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航空歴史館技術ノート 掲載10/07/05

  
自衛隊機の部品転用について

[1] F-104DJのキャノピー
[2] OH-6Dのテールブーム
  [3] F-1のミサイルランチャー
  [4] シコルスキーSH-60Jの例

 

[4] シコルスキーSH-60Jの例

撮影2006/05/20 大村航空基地 MAVERIC

 SH-60J 8231の機体に8212のテールを付けていました。

 

 テール部分を整備するために、一時的に付け替えてテストしたり、飛行させたりすることもありますが、終われば元に戻し、本体とテール部分は一緒に退役させるそうです。

 なお8231機は長崎県南島原市の漬物の里ふるさと館 に展示されています。A8316


2010/05/23 公道から撮影 部品どりされた用途廃止機 SH-60J 8235

 

 

[3] 三菱F-1のAAM-1ミサイルランチャーの例

撮影2010/05/22 奈良基地 GUNDAMZAK

 奈良基地のF-1の両翼端のAIM-9(又はAAM-1)ミサイルランチャーに付けられている部品ブレードの日付を確認してみました。

 

左側ランチャー

防衛庁ブレード:
   部品番号 041A-74501-101
   製造番号 S/N 111A
   製造年月 87年11月
 
IRANブレード:
   作業完了 2000年8月(製造から12年9か月後)

 
右側ランチャー

防衛庁ブレード:
   部品番号 041A-74501-102
   製造番号 S/N 202
   製造年月 90年2月

IRANブレード:
   作業完了 1999年2月(製造から9年後)


 70-8276の航空自衛隊への引き渡しは1987年なので、左のランチャーは当初のものと推定できますが、右のランチャーは、3年後の製造なので、明らかに他機の部品取りです。
 
 なお、IRANまでの時間が左右で約4年も開いていますが、ランチャーの運用(飛行?)時間によるものでしょうか。

 
 

2

[2] ヒューズOH-6Dのテールブーム取替えの実例

2010/06/02 北宇都宮駐屯地の訓練機材の例 伊藤憲一

 OH-6Dの2機とも、尾部左側のナンバーが本体と違っています。(右側は本体と同じナンバーでした。)部品をやりくりしながら、苦労して運用しているのが垣間見えます 。100番台がほとんど退役しているのでしょうか。A3101参照

31188の本体に31226のテールブームを取り付け

31193の本体に31221のテールブームを取り付け

 

2007/02/18 まとめ:佐伯邦昭

問題の写真 同一展示機の右と左


 OH-6については、伊藤憲一さんが霞ヶ浦駐屯地広報センターのOH-6Jのテールブームに、下3桁の102又は106を消して038と書替えた形跡を見つけて以来の懸案でした。

 このたび、たいらあおば さんが2007/01/05に陸上自衛隊八戸駐屯地で撮影したヒューズOH-6D展示機で、左右のテールブームの番号が完全に異なる事実が現れ、しかも、左側のナンバーをつけたOH-6Dが明野駐屯地の現役であることがわかって、更に謎が深まりました。


日替わりメモ034番 2007/02/11

陸上自衛隊のヒューズOH-6Dテールブームの左右番号違いについて 伊藤憲一さんから     
         
 1月9日に更新された
八戸駐屯地の保存機のOH−6Dを見て、ふと、感じたことがあります。長文になりますが、お許し下さい。 

 結論から言うと、陸自のOH−6Dは、もしかしたら現役機の時から、尾部安定板を含めた後部胴体を他の機体のものと取り替えて飛行している機体があるのではないかと思えることです。         
 
八戸駐屯地の新保存機のOH−6D(31178)は、テールブーム左側がJG−1201となっていますが、右側はJG−1178となっています。31201のテールブームを含めた後部胴体を、本体(前部胴体)の31178に付け替え、右側のJG−1201をJG−1178に書き換えたと読み取れますが、それは違うと思います。右側の下3桁の数字の位置は、テールブームが切り離されるだろうところより前側にあるため、178は本体そのものの数字と思うからです。

 
よって
@ 
31178の、テールブーム左側だけの数字をJG−1201に書き換えたか、 
A 
31201のテールブームを付け替えたか、のどちらかと思われます。         
         
 
私が2年程前、宮城県大和駐屯地で見て投稿したOH−6D 31136のテールブームの左側だけがJG-1186となっていたのを思い出しました。(右側は、写真投稿していませんがJG−1136となっていました。)         
 
このときは、左側だけをご愛嬌で3を8に書き換えていたと思っていました。しかし、今回の八戸の31178を見て、2機とも何故、左側テールブームの番号だけが変わっているのか? 偶然か? これらを見ると、ひょっとしたら、書き換えではなくて、実際に他の機体のテールブームを付け替えたものではないかと思えてきたのです。         
         
 
そして、また、2年前の31186や現在の31201は機番から見て、それぞれ、まだ現役機と思うのです。31186は微妙ですが、31201は、箱庭の回転翼という明野駐屯地のヘリを主題としたHPに2006年11月8日の午後、飛行中の写真がしっかりと記録されています。         

 
たいらあおばさんの情報では、31178は2005年夏〜秋ごろの展示と推定、となっています。
 すると、明野で31201が11月に記録された後1〜2ヶ月の間にテールブームだけが八戸へ運ばれて展示31178の後部に付け替えられたのでしょうか。あり得るようなあり得ないような話しです。      
         
 
これらのことから、ひょっとしたら、31186や31201は、現役時代に、何らかの理由で、後部を別の機体のものと取り替えて番号を本体のものに書き換え、飛んでいるのではないかと思えてきてならないのです。(かつてのF-86Fの、主翼を取り替えて番号が書き換えられたように。)         
         
