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航空歴史館 石塚 零式艦上戦闘機 二二型 A1-112

 

試験飛行の事前発表   産経新聞、西日本新聞、YAHOO JAPAN! ニュース
2016/01/27、28  試験飛行実施
2016/01/27、28  試験飛行実施 中村泰三さんの写真を追加 
2016/05/31 熊本地震被災地(益城町)慰問飛行
2016/06/03 岡南空港に到着 以後の飛行を取りやめて解体し、アメリカへ戻して再整備の予定

2017/05/30  竜ヶ崎飛行場
2017/06/03 竜ヶ崎飛行場 クローズアップ

2017/06/04  RED BULL AIR LACE CHIBA 2017 千葉市美浜区幕張海浜公園
2017/11/24 竜ヶ崎飛行場
2017/11/25 土浦市 FLY AGAIN TSUCHIURA 2007 

 

 

 

事前発表    発表

@ 産経WEST2016.1.20 19:17 (奥原慎平)

 零戦、再び日本の空を舞う!「先人が築いた技術をみよ」

 零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、思いをはせるきっかけにしてほしい」と語った。

 飛行予定日は27日、周囲から見学を

 飛行予定日は27日で、28、29を予備日としている。基地内への立ち入りは禁止だが、周辺で飛ぶ様子を見ることはできる。パイロットに、零戦の飛行免許を持つ米国人を招く。
 機体は、ニュージーランドを拠点に、フライトジャケットの製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(54)が所有する。現在、飛行可能な零戦は世界中に6機ある。所有者のうち日本人は、石塚氏だけという。平成22年5月、国内で零戦を飛ばす「零戦里帰りプロジェクト」を設立した。

 トラブルから夢実現へ

 プロジェクトのきっかけは、トラブルだった。
 19年半ば、石塚氏のもとを、北海道小樽市の関係者を名乗る男性が訪れた。博物館で展示するために、零戦を入手したいが、その交渉を手伝ってほしいという依頼だった。石塚氏は、米国の飛行機収集家やパイロットに人脈があった。石塚氏は仲介を引き受けた。零戦を保有する米カリフォルニア州の有名バイクレーサーと売買契約を結んだ。彼が所有する機体は、パプアニューギニア・ラバウル近郊に放置されていた零戦22型で、米国人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた。
 だが、契約後にリーマン・ショック(2008年9月)が発生した。男性が持ち掛けた零戦展示構想は、景気悪化のあおりを受けて、中止になったという。売買を取りやめれば、米国人レーサーから億単位の違約金を求められる。石塚氏は訴訟も考えたが、相談した弁護士に「零戦を生かす方法を考えた方が、自分の人生のためではないか」と諭された。
 石塚氏はもともと、飛行する零戦を日本人に見てもらいたいと夢を抱いていた。「それなら、日本で零戦を飛ばそう」。腹をくくった。3億5千万円かけて零戦を購入した。ニュージーランド・クライストチャーチにある牧場や自宅、車などを売り、借金もした。
 購入から4年半が経過した平成26年9月、機体が横浜港に到着した。駐機先は、隊員の研修用機材にすることを条件に、鹿児島県の鹿屋航空基地に決まった。鹿屋市までの輸送費などとして、インターネット経由で寄付金約2340万円を集めた。昨年7月初旬にエンジンテストも終え、いざ公開飛行を待つだけになった。

省庁との交渉難航

 だが、関係省庁との交渉は難航した。安全保障関連法案の国会審議が進む中で、戦中を思い起こさせる零戦の飛行に、関係省庁の中には難色を示す担当者もいた。安保法成立直後、機体の設計図や復元の課程を示す資料を全てそろえて国土交通省に飛行許可を申請した。実機検査を11月末に終え、12月18日、1カ月以内を目安に飛ばすことを条件に、飛行許可が下りた。基地上空の飛行も今月19日、鹿屋航空基地と調整を終えた。
 石塚氏は「単に零戦が好きだからではない。先人が作り上げ、終戦後、二十数年で世界2位の経済大国にのぼりつめた世界最先端の技術をみてほしい。彼らの努力が、現在の日本の繁栄を築いたことを多くの日本人が気がつくきっかけにしたい」と語った。ようやく公開飛行にこぎ着けたが、米国人パイロットと整備チームの滞在費や機体の送料などを考えると、まだ約2千万円が足りないといい、プロジェクトではスポンサーも募っている。問い合わせは同プロジェクトウェブサイト(https://www.zero−sen.jp)から。


