菅茶山は岡山の隣り備後の国(現広島県東部)の第一級の文化人でしたから、伝聞にしても信憑性は高いと評価されています。
笑い話風にまとめたのは、追放処分や静岡あたりで処刑されたとか、一族の墓に幸吉のものだけがないというような時の権力へ配慮したためではないでしょうか。
菅茶山以後、多くの人が表具師浮田幸吉を研究し、天明5年(1785)岡山の旭川にかかる京橋から飛び、世界で始めて飛行に成功したという説もあります。
平成元年ごろ、岡山の航空愛好家が幸吉の飛行をこの橋から再現しましたが、残念ながら失敗したそうです。
しかし、今、京橋のたもとに建つ碑には「世界で始めて空を飛んだ」「青少年よ夢をもて」と建立者(ライオンズクラブ)の鼻息が感じられるような迫力があります。
2002/12/15 佐伯邦昭