山田英生さんによれば、「昭和29年に撮影したと思う」とのことです。この年、ご本人は地元防府高校の国語教師として赴任されたので、まず間違いないだろう、と言われていました。写真が防府北基地で撮影されたものであることは、背景から見て保証します。
L-19は、陸自では1954年6月から使用開始との記述がありますから、撮影時期の記憶に間違いなければ、開始直後のことになります。
ところで、防府北基地の
歴史を調べると、「防通校甲飛隊50周年の歩み」によれば、
1950(昭和25)年 8月 警察予備隊防府訓練所開設
1950(昭和25)年11月 同上 閉鎖
1954(昭和29)年 9月 臨時第1航空教育隊編成(小月にて)
1954(昭和29)年12月 第1航空教育隊移駐
1955(昭和30)年11月 第1操縦学校分校編成
一方航空自衛隊の「防府北30周年のあゆみ」によれば
1954(昭和29)年 7月 航空自衛隊発足
1955(昭和30)年11月 第1操縦学校分校、当飛行場に開設(使用機T-34×6機)
1962(昭和37)年
1月 陸上自衛隊第13飛行隊創設(L-19×3機 H-13×2機)
となっています。この写真は地元民に一般開放された時のものとのことですから昭和29年撮影とすると、第1航空教育隊のT-34が写っていていいはずなのに、陸自機L-19しか見当たりません。また、「防府北30周年のあゆみ」には13飛行隊の創設時期、昭和37年のL-19の機体が掲載されていますが、これには胴体にはっきりと「陸上自衛隊」と書かれ、垂直尾翼には「JG-1027」という文字も読み取れます。
しかし、上の写真には「陸上自衛隊」という文字は見当たらず、尾翼にも「?-1001」という文字です。なお、「防府北30周年のあゆみ」には、昭和30年に格納庫もなく天幕に機首部分のみ突っ込まれたT-34の写真が掲載されています。まさか、航空自衛隊はL-19を使用していません。となると、
@ 撮影時期が昭和29年とすると、なぜ、これだけのL-19だけが撮影されたのか。
創生期の自衛隊は陸海空問わずL-19で訓練をしていたのか。
A 撮影時期はご本人の記憶違いで昭和37年以降とすると、機体の文字デザイン
で矛盾が生じる。
何とも分かりません。山田さんが地元高校に赴任された時に撮影した、という記憶は信憑性が高いと思います。また、隊員らしき人の服装からみても創生期のものだと思うのですが、私の資料では、この疑問を持つまでで精一杯です。何か思い当たることはないでしょうか。
何らかのイベントが防府基地で開催され、そこにどっと機体(最低でも9機確認できます)を持ってきた、ということではないでしょうか。違うでしょうか。