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航空歴史館  掲載15/07/12

 

九二式電話機の思い出

香川県善通寺陸軍第11師団にて

 

追加  手旗によるモールス信号の思い出

かつお

 

 旧熊谷陸軍飛行学校桶川分教場に展示してある九二式電話機、私は、香川県善通寺陸軍第11師団に入営してから、これを使って実際に訓練を受けました。最前線と本部との連絡、迫撃砲などの弾着観測などです。

・ 送受話器
 通信員は、左側に見えるの円形の受話器をベルト状のもので左耳に固定して、受話待機状態に入ります。
 通話時は、右側の送受話器を握って右耳に当て、本体側面の長いレバーを握ると送話回路が繋がります。受話時はそのレバーを離します。
 この繰り返しで送受信を行いますが、左右両方の耳で相手の声を聞くので、周囲の雑音や騒音にあまり影響されませんでした。
 右側面のハンドルは、呼び出しの発電機用です。



・ 内部
 送受話器ケースを更に開くと、モールス電鍵、乾電池、発電機、送受話回路、呼び出し鈴、避雷器などがあります。乾電池は1.5V箱型で図示しているように2本を並列において鉄枠で固定しています。

・ 通信
 長い電線で電話機間をつなぎますが、乾電池式なのでどこででも設置できました。接地アースを利用するので単線で回路が通じます。鉄道線路があれば、レール継ぎ目の僅かな隙間を通すことができ、琴平電鉄の線路で実技を習得しました。

 移動時は、分厚い布製ケースに入れて背嚢のように背負って運搬しました。善通寺の第11師団からから多度津の公園頂上まで約5`を走らされた苦難の行も、70年経つと懐かしい思い出となりました。
 


 

モールス

 モールス信号の思い出

 通信手としてモールス信号は必須のものですから、懸命に覚えました。この九二式電話機で電鍵を使った記憶は無いのですが、実地では電話機回線破損時の非常用として、モールス信号を手旗で送る訓練はかなりやりました。

 一般にはあまり知られていないのでちょっと説明します。

 「手旗信号」と言えば赤白の旗を両手に持って、その動きでカタカナを描くのが基本ですが、モールス信号の手旗送信は、白旗を右手に持って旗竿を横水平に、胸の高さに軽く差し出します。(旗の柄の部分は旗の幅一杯程度と短い) そのままの姿勢で旗を縦に上下するとモールスの短音「・」を表現。右方向へ大きく振る(交通誘導のように)と長音「−」を表現します。

 この時の注意点は、旗が旗竿に絶対に絡まないように、開いたまま“はためく”ように振ることが最も重要でした。

《例》 −・−・− −・−−− −・−・・ ・・・− −・−・ −−・−− −・−・・ この「・」を縦振り「−」を横振りすると「サエキクニアキ」となります。

 送信の場合は、は送る文字が事前に分かるが、受信は瞬間的な判断が必要なので、慣熟には時間がかかりました。以上、参考までに。

 

追記

 ヒコーキとは畑違いの思い出が発表されて驚きました。佐伯さんはモールス信号は翻訳の二度手間で面倒な方式ではないかと書いていますが、そういえる面もありますが、実際には、略語を多用するので、それほどでもなかったのです。

 例えば「照準点」(照準設定の基準位置)は  ン 
 「左」は          ヒ
 「初弾1発撃て」は   ショ1ハテ
 「60m右」は      60ミ          
 また、
送信本文の前後には、必ず「始めるぞう」「おわり」の・・・ー・を付けます。

 さて、実戦では上陸前の艦砲射撃で有線電話回線など簡単に遮断されるし、樹木の多い山林の中では手旗交信も極端に限定されますから、米軍相手では戦争にならなかったでしょう。戦争末期に、こんなものを一生懸命に訓練していたのかと思うと暗然たる気持ちになります。