A 2016/01/21付 西日本新聞

零戦ついに鹿屋の空へ 27、28日に試験飛行 [鹿児島県]

20160121 0300

 昨春、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)に運び込まれ市民向けの公開飛行の機会を待っていた零式艦上戦闘機(零戦)が27、28の両日、同基地で試験飛行することが決まった。安全保障法制をめぐる影響で「戦争賛美の誤解を受けかねない」とスポンサーの撤退が相次ぎ一時は頓挫しかけた計画だったが、「平和を考える契機に」との思いをあきらめきれない主催者が自ら経費を工面、試験飛行までこぎつけた。
 機体はニュージーランドでフライトジャケット製造会社を経営する石塚政秀さん(54)が所有。戦後70年の昨年、零戦を生んだ時代背景について考えてほしいと国内での飛行を計画した。
 しかし安保法制成立が現実味を帯びる中、「戦争肯定」の批判や中韓での不買運動を恐れるスポンサーが手を引き、計画断念の危機に陥った。国の飛行許可の期限が今年1月末と迫り、石塚さんは「今飛ばないと計画がいよいよ困難になる」と試験飛行に必要な約750万円を負担することを決意。今回の飛行が成功すれば計画の真意もスポンサーに伝わり、目標とする公開飛行実現の可能性も高まると期待する。石塚さんは「平和の空を飛ぶ姿を多くの人に見てほしい」と話している。


B YAHOO JAPAN! ニュース 20160121配信 関 賢太郎 

前人未踏「日本で飛ばし続けること」

 この零戦の現オーナーである石塚政秀さん(ゼロエンタープライズ・ジャパン)は「日本における零戦の動態保存」を目的に、35000万円の私財を投入してそれを購入。2014114日深夜に日本への入国を果たし、その2週間後の1121日、分解状態ながら日本で初めて一般公開されました。
 そして
20152月には、インターネットを活用した募金活動「クラウドファンディング」によって1018人の支援者から23444000円を集めることに成功。日本の空へ零戦を飛ばすため、その資金を元に機体の組み立て、法的な問題の解決にあたっていました。
 ただ本来、早ければ戦後
70年の節目であった2015年中に飛行できる予定でした。それが延びた理由について、オーナーの石塚さんは次のように話します。
 
零戦の整備、エンジンの始動も地上走行も20157月初旬には完了。国交省航空局の実機検査を行って8月にも飛行が可能な状態にありましたが、残念なことに諸般の事情から断念せざるをえない状況になりました。また、航空局の担当者が交代になったこともあり、再び最初から実機検査を行いました。そして1218日に許可が下り、度重なる折衝を経て115日に飛行の日程が決定。今度こそ初飛行の段取りが全て整い、ようやく皆様にそのご報告ができるようになりました」
 旧軍の戦闘機が日本を再び飛ぶこと自体は、これまでしばしばありました。しかし「日本で飛ばし続けよう」という試みは、全てが頓挫しています。
 しかし今回、ついに「零戦を日本で動態保存する」という難事業が、前人未到の一歩を踏みだそうとしています。

