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航空歴史館 いしぶみ 海軍小禄飛行場砲台跡
 
 
 
   
A8801-4 沖縄県那覇市航空自衛隊那覇基地内 海軍小禄飛行場砲台跡
       The Old Battery of  Imperial Navy, Naha City, Okinawa Prefecture
 

◎ 海軍砲台跡

撮影2009 RBO   
   
  




追 憶

 この砲台は、昭和18年6月から10月の間に海軍小禄飛行場が、対潜水艦用基地として整備拡充されるに伴い、海軍施設山根部隊によって施工、整備された15糎(センチ)水上砲台6基中の1基である。
 昭和20年4月上旬、米軍沖縄上陸に際し、これらの砲台は、那覇西海上の海域に出現した米海軍軽巡洋艦1隻を撃沈したといわれている。米軍の猛烈な砲爆撃により、この1基を除き、他はほとんど原型をとどめぬまでに破壊された。
 大田實海軍少将指揮下の沖縄方面根拠地隊将兵は、首里方面の戦闘に陸軍部隊とともに勇戦奮闘しつつ、この小禄飛行場周辺陣地を確保したが、昭和20年6月4日、小禄飛行場北部に米軍が上陸するに至り、当間(当砲台付近)、安次嶺(ここから北方800m付近)、気象台前(現陸上自衛隊第1混成団本部付近)の戦線を死守したが、戦況我に利あらず、6月6日小禄飛行場周辺陣地から豊見城74高地(旧海軍司令部壕所在地)へ移動し、遂にこの地区の戦闘も終焉した。

This battery will accompany doing the maintenance expansion as an antisubmarine base in October, 1943 from June, and be 1 of maintained 15 centimeter 6 in water battery inside.
The U.S. military Okinawa is said in the beginning of April, 1945 that these batteries sank one U.S. Navy light cruiser that appears in the sea area on the Naha west sea upon landing. Severe ordnance of the U.S. military shot and was destroyed another by the time the prototype was hardly stopped exAHuding this 1.
 

2011/07/02

〇  「海軍砲台跡」の記事にて、同砲台の米軽巡撃沈の記載に大変好奇心を刺激されたので調べて見ました。                        川村忠男さんから

(砲台跡の碑文) 
 この砲台は、昭和18年6月から10月の間に海軍小禄飛行場が、対 潜水艦用基地として整備拡充されるに伴い、海軍施設山根部隊によって施工、整備された15糎(50口径)水上砲台6基中の1基である。
 昭和20年4月上旬、米軍沖縄上陸に際し、これらの砲台は、那覇西海上の海域に出現した米海軍軽巡洋艦1隻を撃沈したといわれている。

 Wikipedia List of United States Navy losses in World War II によれば、陸上砲により撃沈された巡洋艦は、重、軽ともありませんでしたが、Fletcher級駆逐艦 Longshaw (DD-559)が位置的に該当するのではないかと思われます。

 Wikipedia USS Longshaw (DD-559)によれば、1945518日、同艦は、那覇飛行場南海上のサンゴ礁に座礁し、タグボートで離礁作業中、日本軍海岸砲の砲撃が前部弾薬庫に命中し、艦首が完全に吹き飛ばされました。修理限度以上に損傷したため、米海軍艦船からの砲撃と雷撃により破壊されたとあります。

 フレッチャー級は、排水量約2.1千トン、全長約115 mの大型駆逐艦なので、軽巡洋艦と誤認したのではないでしょうか。ヒコーキとは関係ありませんが、ご参考までに・・・

     

2014/04/17

〇  海軍公園  大石治生さんから

 2006年9月11日に空自那覇基地を訪れた際に旧海軍砲台跡を見学しました。見学コースになっているのかフェンスの外側に案内用の看板が設置してあります。那覇空港に隣接する施設内にこのような史跡が残されていたのに驚きました。

      



太田司令官が司令部を置いた海軍豪公園には沖縄戦の参加部隊を記した慰霊碑があります