予定通り、日本航空のMD-90ラストフライトとなるJL1614便に搭乗しました。
MD-90はダグラスDC-9シリーズの最終発展形として1993年に初飛行、日本では日本エアシステムが16機を発注、映画監督の黒澤明デザインの7パターンのレインボーカラーに塗装されて、1996年4月1日羽田-長崎線で路線就航しました。
日本航空との統合後は新生JALの「太陽のアーク」塗装に塗り替えながらもローカル線を中心に活躍してきましたが、小型機をB737-800に統一する方針により、旧日本エアシステムのダグラスDC-9〜MD80シリーズは順次退役してゆき、最後まで残ったMD-90も2011年度から退役を開始して、2012年度冬ダイヤ最後の日3月30日をもって引退となったものです。
昨年9月にはJA8070号機が新鶴丸塗装に塗り替えられ、これが最後まで残る1機になるのではと思われましたが、1月12日から13日に掛けて実施された「さよならMD-90チャーター便ツアー」に使用された後1月21日にリタイア、その後はJA8020と8029の2機が最後の運用についていました。3月には運用も羽田-JL1801-熊本-JL1804-羽田-JL1955-奄美大島-JL1956-羽田-JA1613-広島-JL1614-羽田の6フライト1機体制になり、残る1機はスタンバイ機材として羽田に待機という状況でした。
その後、最終日を1週間後に控えた3月24日にはJA8020がリタイヤ。「17年分の感謝をこめてMD-90ありがとう」のペイントを施されたJA8029が最後の1機として運用に就いていました。
最終日となった3月30日は、朝の熊本便からお別れを惜しむ航空ファンが搭乗、1801便熊本空港到着時には消防車による放水アーチの歓迎があるなど各地でセレモニーが行われました。最後の就航地となる広島空港には多くの航空ファンが詰め掛けましたが、名残を惜しむ乗客の記念撮影などで1613便の広島到着は25分ディレイの19:25。
私はゲート前のセレモニー会場にいたので見えませんでしたが、広島空港でも放水アーチの歓迎がありました。乗客が降り終わってからしばらくして乗員が会場に到着して、Bゲート前でセレモニーが開始されました。日本航空から役員の挨拶に続き、来賓代表の広島空港長の挨拶、岸本伸一機長と森CAに花束の贈呈、最後に岸本機長の挨拶がありました。
ボーディングブリッジで記念品を受け取っての搭乗に際してはL1ドア横に描かれたTouch Meの手形のところで記念撮影をするファンが多く、遅れは更に増大し、広島空港出発は45分遅れの20:25、羽田空港8番スポット到着は21:43でした。羽田でも多くの乗員や社員が乗客を横断幕で出迎え、乗員部手製の搭乗証明書やステッカーなどが配られました。最後に降機してきた乗員も加わって記念撮影が行われて、MD-90退役のセレモニーはすべて終了しました。日本航空を退役したMD-90はすべてアメリカのデルタ航空に譲渡されて今後も現役として飛び続けます。