零戦はある意味、寺社仏閣と同じ
 
このプロジェクトの今後について、零戦の現オーナーである石塚さんはさらに次のように語ります。
 「飛行のための実機検査までで、クラウドファンディングや募金による資金は底を突いてしまいました。また折衝の問題から情報発信が不可能だったため、一切の支援募集活動ができませんでした。現在の活動は、全て自腹で進めている状況です。これから色々な情報を出していけると思いますが、半年のロスは零戦の国内動態保存、そして日本の近代における技術革新とその背景にある歴史をより多くの人々に知っていただくという目的には、大きなブレーキになってしまいました。
 ここからどれだけプロジェクトを立て直せるか分りませんが、我々ができる限りのことはしたいと思っています。今後もより多くの皆様にこの活動の意義を知っていただき、零戦の動態保存が可能になることを心から希望しています」
 
127日(水)に予定通りこの零戦が日本の空を飛んだならば、今後は日本各地のエアショーでの飛行展示、動態保存を行っていくための新たな事業が始まります。
 しかし事業の主たる収入は、有志による寄付金に頼らざるをえません。また本機はアメリカ連邦航空局に登録された米国籍の機体であるため、一旦、アメリカに機体を戻す必要があるといいます。
 プロジェクトを進めるゼロエンタープライズ・ジャパンは企業や団体、個人などから幅広くスポンサーを募集しているといいますが、今後はたして日本で零戦を半永久的に飛ばし続けることができるのか、そのゆくえが注目されます。石塚さんは私財の多くを処分してまで、なぜ零戦を日本に持ち込みたかったのでしょうか。それはひとえに、寺社仏閣や城塞と同じように「日本の遺産」である「零戦」を守りたかったからだといいます。

中村泰三さんから提供   中村泰三

  中村泰三さんのYouTubeに鹿屋での画像が発表されていますが、それらを自由に使って結構との申し出がありましたので、一部を転載します。

鹿児島空港のノエビア社格納庫で


「初飛行記念にて製作した外板」 後部胴体左に在る機番号部分を当時の超ジュラルミンを使用し再現した物に石塚氏以下のパイロットと主要スタッフのサインを頂いた外板    

 

28日鹿児島空港に飛び立つ直前の操縦席

28日鹿児島空港に飛び立つ前


27日試験飛行前


ニコニコ動画から


パイロットのスキップ ホルムさんと鹿屋航空基地資料館の零戦を見学 

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A8702-3 鹿児島県鹿屋市 海上自衛隊鹿屋航空基地
       A6M in Naval Air Base, Kanoya City, Kagoshima Prefecture  

       
2016/01/27、28  日本国内で初飛行 興野博史

 鹿屋航空基地における27、,28日の零式艦上戦闘機のフライトには、私も行く予定でしたが、高速道路の凍結で諦めざるを得ませんでした。ALIENさんから写真を貰い、ヒコーキ雲への掲載許可も得ているので送ります。

 27日はもの凄い人出だったそうで、無事に2回フライトし、時間は15分ほどだったそうですが感動されたとのこと、次の28日も出掛けられランウェイ08側でナイスショットをものにされました。 その後、同機は鹿児島空港へ向かいました。

撮影2016/01/27 14:17 鹿屋航空基地 ALIEN


撮影2016/01/27 15:19 鹿屋航空基地 ALIEN


撮影2016/01/28 12:03 鹿屋航空基地 ALIEN


 

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A8546-8 熊本県 阿蘇くまもと空港    熊本
       A6M in Aso Kumamoto Airport, Masuki Town, Kumamoto Prefecture  

       
撮影2016/05/31 阿蘇くまもと空港 興野博史 

 実は3月に今まで使っていたPCがビスタで古くなり新しいウインドウズ10に変えました、慣れるまで時間が掛かりアドレスも書き換えたため上手く着くか心配です。このたびの大地震では皆様にご心配おかけしましたが今のところ無事に暮らしております、ただ余震があり油断出来ない状態です。こんな中31日に里帰りゼロ戦が慰問飛行に来てくれましてまさかここで実機を見れるとは思ってもいませんでしたので感激の一言です、大観衆が見守る中北九州へ向け離陸するシーンは映画を見ているようでした、主翼下のクマモンにも注目です、まずはご連絡まで。

