F-86Fの各運用部隊に於いて必要に応じて対地攻撃訓練等を行っていたが、浜松基地では操縦教育課程の一部分を行っていたようでそのスナップを少し紹介します。
1970.1.14. F-86F 72-7765 1sQ
中央翼下面の大型流線形カバーの中に対地攻撃確認用カメラ:「STRIKE
CAMERA」を装備し、ファインダー無しで機体の下方を撮影するもの。
1970.10.21. F-86F 02-7948 3sQ ストライク・カメラ
のカバー下面の半円型の膨らみがカメラ窓。フィルム・マガジンには50ftの16mmフィルムが収められる。
1970.1.14.
F-86F 82-7781 1sQ
ストライク・カメラ・カバーの前半が外された状態で、円筒形の下向きのカメラ窓を通しての写角度は前方50°、後方55°計105°のカバーリングがある。胴体下面の位置灯(白色/透明)はカバー後方に追加してある。 カメラの操作は下の写真にある関連機器の設定/表示器等により行う。
F-86F 操縦席のA-4
GUN-BOMB-ROCKET SIGHTの関連機器
@ REFLECTOR GLAS:
サイト・グラスとも言い対空/対地目標のリード位置など表示する
A BOMBING
ALTIMATER:爆撃用高度表示器で進入角度などをセットする
B MANUAL PIP CONTROL
UNIT:目標物への進入角度や速度などの諸元切り替える
C ATTITUED
INDICATOR:攻撃用姿勢表示器で、通常の水平儀とLABS兼用の姿勢表示は上下方向のほぼ垂直姿勢でも正確に表示できる。
なお写真はBI機なので「GUN-CAMERA」を外した跡に「時計」が取り付けられている。
1968.06.05. F-86F 62-7498
1sQ 誘導路脇に仮設された地上標的を基に、低高度で進入及び射撃とその後の離脱上昇から周回コースに戻るイメージに画像処理。当然のこと実射は出来ずカメラ・パスのみ行う。普通は4機のローテーションで進入角度や速度を変えながら各種の攻撃バターンでの連続攻撃を行うが、ストライク・カメラ未装備機も混在していた。
外来機用ヘリポートの上を超低高度で高速パスするのを米兵たちは珍しそうに見ていた。
(同じ誘導路上の外来ヘリコプター:CH-46A s/n152552 U.S.MARINES)
1971.10.22.
F-86F 81-7819/913+ 訓練弾500Lbs.x2の搭載訓練は珍しく初見参
F-86Fのこのシリーズ機ではLABS(Low-Altitude
Bombing System)による攻撃も可能となったが、通常の訓練で行う事は無かったようだ。奥の2機は仮想敵の赤帯付きである。
1971.10.22.
F-86F 92-7913 1sQ 左右のインボード位置のBOMB PYLONに500
Lbs.の訓練弾を装着。弾頭/後尾に起爆装置のプロペラを安全線で「停止させてある」のが生々しい。投下時に安全線が外れてパイロン側に残り風車の回転で起爆装置を始動、弾着で風車が停止後起爆又は遅延装置のタイマーにより起爆する仕掛けがある。
1969.10.23.
F-86F BOMB & ROCKET
の搭載訓練も初見参であった。このPYLONを改良して「TOW-PYLON」が出現した記事は以前投稿の「バナーターゲットの記事」にある。
1971.10.22.
F-86F 82-7833 1sQ
2.75吋ロケット・ポッド(6発装填)は新旧2種類があるようで、いずれも実射を一度も見ることなく終わった。写真の機体は赤帯付きである。
1980.10.17.
F-86F 62-7473
1sQ 一見前述のストライク・カメラのカバーに見えるが、実はVTR-CAMERAが納められ前面に四角いカメラ窓がある。またカバーの下に換気口が付いたようだ。前方向きのビデオ・カメラは運用の終わりに近いF-86Fブルーインパルスの記録用に計画されたようであったが、演技の後を追うシーンは確認していない。
1980.10.17. F-86F 62-7473
1sQ 飛行を終えて着陸するシーン。このVTR用改修は他には無く本機のみで終わったようだ。
1980.10.26. F-86F 92-7931
ブルーインパルスのラスト・イヤーに向けて大きなVTR-カメラを計器盤上に取り付けて飛行準備中の田代健二郎1尉と僚機。この直後のシーンは
航空ファン誌イラスト集「青い衝撃の歴史・F-86F.T-2.T-4」96-2
86に掲載済みで貴重な記録の一つ。この時に記録された映像は各方面で活用され、多くの人の記憶に残っているだろう。
1980.10.26. F-86F 92-7931
BI 前写真に続く飛行シーンでファインダーを見ながら編隊のスモークを浴びながらアクロ編隊を追う 田代1尉機。彼自身もスモークを出している。
このカメラ位置はパイロットの目線なので映像の出来は予想以上のものであったようだ。
1966.8.7.
F-86F 72-7727 1sQ 訓練用AIM-9B サイドワインダー1基のみ装着。
浜松基地ではこのようなシーンは数年に一度しか見られなかった。
1970.12.25. F-86F
02-7991 8sQ 移動訓練機でAIM-9B の2基搭載を見た。
このような形態で緊急着陸などの時には、全搭載物即ち両ドロップタンクと両方のサイドワインダーもランチャーごと投棄してバリア・ヒットを実行する。もしそれらを投棄できなかった時は・・・どうなるか、このヒコーキ雲の愛読者であればその説明は必要ないと思う。
1971.10.22. F-86F
72-7756 1sQ AIM-9B サイドワインダーの装備状態
先端の赤外線センサー・レンズには防護カバーが付いている。Sidewinderとはヨコバイガラガラ蛇の別名。赤外線誘導式で全長:2.83m、重量:約70s、射程:約900〜4,800m、速度:Mac
1.7、弾頭:榴弾による破片効果など。これはF-86Fの最終武器であった。
当時は近くでの撮影はNGであったが・・・
1973.1.31. F-86F 02-7984
8sQ 珍しく着陸時にスライド・キャノピーを開けている。これはF-86Dや最近のクラムシェル・キャノピーでは絶対出来ないが、その速度は215kt以下に制限のほか計器盤回りやコックピット内の飛散物には十分気を付ける必要があった。
なおこの場合キャノピーは全開ではなく少し手前で止めている筈だ。もし全開にすると気流の影響で負圧が増大し空中ではキャノピーが閉じなくなり、与圧/暖冷房も効かなくなるだろう。コックピット・スモークなどではほんの少し開けても十分換気可能であった。
編集掲載日 : 2023年06月19日
WEB編集 : イガテック
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