A5605-3
兵庫県西宮市上ヶ原山田町 八幡神社
Yahata Jinjya, Nishinomiya City, Hyogo Prefecture
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◎ 元西ノ宮海軍航空隊 雄飛之碑
撮影2008/04/20 提供関西航空史料研究会 碇 紀夫
西ノ宮海軍航空隊とは
1944(昭和19年)年、海軍飛行豫科練習生定員増により、西宮市の関西学院校舎に三重海軍航空隊西ノ宮分遣隊を設けて教育に当り、翌1945(昭和20)年に西ノ宮海軍航空隊として独立。同年6月に宝塚海軍航空隊に吸収され解散。
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◎ 八幡神社(元新風神社)の九七式戦闘機
エンジンとプロペラ
撮影2008/04/20と文 関西航空史料研究会 碇 紀夫
ハ-1乙 九七式650馬力エンジン(プロペラ・ボス、減速歯車、起動フック)とプロペラ
6個の減速遊星歯車が見えるが、フロント・ケースはマグネシウム鋳物なので海水に溶解してしまっている。
九七式650馬力エンジンは、陸軍呼称ハー1乙で、海軍呼称は寿―41型である。 元々、寿系統エンジンは、中島飛行機が英国ブリストル社のジュピターエンジンをライセンス生産してから、国産化しつつ改善を加えて、寿―1型、寿―2型と発展してきたが、昭和9年(1934年)米国ライト社のライセンスを得てから、その設計思想を大幅に取り込んだものと思われ、寿―3型を生産している。 エンジンの断面図で見る限り明らかにライト・サイクロンエンジンの減速歯車、クランクシャフト、過給機駆動機構などが極似している。 このエンジンは、昭和12年〜18年(1937年〜1943年)の間生産されている。(赤枠が奉納の現物)
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日替わりメモ20150208
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九七式戦闘機のハ-1乙と西ノ宮海軍航空隊雄飛之碑
陸軍九七戦は、大刀洗の平和記念館の実機だけかと思っていましたら、明石沖で引き上げられたエンジンとプロペラが西宮の神社に展示されていました。錆止めの塗装が施してあるので、起動フック、プロペラボス(地上でピッチ調節ができる)、減速歯車の構造がよく分ります。
残念ながらシリンダー以降が失われています。まだ海底にあるのなら、漁師さんには悪いですが魚網に引っ掛かってくれないですかね。7.7ミリ機銃がシリンダーの間に挟まれている九七戦独特の構造など見てみたいです。大刀洗では銃口がはっきり確認できますが、中身が分らないし、だいいち九七戦に限って撮影禁止ですから余計に明石の海に希望を託したいです。
なお、八幡神社に予科練のいしぶみや引揚遺物があるのは、すぐ近くの関西学院構内にあった西ノ宮海軍航空隊の神風神社を移した関係だということです。西ノ宮海軍航空隊は、関西学院の校舎を使い、飛行場はありませんでした。
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