 零式艦上戦闘機(零戦)の復元機が31日、熊本地震の被災地上空を飛んだ。「被災地を励ましたい」と熊本市の企業がスポンサーに名乗りを上げて実現した。鹿児島空港を午後1時50分ごろ離陸し、約30分後に熊本県益城町上空に到達。「くまモン」が描かれた両翼で大きく旋回し、熊本空港に着陸した。 「苦しい時ですが青空を見上げて希望を持って」と主催者。空港近くで見守った地元の女性(58)と妹(53)は「つらい日々だったが、零戦が飛ぶ姿に感動した」と声をそろえた。=2016/06/01付 西日本新聞朝刊=







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A6301-45 岡山市南区 岡南飛行場岡南
       A6M in Konan Airport, Minami-ku, Okayama City

       
撮影2016/06/03  岡南飛行場 鈴木博之

 3日、広島から零戦が岡南飛行場に飛んできました。普段は静かな岡南飛行場も本日だけは「零戦祭り」で大賑わいでした。ハンガーに入れる前には自走で方向転換してファンサービスに努めてくれましたので、展望デッキからでも楽しめました。

 太平洋戦争中の日本海軍の主力戦闘機として知られ、日本人が所有する零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の復元機体が3日、岡南飛行場(岡山市南区浦安南町)に飛来した。航空関係者によると戦後、日本人所有のゼロ戦が岡山上空を飛ぶのは初めてという。機体はパプアニューギニアで1970年代に発見、修復され、ニュージーランド在住の会社経営石塚政秀さん(55)が米国人オーナーから購入して14年、日本へ持ち込んだ。わが国の技術力や平和について考える契機にと東京の会社などがフライトを企画。熊本地震を受け、被災地を励まそうと熊本県PRキャラクター「くまモン」のシールを両翼にあしらった。5月31日、甚大な被害が出た熊本県益城町(ましきまち)の上空を慰問飛行。復興への願いを込め、東日本大震災で被災した福島県へ向かう計画だったが、安全面を考慮し、岡山で打ち切った。石塚さんは「最終目的地まで行けないのは残念だが、米国で準備を整え、再び日本の空に戻ってきたい」。 =山陽新聞 2016年06月03日=

14時32分 到着




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A3007-13  茨城県竜ヶ崎市 竜ヶ崎飛行場
       Ryugasaki Air Port, Ryugasaki City, Ibaragi Prefactur 
    龍ヶ崎
       
撮影2017/05/30 竜ヶ崎飛行場 Jetjyun






撮影2017/06/03 YS45

   14:52 格納庫から出す前に、石塚政秀さんが米国人の整備士を紹介していました。
   


       

16:46

 細部も撮りました。
 戦中工場から出てきたようなピカピカな塗装が印象的でした。エンジンがP&Wなのでカウリングの形がちょいと違うようですが、キャノピーは満点に近いと思います。8割9割はロシアでの新造と言われていますが、どの部分がオリジナルなのか聞けばよかったです。














16:59








18:03着陸  柳田一昭パイロット

A3506-09 千葉市美浜区 幕張海浜公園 レッドブル エアレース 2017  幕張
       RED BULL AIR RACE CHIBA 2017  on Makuhari Sea Park, Mihamaku, ChibaCity
 
撮影2017/06/04    ハロースクエア Twinbeech








A3007-13  茨城県竜ヶ崎市 竜ヶ崎飛行場        20171124
       Ryugasaki Air Port, Ryugasaki City, Ibaragi Prefactur 
 
撮影2017/11/24 YS45

       


A3004-05  茨城県土浦市 土浦青年会議所主催 FLY AGAIN TSUCHIURA  TSUCHIUA R      20171124
        FLY AGAIN TSUCHIURA, Tsuchiura City, Ibaragi Prefactur 
 
撮影2017/11/25 YS45  零戦以外の写真はA3004-5へ掲載




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