1954(昭和29)年6月20日 高知市郊外 体験搭乗の料金は確か200円
写真は私がグライダーの後席に搭乗し出発直前のものです。実は2〜3分後にはこれが生ある最後の写真となっていたかもしれないというすごいアクシデントが待ち受けていました。
このセカンダリーのスタートは、固定された高速ウインチによる巻上げではなく、自動車による曳航(曳行?)でした。
飛行コースは凧揚げの要領で急上昇し、所定高度でワイヤー離脱。地上ではワイヤー落下時にシューーというかなりの風切り音が聞こえます。右に大きく旋回して徐々に降下しながら上昇時の直線コースを斜めに横切り、スタート地点を左手に見ながら通過。こんどは左180度旋回してスタート位置近くへ着地と言う「8の字」コースです。
以下 命拾いの記です。
1 スタート位置につくと両翼端を係員が支えて水平を保つ。・・曳行自動車が徐々に前進しワイヤーがピンと張ると同時に大きな赤旗でストップの合図。もちろん当時はトランシーバーも無く、総て旗振り目視が合図でした。
2 パイロットが合図すると大きい白旗が振り降ろされて「GO!」 動き始めた両側には係員が翼端を支えながらしばらく走る。車輪ではなく橇で地面を引きずられる衝撃が板張りシートに座った腰にもろに伝わってくる。
3 地面を離れると急加速し、かなりの迎え角で急上昇。ぐんぐん上昇するが、この時ピンと張ったワイヤーの牽引力を体に感ずる。
4 かなり上がったところで曳行自動車はどの辺に、と右側に身を乗り出して真下を眼で探していたその時!「ガクン!」と初体験の身にも明らかに異常と感ずる異様なショック!
次の瞬間音も無くすーっと急降下!これを無重力と言うか腰が浮き上がって総ての内臓が口元へせり上がって来るようなあの不快感はたとえようも無く、耐えるためには全身がこわばり正に息も詰まった状態のほんの数秒間。
5 やっと水平飛行にもどるとパイロットがザーッいう風切り音に抗した大声で「びっくりしたでしょう。済みません。ワイヤーが切れました」と。
6 その後は順調にコースを辿り、予想外に大きく聞こえる張り線の風切り音を耳にしながら空からの田園風景を満喫したことでした。
事後の素人推測ですが、あれは急角度での上昇中のワイヤー切断ですから、機首上げ状態での失速ーほぼ垂直落下ー機首下げ加速ー水平復帰 だったと思います。
予想されていて心構えが出来ていればもう少し違った感じだったかも知れませんが、全く予想無し、しかも身を乗り出すようにして真下を見ている時のことですから、ほんの数秒とはいえ文字通り息詰まる数秒でした。
今では考えられないことでしょうが、ワイヤーロープが時々切れることがあったようです。途中には繋ぎ目がありましたからね。それもワイヤーロープ独特の組み込み撚り合わせ(牽引力が大きいほど強力に締る)ではなく、普通の結び目のように見え、それが複数あったように思います。
経費をケチったか戦時の資材枯渇が未回復時代だったかも知れません。加えて保安基準などあっても十分に浸透・徹底していなかったかも知れません。
生死を分ける一瞬がグライダーの翼面過重のおかげなのか、教官の冷静な操縦によるものであったかは確認しようもありませんが、先日も九州でグライダーの死亡事故があったように、人間いつどんなところにアクシデントが待ち構えているか分からないものですね。