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:現地に展示中のもの ×:過去のもの :現状不明

A6418 広島県 Hiroshima Prefecture  広島市東区 鶴羽根神社
   
◎ 鶴羽根神社山縣豊太郎飛行士の像 撮影2002/01/09  佐伯邦昭

この像が建立されている鶴羽根神社(広島市東区二葉里)の名称は、明治元年広島藩主の命名によります。その当時の広島には鶴がたくさん舞い降りており、鶴見町とか鶴見橋などという名も残っているところから、神社名もそのあたりの由来によるものと思われます。

 広島市出身の山縣飛行士が愛機を鶴羽1号、鶴羽2号と命名したのは、優雅に空中を飛翔する鶴にあやかり、氏神様の守護を祈念したいという気持からだったでしょうか。

 銅像は山縣飛行士の没後1年目の1921(大正10)年に建立されました。長く市民の誇りでしたが、戦時中に供出され、訪れる人もない荒れた台座のみとなっていました。しかし2001年に有志の努力で、再び立派な等身大の石像がつくられたのです。

                                             

没後の記録

 山縣豊太郎飛行士の輝かしい業績は上の碑文以外にも多くの書物によって紹介されておりますので、角度を変えて、没後にいかに称えられたかを示す事項を列記しておきます。

◎ 東京青山斎場の告別式に数百人参列
◎ 広島市慈仙寺の本葬に3千人の会葬者
◎ 航空局が遺族特別弔慰金5千円を交付
◎ 没後に帝国飛行協会が飛行士奨励規則を制定し、さかのぼって奨励金半額500円を交付
◎ 航空局が航空奨励規則を制定し、山縣飛行士遭難機の伊藤飛行機研究所ゴルハム式複葉機に対して7千円を交付
◎ 慈仙寺に伊藤式恵美号のプロペラを保存
◎ 広島市立段原尋常小学校にプロペラ(機種不明)を保存
◎ 鶴羽根神社に銅像建立◎ 中正夫氏の執筆による記録集「第二征空史」を刊行
◎ 当時最大級のリバティ450馬力伊藤式22号を「山縣記念号」と命名

古い絵葉書 所有及び 神奈川県吉田様

 愛媛県今治市に住んでいた方の遺品にあった未使用の絵葉書です。同じアルバムの中に大正9年2月11日市制施行記念というスタンプの絵葉書がはさんであるそうなので、山縣飛行士が大活躍していた時期に発行されたものではないかと想像されます。鶴羽2号の大変めずらしい写真です。


文字 宙返リ飛行機鶴羽號ノ飛揚

(左の写真の鶴羽2号の拡大)

文字 宙返リ用飛行機鶴羽號ト山縣豊太郎君
文字 民間飛行家山縣豊太郎君

 絵葉書といっても、プロマイドのようなものであり、当時の花形飛行士がいかにもてたかを証明するものであると思います。

伊藤音次郎作 鶴羽2号の模型 所有:広島市南区京橋町山縣直次様 撮影2003/02  佐伯邦昭

 伊藤音次郎氏は、1969(昭和44)年に山縣飛行士の没後50年祭を津田沼の殉空乃碑前で挙行しました。写真の左は伊藤音次郎氏、右は豊太郎の実弟である山縣直次氏です。

 伊藤氏はこの50年祭にあたり、民間飛行士としてはじめて宙返りに成功した鶴羽2号の模型を100機自作して出席者に配りました

 模型は、縦横10cmくらいの小さな無骨な木製ですが、翼型もノーム50馬力エンジンのシリンダーなども丁寧に工作され、伊藤飛行機研究所所長として機体製作と操縦訓練を行ったころの開拓精神を想起しながら1機1機つくられたことが伺えます。鶴のデザインと機体の塗色も確実な資料として残ることになりました。