとお願いしました。(とんでもない、航空法施行規則第133条から139条に沿って復元してくださいね。佐伯邦昭)

 例の抹消の話ですが、某役所から所在確認の電話があり、その際に抹消の手続きを聞いたら解らないとのことでそのままになっているそうです。

 

(株)山一自動車販売専務取締役 板山康幸さんからメール


 はじめまして、板山と申します。当社のビーチクラフトを貴サイトに掲載していただいているのは数年前より存じていました。あらためて御礼申し上げます。

 佐伯さんから「大切に保管・・・」と言われますと、ご存知のような状態ですのでお恥ずかしい限りなのですが、当地では「セスナ(?) が置いてある中古車屋」ということでランドーマーク的な存在となっております故、手入れはしたいと常々考えていたところです。

 稲垣さんのレポートにもあるとおり、社長をしている私の父が1973〜4年頃「会社の看板に」と調布の飛行場へ当時中学生の私を伴って購入に行きました。仕事の虫だった父、親子二人で休日に出掛けた事など皆無に等しかったので、その時の車窓から見た飛行場の風景は今でもよく覚えております。

 行き先も教えられずただ付き合わされた私は、飛行場で、父に「これを買うぞ!」と言われたときの驚きと言ったら大変なものでした。しかし、当然それに乗って飛ぶものだと思っていたら、単に看板になるということを知ったときの落胆はそれ以上でしたが‥‥。

 魔法使いのノーズアートは、私の記憶に無かったので、父にも確認したところ、入手時から無かったとのことですので、私共の手に渡る前に消されてしまったようです。

 現在のカラーリングは、飛行機についてはまったく知識の無い父がオリジナルのペイントを基にアレンジしたようで、中古車の展示場所に平置きし、自動車の塗装よろしくマスキングしてスプレーガンで塗装していたのを覚えております。

 当初は地上2mほどの高さにアングルを組み展示車を跨ぐように展示しておりました。またその際には、父のメカニック魂が疼くのかエンジンをかけていました。ただ、住宅地ではその爆音はすさまじく、自動車用のサイレンサー(確かスカイライン用だったと記憶)を排気管に付け消音していました。

 当時は脚立を立てればすぐに乗り込める高さでしたので、近所の子供を乗せたりもして、当然私もよく遊び場にしておりました。(つい先日も「子供の頃に乗せてもらった」と言うお客さんが見えました。)当時の写真でもあればと探したのですが残念ながら見つかりませんでした。

 1990年に建替えをしたのを機会に現在のように事務所の屋根に乗せておりますが、以前よりずっと高くなりましたので下から見え易い様に傾斜をつけ設置しました。

 当社の近くには県立の三ツ池公園があり、週末には家族連れなどで前を通る方も多く、今でもお子さんが「あっ!ヘリコプター!」と叫ばれることもしばしばです。

 もちろんその際には「飛行機だよ」と教えるのですが、大人も大概「セスナですね!」とおっしゃいます。

 登録の抹消につきましては、当然抹消後に入手したのだと思っておりましたし、万が一そうでなくとも自動車であれば抹消の手続をせず、車検も取得しない場合は数年で自動的に抹消となるので同様だと思っておりました。

 しかし、2年程前に札幌の警察署から連絡をいただき、そのときに初めて登録が残っていることを知りました。仕事柄、登録につきましては気を使っているので 、連絡をいただいた担当の方にも「どのようにしたら良いか?」とうかがったのですが、「そのままでも問題ない」とのことでした。

 本当にこのままでよいのでしょうか?

 また、いつになるか分かりませんが、手入れで塗り替えなどの際には皆様の知識を是非、拝借したいと存じますのでよろしくお願いいたします。


(株)山一自動車販売  横浜市鶴見区上末吉5-8-6