HOME・SITEMAP 日替わりメモ 岡山県目次 伝説の時代から現代まで 航空史抜き書き



航空歴史館 

表具師幸吉乃碑

 

A6301-6 岡山県 Okayama Prefecture 岡山市 北区京橋 表具師幸吉乃碑  HAWK
   
菅茶山「筆のすさび」口語訳

 備前岡山の表具師幸吉という人は、鳩を捕まえて体重と羽根の長さを測り、自分の体重に比例する羽翼を製作し、胸の前の仕掛けにこれを取り付けてはばたき飛行に成功しました。
 もちろん地面から飛び上がることはできませんので、屋根から飛び出したのです。
 或る晩のこと、街はずれを飛び回っておりますと、花見か月見でしょうか宴会の席を見つけました。その中に誰か知っている人がいるのではないかと降下したら、浮力を失ってどすんと落ちてしまいました。
 人々は天狗が降りてきたかとばかり驚いて逃げ去りまして、その後には旨い酒や肴が残っています。幸吉はこれ幸い、たらふく腹に詰め込んだのはいいのですが、もうどうやっても飛び上がることができず、羽翼をたたんで歩いて帰宅したそうです。
 噂が広がり、役人の知るところとなりました。町役場に呼び出された幸吉は、「人のしないことをするのは、趣味といえども罪である」として、羽翼は取上げられ、追放処分を受けたということです。
 一時の笑い話ですが、珍しいことなので書き残しておきます。これは寛政年間(1789〜1800)の前のことです。

    「筆のすさび」1836年版より


 菅茶山は岡山の隣り備後の国(現広島県東部)の第一級の文化人でしたから、伝聞にしても信憑性は高いと評価されています。
 笑い話風にまとめたのは、追放処分や静岡あたりで処刑されたとか、一族の墓に幸吉のものだけがないというような時の権力へ配慮したためではないでしょうか。

 菅茶山以後、多くの人が表具師浮田幸吉を研究し、天明5年(1785)岡山の旭川にかかる京橋から飛び、世界で始めて飛行に成功したという説もあります。
 平成元年ごろ、岡山の航空愛好家が幸吉の飛行をこの橋から再現しましたが、残念ながら失敗したそうです。

 しかし、今、京橋のたもとに建つ碑には「世界で始めて空を飛んだ」「青少年よ夢をもて」と建立者(ライオンズクラブ)の鼻息が感じられるような迫力があります。      
                                       2002/12/15 佐伯邦昭