HOME・SITEMAP 日替わりメモ 大分県目次   伝説の時代から現代まで航空史抜き書き

航空歴史館

日本航空株式会社(川西)の別府飛行場

 大正10年に別府温泉で行われた第一回航空博覧会

 

A8402-7 大分県別府市 第一回航空博覧会
             The First Aero Show, Beppu City, , Oita Prefecture 
      
 ◎ 別府温泉で行われた第一回航空博覧会のポスター

 九州沖縄八県連合共進会(大正10年・第14回大分県開催)について調べていたところ、同時開催で第一回航空博覧会が別府市で行われておりました。九州沖縄八県連合共進会については絵葉書が発行されていたのですが、航空博覧会はポスターと新聞記事が存在しています。

提供大石治生

 
 先日、絵葉書コレクターの古城俊秀さん宅を取材した際に、博覧会関連の絵葉書を拝見させて
貰う機会が有りましたが、残念ながら別府航空博のものは見当たりませんでした。

 

 神戸大学電子図書館の新聞記事では、滋野男爵を会長に民間航空黎明期の飛行士や航空機製造会社が名を連ねており、第一次世界大戦終結直後とあって鹵獲したドイツ機の展示も行われていました。航空機は、約70機(うちドイツ機15機、飛行船2隻)を展示し、毎日曜日に小栗常太郎飛行士による別府〜大分飛行(カーチス100馬力、イスパノ180馬力)などが計画されていると報じており、また、第二回航空博覧会は仙台で行われると紹介されています。
神戸大学経済経営研究所「新聞記事文庫」より
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00841772&TYPE=HTML_FILE&POS=1
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00841759&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

 

 鹵獲した展示機が15機と有りますが、青島からではなく所沢市のドイツ軍飛行機格納庫のようにドイツ本国から戦利品として持って来たのでしょうか?ちなみに戦利品の潜水艦(Uボート)の絵葉書は発行されています。
提供大石治生


所沢市 ドイツ軍機格納庫(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20160423/ddl/k11/040/286000c

参考までに古い絵葉書の年代推定法を(探検コム)紹介しておきます。
http://www.tanken.com/ehagaki.html
 

 

A8402-6 大分県別府市 別府飛行場
              Beppu Airport, Oita Prefecture 
      
◎ 別府飛行場の絵葉書

提供 大石治生
 

拡大

 1923(大正12)年、川西清兵衛氏が中島知久平氏と別れて日本航空株式会社を設立し、大阪〜別府〜福岡線を開設しました。この絵葉書に見る別府(水上)飛行場は、格納庫や吊り上げデリックを備えた立派なもので、飛行機は 、川西K-7またはK-8型で、遊覧飛行も行っていました。

 1927(昭和2)年ごろの撮影と思われます。 
 

2016/01/11日替わりメモ

〇 別府(水上)飛行場

 7日に、せとうちSEA PLANESの遊覧飛行について書きましたが、動画を見ますと、島との間の水道のような狭い海面を降下しています。あまり気持ちのいいものではないように思うのですが、瀬戸内海では不時着水してもすぐ近くに陸地があって援助してもらえるという安心感があるかもしれないです。

 大正末期から昭和初期まで日本航空鰍フパイロットとして大阪〜別府〜博多を飛んでいた亀井五郎さんの回想によると、エンジンの故障等で40箇所以上の島々の海に不時着水し、大阪から別府へたどり着くのに1箇月もかかったこともあるそうです。(日本民間航空史話)

 東京〜大阪の鉄道運賃が6円の時代に大阪〜別府の航空賃が80円ということですから、大金持ちのよほどの物好きくらいしか利用せず、故障欠航も多かったでしょうから、大赤字の経営です。それにしては、絵葉書に見る別府埠頭の日本航空の水上飛行場は立派なものです。 ヒコーキ雲には未掲載ですが、日本航空拠点の大阪木津川飛行場も規模の大きいものでした。

 新鋭機の開発にも惜しみなく資金を投じた川西清兵衛さんの航空事業に賭ける熱烈な思いが、後に川西の九七大艇、二式大艇、強風や紫電改を生む素地になっていたのですね。