北日本新聞 2010/11/01付け記事より 提供 金澤理勝
数年前に、山岳ガイドが富山県立山の内蔵助平(約1800m)で航空機の残骸を発見し、その写真を北日本新聞社が入手して、成田の航空科学博物館で鑑定したところ、主翼と観測窓の2枚の写真から旧日本軍の爆撃機か偵察機の残骸と判定したということです。
麓の芦峅寺(あしくらじ)の古老の記憶では、昭和17年ごろ狩猟中に墜落機を発見し、軍に通報したところ、兵がおおぜいやってきて2遺体を収容し芦峅寺で荼毘に付したそうです。固く口止めされたため、口外することはなかったという証言とほぼ一致します。
現場は、上級クラスの登山者でないと行けない険しい山中だそうですが、ニュースになったのを契機に来夏にでも捜索と調査が行われることを期待しましょう。
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