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航空歴史館

掲載2015/02/02

  

伊丹で見られたロッキードP2V-5 P2V-7にはあらず

  関西航空史料研究会提供の写真
関連して山内秀樹少年(中学校3年生)の観察から
2015年2月になっての感想と解説  山内秀樹

 


ロッキードP2V-5F 131448 US NAVY VP-4 YD-2  新明和伊丹工場 撮影平田邦久(以下同じ)
                                                 提供関西航空史料研究会





ロッキードP2V-5F 131472  US NAVY VP-4 YD-7





ウエスチングハウス J34-WEエンジン





 

 

3年生

関連して山内秀樹少年 (中学校3年生)の観察から

航空情報1960年10月号 読者のページ投稿


@ 航空情報 (No106)1959年10月号 読者のページ投稿  (平松博幸さん、ヒコーキ雲へ連絡ください)


A 立川基地三軍統合記念日 航空情報(No116)1960年7月号グラビア 

2015

2015年2月になっての感想と解説  山内秀樹

 懐かしいですね。 航空情報196010月号に投稿した頃、私は中学3年生でした。
 目近に見る米海軍の第一線機、P2V-5FP2V-5FDP2V-5FSS2F-1SS2F-1S1SNB-5PHUS-1A等の機体が、当時我々にとって限られた貴重な情報源で した。
 しかし、航空情報、航空ファン等の日本の航空雑誌では一切説明されておらず、まるで田舎者読者扱いにされているようで、大いに不満を感じていた中学生でした。 今考えれば、当時の編集担当者が米軍伊丹基地や上記のような機種を重要視していなかったということでしょうか。


 以下、各写真について解説しておきます。

 [写真1]のP2V-5F 131448 VP-4 YD-2は、全面ダーク・シープレーン・グレイ  (DARK SEAPLANE GRAY)で、低空で作戦中、上空からの視認探知を避けるための一種の迷彩塗装であった。

 [写真2]のP2V-5F 131448 VP-4 YD-2と、[写真3、4]P2V-5F 131472 YD-7は、オーバーホール完成後で、全面ダーク・シープレーン・グレイの胴体背面をインシグニアホワイト(INSIGNIA WHITE)に塗り分けた後のもの。

 VP-419**以降継続的に沖縄のNAF NAHAを基地としていたが、冬場はともかく、夏期にエプロンに駐機した全面ダーク・シープレーン・グレイの機体のプリフライト チェックは焦熱地獄で、胴体背面を白色塗装とすることで、機内温度の上昇が大いに軽減されたというが、この時点で敵戦闘機と遭遇した場合の被探知率とトレードオフされたことになる。冷戦下においては、仮想敵国の戦闘機と遭遇しても 、撃墜されることは極めて稀で、各乗員が「毎日死ぬほど辛い焦熱地獄」対策を優先した結果と言える。

 ちなみに、寒冷なアリューシャン方面に展開することの多かったFAW-4所属のP2Vは、同時期でも全面ダーク・シープレーン・グレイの塗装を維持した機体も多かった。

 1964年ごろから、それまでダーク・シープレーン・グレイに塗装されていた部分をライト・ガル・グレイ(LIGHT GULL GRAY)に変更した例が、[写真5]SP-2H 150280 VP-4 YD-10である。
 ダーク・シープレーン・グレイ塗装は、 背景の空に強いコントラストを作るので、潜水艦から潜望鏡で遠方から探知されるため、対潜戦では不利であったが、その部分のライト・ガル・グレイへの変更により、かなり視認しにくくなったと言われる。

新明和伊丹工場 ロッキードSP-2H 
150280 US NAVY VP-4 YD-10 撮影平田邦久 提供関西航空史料研究会

 プロペラ先端の警戒塗装はオレンジ・イエロー(ORANGE YELLOW)一色で[下図左]1960年ごろから、のSP-2H( 前のP2V-7S 150280 VP-4 YD-10のようにプロペラ先端からインシグニア・ ホワイトインシグニア・レッド(INSIGNIA RED)インシグニア・ホワイトの塗り分けに変更された[下図右]

 [エンジンの写真]は、P2V-5Fに装着されたJ34-WE-34補助ジェットエンジンポッドの側面パネルを開いた状況。地上からのアクセスがよく、整備性に優れていた。このジェットエンジンは離着陸時及び対潜作戦における洋上での低空飛行時に始動して安全性を高めるもので、「洋上で低空飛行を要求される対潜機は4発」の原則は国産のP-1にも活かされている。双発機の洋上低空飛行時に片発停止した場合、機体を立て直すのに高度に余裕がなく、安全性が著しく損なわれるためである。

 P2V-5Fは、レシプロ双発のP2V-5J34-WE-34ジェットエンジン2基を装備した機体で、初期生産型は後日改造で、後期生産型は生産ライン上でJ34を装備した。

 主機のR-3350-30WA-32W-32WA-36W-36WA等のレシプロエンジンと共通の航空用ガゾリンを使用したが、完全燃焼に近いためか、離陸していくP2V-5Fの排気煙はレシプロエンジンの方が濃く、ジェット排気はほとんど無色透明だった。

 地上でジェットエンジンを運転した後、スロットルを切るとジェットエンジンへの配管の中にあった航空用ガソリンがジェットエンジンポッドの下に小便のように、おそらくバケツ一杯分ほどが垂れ流しで排出され、「よくあれで火災を引き起こさないものだ」と眺めていたことが思い出される。

      

参考 海上自衛隊のP2V-7

新明和伊丹工場 撮影平田邦久 提供関西航空史料研究会

 

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日替わりメモ2015/02/02

〇  ロッキードP2V-5 P2V-7にはあらず

 ロッキードP2Vネプチューンのシリーズは、日本ではP2V-7が超有名ですが、その最終型の一つ前のP2V-5も、おなじみ海兵隊VP-4 YDで伊丹基地でたびたび目撃されていました。

 P2V-5が当時の雑誌に載っても、超有名な方のP2V-7として扱われているのに腹を立てた山内少年が航空情報へ間違いではないかと投稿しております。1960(昭和35)年当時の中学生マニアで、米海軍機のナンバーや尾翼の下に書かれている機名に注目し、ダッシュ形式によって機体のどこが違ってどう運用されているかまで着目する早熟な子供が居たとは。

 受けた編集部が、訂正も詫びもなく無視した形になっているのは、伊丹基地と新明和伊丹工場に対する情報不足や頻繁に改造改良される米海軍機への無知がそうさせたのでしょうか。

 敢えて“P2V-7にはあらず”としているのは、そんなことを念頭に置いて読んで貰いたいからです。