この像が建立されている鶴羽根神社(広島市東区二葉里)の名称は、明治元年広島藩主の命名によります。その当時の広島には鶴がたくさん舞い降りており、鶴見町とか鶴見橋などという名も残っているところから、神社名もそのあたりの由来によるものと思われます。
広島市出身の山縣飛行士が愛機を鶴羽1号、鶴羽2号と命名したのは、優雅に空中を飛翔する鶴にあやかり、氏神様の守護を祈念したいという気持からだったでしょうか。
銅像は山縣飛行士の没後1年目の1921(大正10)年に建立されました。長く市民の誇りでしたが、戦時中に供出され、訪れる人もない荒れた台座のみとなっていました。しかし2001年に有志の努力で、再び立派な等身大の石像がつくられたのです。