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質問箱027 質問15/10/02
追加15/10/03


 

この車輪は鍾馗のものですか
 

2014/10/03投稿 もしかすると鍾馗ではないか
2014/10/05投稿  鍾馗の可能性は薄い
2014/10/10投稿 上記意見に反論

2010/10/02投稿 クローズアップ写真からご判断を
2010/10/0投稿  五芒星の刻印など

 

秋田

A5314-1 三重県伊賀市 某氏宅 旧軍機車輪    秋田
       
◎ 戦闘機の主輪  

 父の遺品からぺア2本のタイヤが見つかりました。零式艦上戦闘機のものではないかと思い藤倉工業株式会社と日本航空協会に問い合わせましたが、いずれも戦時中の資料が乏しく、零戦の可能性はあるが、特定するまでに至らないとの回答がありました。 (秋田市 KT記)

撮影2014/08/29 KT 




       

2014/10/03投稿 もしかすると鍾馗ではないか sohei  141003

 秋田の車輪について考察してみました。

 陸、海軍とも、太平洋戦争当時の主な制式単発戦闘機の車輪にはタイヤサイズの違いもありますが、タイヤサイズが同じでも、そのタイヤを履くホイールの違いによって大別すると以下の分類が成り立つと考えられます。

[キ43 一式戦] ・ 二種の専用ホイールに560×190又は570×190のタイヤ

[キ44 二式単戦] ・ 専用ホイールに600×175のタイヤ

[キ61 三式戦][キ100 五式戦] ・ 陸海統一型ホイールに600×175のタイヤ

[キ84 四式戦] ・ 専用ホイールに650×170タイヤ

【零式戦闘機] ・ 初期型/中期型の二種の専用ホイールと、後期として陸海統一型ホイールに650×175のタイヤ

[紫電・紫電改・雷電] ・ 陸海統一型ホイールに650×175のタイヤ

 秋田の写真を拝見しますと、サイズから一式戦・四式戦は除外されますし、リム部にホイールカバー取り付け用穴が6個開いた陸海統一型ホイールを履いた機体でもないと思われます。

 ホイールカバーに空気注入口の丸穴が開いていますので、一見して零式戦闘機の中期型ホイールのようにも見受けられますが、このホイールのホイールカバーはスポーク部の3点のビスで固定されています。

  また、2点のビスで固定されているように見受けられます。600×175サイズのタイヤで、空気注入口の丸穴が開いていて、ホイールカバーが2点のビスで止まっている機体は、あまり鮮明に写っている写真は少ないですが、もしかしたら『二式単戦 鍾馗』ではないかと推察いたしますがどうでしょうか。

 

2014/10/05投稿   鍾馗の可能性は薄い  横川裕一  141005

キ44二式戦(二式単戦)鍾馗の車輪説ですが、以下から、その可能性は薄いように思います。

@   アジア歴史資料センターで読める『二式戦闘機(二型)取扱法(昭和192月?)』では、「車輪は高圧制動車輪にして、大きさは600×175粍、内圧は4.5気圧にして、三式戦闘機と同一車輪なり」とあります。これがタイヤ(輪体)だけを指しているのか、ホイールを含めた車輪全体を示すのかは不明ですが、車輪全体を指すように思えます。
(発行年が遅めなので、途中から「三式戦と同じ」になった可能性もありますが)

A   左側のタイヤのホイールの製造年月が「昭和164月」ということから、二式戦が制式化される前です。Bf109との模擬空戦が昭和167月であり、その前の4月ではキ44自体が整備機になるかも不明な時期のため、試作機やホイールの先行生産という可能性も極めて低いでしょう。

 右側のタイヤ(昭和176月)の方は、常用気圧が「4」と低いようです。同じ機種に付いていた車輪かも、微妙な印象です。

     

 

2014/10/10投稿   鍾馗の可能性は薄いに反論 sohei   141010

 秋田の車輪について、横川さんの指摘を興味深く読みました。その内容について私見を述べてみます。

 なお[大日本絵画 鍾馗戦闘機隊〜帝都防衛の切り札・陸軍飛行70戦隊写真史〜]をお持ちの方は、55,56頁の写真の車輪部をごらん頂ければと思います。

横川説 @ について

 キ-61三式戦は前述した『空気注入口蓋つきのホイールカバーを6点のビスで装着した陸海統一型ホイール』をはいており、それは写真で見る限りキ-44二式単戦のホイールとは形状が異なることは比較的容易に見てとれます。

 ただし、昭和19年末まで生産(キ-44U)されていますので、言われるように陸海統一ホイールを履いたものもあったのかもしれませんが、少なくとも私は写真等で見たことはありません。

 横川説 A について

 キ-44の試作1号機は昭和15年8月(5月下旬説有り)にロールアウトし、翌16年4月には3号機が、以降増加試作7機が作られてテストに供され、制式採用になる17年2月に先立ち1月には生産型1号機が完成していた[出典:航空ファン1981年7月号]とありますので、「昭和16年4月」製ホイールが存在しても全く矛盾はないと思いますが如何でしょうか。

 この1対の車輪について、ホイール刻印はNO.(製造番号?)以外はまったく同じですので同一機体のものと思われますが、空気圧表示については謎です。あるいは滑走路が不整地などという理由で仕向け地によってバルーンタイヤを履かした例もありますので、写真では判りかねますがタイヤだけ2本は別物なのでしょうか。

 いずれにせよ確証はありませんが写真で見るかぎりホイール部はキ-44の車輪と形状の特徴が合致するように思われるのですが。

 

2015/10/01  クローズアップ写真からご判断を sohei    151001

 秋田の不明機車輪を、今回持ち主様より譲っていただきました。当方において清掃分解及び刻印の調査をいたしましたので報告します。

 昨年、私は形状などから二式単戦(鐘馗)ではないかと推測しました。今回、刻印調査にて五芒星印が出てまいりましたので、陸軍機であることは間違いないと思いますが、鐘馗は、国内外に現存機がありませんので、当時の不鮮明な写真からの推測ゆえに今一つ確証がもてません。

  詳細な写真をご覧いただき、ご意見等いただけましたら幸いに存じます。





追加


追加 スポーク部
 ある程度形の似ている一式、三式および五式、四式戦のホイールの造りとはかなり異なっています。私見ですが、零式艦上戦闘機の中期型ホイールに非常に似たところのあるものです。もしかすると旧軍機車輪の画像としては今回初公開かも知れません。幸い保存状態が良く、ホイールカバーに覆われていたため黄変などもない『第一号灰緑色』の鮮やかな色も含めて大変興味深いものと思われます。(零式艦上戦闘機中期型ホイール画像は中村泰三氏のHP上にあります)

追加 五芒星と判別できるクローズアップ。見えやすくするため水性ペンで墨入れしています。


追加


 

 







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参考 雷電 主車輪(600×125)の写真 (某氏提供)  雷電

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