○ 小月の変遷
グラマングースがゆっくりとタキシングを始めたのを見た中学生二人が急いでアパッチ砦の斜面を駆けおりています。アパッチ砦とは、海上自衛隊小月航空基地にある小高い丘で、今は、展示機や各種の記念碑があります。
70年前に逓信省が下関飛行場として建設し、すぐに陸軍に移管されて小月飛行場となり、九七戦、屠龍が関門と八幡地区の防衛にあたり、戦後はニュージーランド軍と米軍が駐留、接収解除後は、警察予備隊飛行場、陸上自衛隊第11駐屯地、そして航空自衛隊第1操縦学校、同第11飛行教育団と実にめまぐるしい変遷を見てきた小月飛行場のアパッチ砦です。
今朝の写真は、航空自衛隊第1操縦学校時代のもの(1958年頃)と思われる基地開放風景です。グースも珍しいですが、岐阜から実空のT-28Bが来ており、更には陸自のKAL-1らしきものも展示されています。もう、プラモデルの世界でしか再現できない航空祭、近在から見物に訪れた人たちはどんな感慨をもって眺めていたのでしょうかね。
インターネット航空雑誌ヒコーキ雲で、基地開放の展示機写真が出てくるのは1960年の岩国基地三軍統合記念日MCAS1960がトップで
したから、今朝の写真はそれを抜いて最も古い記録となりました。写真を家族アルバムに残していてくれた古谷さんのお父上に感謝しなければなりません。
・ なお、関連してお知らせをひとつ
米海兵隊岩国航空基地のジェームズ
スチュワート司令官は、岩国市長に対して、中止した日米親善デーに代るイベントを秋の初めを計画していると表明しました。(岩国市がトモダチ作戦への感謝状を贈った席で
。06/14中国新聞)