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航空歴史館

 
藤沢海軍航空隊の燃料庫
 
 
A3723 神奈川県藤沢市
         Japanese Navy Fuel Tank, Hujisawa City, Kanagawa Prefecture
  
× 藤沢海軍航空隊の燃料庫 撮影2006/06  HT

HTさんから
 かつての藤沢飛行場(現在荏原製作所藤沢事業所)跡に藤沢海軍航空隊の燃料庫があったことは知られていましたが、最近になって開発が進みその遺構が露わになりました。
 これまで知られていた燃料庫は道路側の1つでしたが、この開発によって更に奥に2つが存在していて、合計3つが残っていることが分かりました。 この写真は、一番奥側から見た全体の状態です。2006/06/13記

日替わりメモ 2006/06/14 かつおさんから
 藤沢海軍航空隊燃料庫の写真をみて、これは非常に貴重なものと思います。日本全土が熾烈を極めたアメリカ機の猛爆撃にさらされる中、軍用機に対する防御施設(掩体壕)は当サイトその他雑誌でも各地に残るものが紹介され ていますが、肝心の「ガソリンの一滴は血の一滴」と言われたほど貴重な戦略物資である航空燃料の基地における保管状況に関する写真・記事にはお眼にかかったことがありません。
 戦後61年を経てはじめて目にしました。しかも原型が完全に保たれていることは一層価値を高めます。
 完全に保たれた内部写真など見ていると、当時の戦況、オイル資源枯渇状況の中で、ここに果たしてどの程度のドラム缶(恐らく松根油混合ガソリンや添加物など)が収納されていたか?など、戦中派特有の想いを巡らせます。
 一部破砕断面の写真があり、鉄筋配置状況が見えていますが、末期症状の戦況の中、恐らく近辺住民も動員されての急造と想われますが、現代専門家の目にはこれがどのように映るか興味深い面もあります。保存の気運があるようですが、遺跡的価値を見直されて、是非保存されることを願ってやみません。

藤沢市役所へ質問したところ、次の回答がありました。

                                                2006年6月18
                                                               藤沢市教育委員会生涯学習課長
 海軍藤沢航空隊の燃料庫について(回答)
 お尋ねの海軍藤沢航空隊施設の取扱についてですが、宅地開発事業区域内に3基遺存しておりますが、計画のなかで現地に保存することは不可能なため、事業者の方のご協力により記録保存のための調査を実施しています。また、事業区域内には滑走路の一部と思われる施設も確認され、あわせて記録保存のための調査を実施していただいております。
 調査成果等につきましては、平成19年2月13日から3月11日に開催予定の「藤沢市遺跡調査速報展」で取り扱う予定です。

@ 道路側の燃料庫は道路建設のために奥側が無理矢理削られてしまっている。そのため、内部に土砂が堆積していた。
 
A 真ん中の燃料庫は、ほぼ完全な型で残っていた

 
B 一番奥の燃料庫は長年存在すら知られていなかったために、保存状態がよく、通気口も両方ともきれいに残っていり。長年閉じられていた木製の扉も近くに放置されていた。