グライダーの背中に小型のジェットエンジンを装備して飛んでいる映像を見たことがあります。自ら動力を持たないグライダーにエンジンやジェット、ひいてはロケットを搭載して自由に飛びたいという願望は、ずっと以前からあったようです。
しかし、筆者はこのようなやり方はスポーツ航空であるグライダーとっては単なる邪道でしかないと思っています。そんなにしてまで飛びたいヤツは、さっさとグライダーから足を洗ってもらって、エンジン機やジェット機にでも鞍替えすればいいと思っています。動力付きのグライダーなんて、恥ずかしいくらいに醜いだけではないでしょうか。
スポーツ航空とグライダーのあり方を云々するからそうなるのですが、これが軍用となると、そんな悠長なことも言っておれないことになります。終戦直前のことではありますが、わが国にこのロケットグライダー構想があって、しかも、それは単なる構想に終わらずに試作機も作られていました。海軍艦政本部は、逓信省航空局に「敵の上陸用舟艇とM4戦車を撃破できる爆弾を搭載した木製グライダー」の開発を命じたのです。これがロケット特攻グライダー「神龍」です。
わが国のロケット機としては「秋水」があります。そしてこれには訓練用のグライダー機「秋草」もありました。ただし、秋水・秋草と「神龍」とは、ロケット装備の機体で、かつ滑空できるという共通点はあっても、前者は特攻機ではなく、後者は明確に特攻機であり、明らかに一線を画しています。その点で神龍はむしろ「桜花」に近いと言えるかも知れません。
この機体の開発指令が出されたのは終戦前年の1944年11月のことでした。戦局はますます押し迫り、戦力は枯渇寸前で、本土上陸は避けられない状況にありました。そのような中で、特攻グライダー構想が持ち上がったのです。実は、航空局航空試験所ではその前年3月に離陸用補助ロケットを装備したセカンダリーグライダーを製作していました。これは固体燃料ロケット3基を備え、最高高度800mまで引っ張り上げるものでした。海軍艦政本部が、通常ではまず発注などしないであろう航空局航空試験所に機体開発指示を出した理由はそこにあったのだと思われます。計画では、この機体に100kgの爆薬を装備し、海岸近くの山中に掘られた秘密基地のトンネルから離陸して上陸用舟艇に体当たりするというものでした。そのため、翼幅は極端に短くする必要があったのです。
神龍の諸元を見てまず気づくのは、64.5kg/uの翼面加重です。私の乗っているグライダー、ピラタスB4で24.9kg/u、ブラニクL-23では26.6kg/uですから、ほぼ2.5倍の高翼面過重です。その上、秘密基地のトンネルから打ち上げるため、通常のグライダーと違って翼幅はわずかに7mしかありませんでした。滑空比は10で、滑空性能はゴム索発航の初級練習グライダー・プライマリーとさして違いません。
操縦性はどうだったのでしょうか。まず、素人目にも気になるのは垂直尾翼です。テストパイロット楢林氏の回想によれば、やはり特に方向舵の効きに不安があったそうで、これは垂直尾翼面積を増加することで対処したそうです。この改修をしたにしても、軽快に旋回するのはちょっと無理だったと思われます。高翼面加重からも、操縦性は決して優れたものではなかったことが十分に推測できます。
さらに問題なのは滞空時間でしょう。最高到達高度は、最終計画ではわずかに400mでしかありません。ロケットを使い果たせば滑空するしかないのですが、設計巡航速度110km/hで、設計航続距離4kmを滑空するとすれば、作戦行動に割ける時間はわずかに2秒強です。どうしてこれで作戦が可能と考えたのでしょうか。滑空比がこの機体の3倍近いグライダーでフライトしている経験から言えば、400mの高度とは、敵上陸用舟艇をすぐ近くに発見できれば何とか突入できるかも知れませんが、見つけられなければ、もう打つ手は何もない高度です。とても現実的なものとは言い難い。まさか、精神力でグライダーを飛ばすことができるはずもないでしょう。所詮特攻思想そのものが無謀な精神論に過ぎなかったことが、ここでも露呈しています。全木製で直線を多用した設計は、製造の簡素化を達成するものでしたが、テストパイロットの楢林氏は、ロケットエンジンの信頼性と短い燃焼時間に重大な懸念を示したといいます。そして最終的には、実に冷静に、操縦訓練の不十分なパイロットには操縦が難しく、体当たりの特攻機としては不適当との判断を下しています。当たり前の判断です。
幸い、この非現実的なグライダー特攻は実施されることなく、試作段階で敗戦を迎えました。多くの若者が、軍上層部の無責任な決定によって愚かしいほどの旧式機で命を落とした特攻に、この神龍が加わらなかったのは、せめてもの救いと言うべきでしょう。かつてク-8型による沖縄特攻計画がありましたが、同じくギリギリのところで敗戦を迎えています。筆者は数年前、鹿屋、知覧の両基地でいかに多くの若者が本人の意思とは違う形で散華を余儀なくされたかを嫌というほど見てきました。二度と再びグライダーが軍用目的に用いられることなく、如何なる時も純粋に航空スポーツのみを目的として発展し続けることを強く念願しています。
【参考文献】
@「特攻滑空機『神龍』」楢林寿一著「日本の航空ミレニアム」酣燈社 掲載
A「航空局 神龍」石黒竜介著「日本陸海軍の特殊攻撃機と飛行爆弾」大日本絵画 掲載
B「秋水と日本陸海軍ジェット、ロケット機」野原 茂著 モデルアート社