 
それとも、ただの、異常な程のかんぐりすぎのみで、実際は、ただ単に、上記2機とも、テールブーム左側だけを書き換えただけなのでしょうか。         
 
 
私事で恐縮ですが、飛行機に特に関心も無い家内に、半ば、あきれかえられるのではないかと思いつつ、これに対するコメントを聞いてみたところ、案の定、「取り替えただけじゃないの?。そんなの、どうでもいい事じゃないの?」で終わりでした。        
 
しかし、、どうでもいい事にはまりこんでしまった一ひこーきファンからの一つのお話として、投稿させていただきました。  

後記 上述の箱庭の回転翼はすごいHPですね。質のいい写真と、機体ばかりでなくパイロット(教官、学生)にまで入り込んだ詳しいコメントで、明野の機体の全てが網羅されているよです。そして、コメントの記述から、パイロットをはじめ、運用者に対する細やかな心遣いが読み取れます。ここの主宰者の「たけちゃん」という方は女性ではないでしょうか。     


 そこで、佐伯から箱庭の回転翼さんへ投稿して意見を求めたところ、JOKERさん、HUNTERさんのお二人から次のようなお答えがありました。

 ヒューズ369のテールブームには限界使用時間が決められて いて、規定の時間に達すると交換され る。
 八戸駐屯地の展示機の場合は、178号機が用途廃止となった時点で、178号機が付けていたテールブームの使用出来る残り時間が多かったため予備部品として取り外され、代わりに限界使用時間を迎えて取り外され廃品とされた201号機のテールブームを取り付けたのだと思われる。

 そういうことで一挙に謎が解けました。

 試しに、OH-6Dの構造図を見ると、胴体とテールブームの結合部(2枚の輪)が文字の分かれ目になっていることが分ります。

    

 まず、右側は、結合部から後ろ(テールブーム)にJG-1、前(胴体)に続く下3桁○○○の数字を画いていています。
 また、左側は、結合部から前(胴体)にJG-、後ろ(テールブーム)に4桁1○○○の数字を画いていています。

 したがって、他機のテールブームを付け替えた場合、右側はJG-1○○○がそのまま残るので手を加える必要がありませんが、左側は、下3桁○○○の数字を書き替えないといけないわけです。

 霞ヶ浦駐屯地では、胴体に合わせて書替えていますが、八戸駐屯地と大和駐屯地はそのままにしているので、シリアルマニアの頭を悩ませたというわけです。

 さて、用途廃止の時に限界使用時間が余っているというので取り外し予備部品とされたテールブームは、どの機体へ取り付けられているのでしょうか。その場合はもちろん胴体ナンバーに合わせて左側が書替えられていると思いますが、中には、ひょっとすると??

     これからは、OH-6Dの接合部を右からも左からもじっくり観察する楽しみが増えました。

航空科学博物館の川崎ヒューズ369HS(500) JA9115


 


1

[1] F-104DJのキャノピー

撮影1984/09/09 三沢基地 伊藤憲一
 

このロッキードF-104DJは、1984/09/09に三沢基地祭で展示された26-5004です。青と黄色のVマークの204SQ所属機でした。
 よく見ると、前席のキャノピー枠には”26-5004”となっていますが、後席のそれには”26-5010”となっています。拡大して並べてみたので確認してください。



 現役時から既に他機のキャノピーを転用していた訳ですね。

 グリーンアロー出版社の航空自衛隊F-104J/DJ全機写真集(1998年発行)によりますと、#004は204SQ所属の後、航空実験団に転属し、1985年に用途廃止となっています。また、#010は、1980年ごろ204SQ所属で、用途廃止が他機と比べて早く、1980年代前半と言われているが、詳細不明となっています。

 このことから、204SQで現役機にキャノピーを他機から転用していたと推測されます。

 F-86F等で、増槽タンク等、他機のものの転用はよくあったと思われますが、キャノピーまでとは思いもつきませんでした。
 

日替わりメモ687番 2005/02/02  展示機のキャノピーなどに別機のものを使うのは当たり前
展示機のキャノピーなどに別機のものを使うのは当たり前

Blueさんから投稿

 キャノピー枠に書かれた番号と、胴体や尾翼に書かれた番号が違うケースとしては、名古屋市の科学館にあるF-86Dも、そうだったと記憶しています。他にも見たように思いますので、あちこちで展示されている用途廃止機では、普通のことのように思っていました。

 部隊での運用時も、キャノピーそのものは傷つきやすく、かなりの頻度で交換されるでしょう。交換作業としては、「アクリルガラス」を付け替えるとは考えにくく、枠を含めた「キャノピー組み立て=CANOPY ASSY」を交換すると思います。

 部隊運用においては、CANOPY ASSY 交換時、取り付けた機体の番号を、そのつど記入していただろうと思います。

 しかし、展示等に供する用途廃止機のキャノピーが痛んでいた場合、どうでしょうか。見栄えの良い他機から持ってきて、そのままとしてしまうのも、自然ではないでしょうか。

 こういう理由であれば、多くの用途廃止機について、この現象が見られることも、説明できます。

佐伯から : そのとおりだと思います。ただ 「キャノピーも員数あわせ 」調研コーナー37のように現役機でも見られたことがありますので、急を要する前線基地の思想「その辺にあるいいものを使うのは当たり前じゃないか」ということで記録もなしに扱われているとしたら問題ですね。今ではそんなことはないのでしょうが。

 

 

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