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A5603-3 兵庫県神戸市中央区波止場町 神戸海洋博物館カワサキワールド
              Kwasaki World, Chuo-ku, Kobe City, Hyogo Prefecture
                  
◎ 神戸海洋博物館カワサキワールドの展示

 

飛燕の展示 
川崎バートルKV-107U JA9555 美濃 
1980/11/07 ロールアウト c/n4130 KV-107UA
1980/11/17 JA9555登録 エアーリフト 愛称美濃 定置場川崎重工業岐阜工場
1992/10/01 社名変更カワサキヘリコプタシステム
2006/03/31 抹消登録 
2006/05/16 カワサキワールドに展示

撮影2006/05/20  KUPANBA


 

KAE-204エンジン  

撮影2006/05/20  KUPANBA

KAE-204エンジンの耐久運転供試機は岐阜県かかみがはら航空宇宙博物館参照

 

川崎航空機、川崎重工業製航空機のプラモデル 撮影2006/06/03  HAWK

 
   
川のマーク 撮影2006/05/20  KUPANBA      下記 川崎航空機工業株式会社のマーク参照

航空歴史館 61から転記

川崎航空機工業株式会社のリバーマーク の変遷

川崎航空機部門年表

1878年(明治11年) 川崎正蔵により「川崎築地造船所」として設立。
1886年(明治19年) 神戸の官営兵庫造船所の払い下げを受ける。
1896年(明治29年) 株式会社川崎造船所を設立。
1916年(大正05年) 日野鉦三郎、航空機研究のためパリ駐在
1918年(大正07年) 川崎造船所兵庫工場に飛行機科新設
1921年(大正10年) 岐阜県三柿野に用地取得 格納庫など建設
1922年(大正11年) 岐阜を本社直属飛行機部とし各務原分工場開設
1927年(昭和02年) 飛行機部を本社直属飛行機工場とする 各務原工場を大拡張
1936年(昭和11年) 兵庫工場を発動機専門工場とする 
1937年(昭和12年) 飛行機部門を分離して、川崎航空機工業株式会社を設立
1939年(昭和14年) 川崎造船所を川崎重工業株式会社と社名変更
1939年(昭和14年)  各務原工場を岐阜工場と変更
1940年(昭和15年)  兵庫工場を明石工場に移す
1942年(昭和17年)〜1945(昭和20年) 各県に発動機や機体工場設置

1969年(昭和44年)  川崎重工業・川崎車輛・川崎航空機工業合併し川崎重工業株式会社となる

 

大正時代のものと思われるマーク 航空自衛隊浜松基地資料館のプロペラ 撮影2005/04/20  佐伯邦昭

                    人生録11 関東・東海遠征記参照

川崎型電気扇のマーク  田中昭則

 骨董市で見掛けました。どっしりとした台の上に幅広の4枚羽根、リバーマークには四角の囲みがありません。
 2005/06/30記 田中昭則

12インチ卓上型扇風機 カワサキワールド展示品 撮影2006/06/03  HAWK

1925(大正14)年ライセンス生産

1937(昭和12)年 布引製作所へ製造権譲渡

1930年代 川崎BMW六型発動機本体のエンブレム  GETA-O

 1930年代の浜松にいた父のアルバムからです。 エンジンは川崎BMW-6型で当時の87式重爆に付けられていたエンジンの地上試験台上の写真です。 取扱書にあるマークが川崎造船所飛行機工場のプレートの両側についています。
2005/06/30記 GETA-O

 

川崎BMW六型取扱説明書のエンブレム  かかみがはら航空宇宙科学博物館支援ボランティアの小山澄人

 川崎重工のリバーマークですが、かかみがはら航空宇宙科学館に、ちょっと面白いものがあります。土井コーナーに展示されている川崎BMW六型発動機の取扱説明書です。表紙に川崎のリバーマークとBMWのエンブレムを組み合わせたマークが描かれています。2005/07/05記 かかみがはら航空宇宙科学博物館支援ボランティアの小山澄人

昭和14年版日本民間飛行機全輯(発行・工人社)の広告  佐伯邦昭

    旗の中にリバーマークが入り、ロゴは明朝体になっています 
  

呉海軍工廠の川崎製蒸気機関車の思い出 

 リバーマーク記章マークはかなり古くからありました。呉海軍工廠の鉄道線路網の中に一部広軌区間がありましたが、その広軌SLの1台にこのマークが付いていました。

 因みにもう1台は斜め#に三の字、三井のマークで、戦艦大和に搭載する主砲一門を砲身工場から砲塔工場まで2輌の機関車で運びました。

 途中の十字路で左折ですが、直角には曲がれないのでスイッチバックのため私の所属部署のまん前でいったん停車。今度は推進の形ですが、そのスタートは凄かったですね。2台がかりでびくともせず、何れも猛烈なスリップ。そこで準備された砂をレールの上に撒いてもまるでSLが宙に浮いたように火花を散らすスリップを何回も繰り返し、やっと動きました。

 そこから砲塔工場西端近くの工場内を横切り、300ton海上クレーンの待つ岸壁へ、そして艤装工事場ポンツーンへ海上輸送と言う経路です。川崎のマークでこんなことが思い出されました。2005/07/01記 かつお

 

1950年代の広告から  佐伯邦昭

 第二次大戦後も川崎航空機工業株式会社として存続し、マークは旗の形が少し変わったもののほぼ同じものを使っています。しかし、社名の書体が明朝から隷書(れいしょ)風になりました。この書体は、当時多くの企業で流行したものです。

 

1969年

 昭和44年に、重工(鉄鋼と造船)、車両、航空機の3社が合併して総合重機メーカーの川崎重工業株式会社が復活し、統一マークは、リバーマークを正方形で囲んだものとなり、以後、今日まで続いています。 

 

 船舶のプレート  OKUBO

 

P-2Jの操縦桿のリバーマーク  TRさんから 

 私の父は航空自衛隊退官後、川崎重工に勤務(もうとっくに定年退職しましたが)しており、実家には社史やパンフレットなどがたくさんありました。

 私が子供の頃(S50〜S60頃)では川崎重工が作る電車やバスなどには旗の川重マークが使われており、車内や車外に必ず付けられておりました。

 さて航空機はというと・・・・・
 1991年10月に私の友人のつてで海上自衛隊鹿屋基地見学をする機会があり、その際にP-2Jのコクピットを撮影していたのを思い出し、スキャンしてみると操縦桿中央に正方形で囲んだ川重のマークが使われています。ということは恐らくC-1にも使われているかも知れません。

 

P-3Cのリバーマーク  G3

 P−3Cの操縦席後方右側にあるプレートと操縦桿の写真です。以前、体験搭乗で撮影しました。TRさん投稿のP-2Jに比べると控えめになっている感じです。2005/07/08記 G3

 

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