古谷眞之助さんから
川上裕之著「日本のグライダー」に同じ写真が載っています。また、佐藤博著、木村春夫編「日本グライダー史」には別の写真も載っています。
名称要目は次のとおりです。
「霧が峰式鷹型ソアラー」
設計製作 鵜飼照彦(日大の卒業設計、製作機で昭和11年6月完成)
翼幅10.80m、
全長5.77m、
重量125kg
滑空比 16.8
滑空速度50km/h
鵜飼氏は大正3年門司生まれで、昭和11年9月2日〜4日に霧が峰で開催された全日本グライダー大会のソアラー部門で本機に鵜飼照彦自身が乗って優勝しています。
顕彰
霧ヶ峰には、鵜飼照彦氏を顕彰する石碑があって鵜飼照彦碑保存会(長野県滑空協会)が守っています。
書籍
藤富康子著 「風になってもーグライダ-の昭和ー 鵜飼照彦と仲間」 1990年あざみ書房刊
(日本航空協会航空図書館蔵)
○ J-BADLについて
J-BADLという記号を明瞭に書いたグライダーの写真は、滑空関係者の間ではお馴染みであったようですが、そうでないヒコーキマニアはさんざん悩まされました。その原因は、例えばGOLDEN
YEARS OF AVIATION の
CIVIL REGISTER-JAPANのリストです。
Reg |
Type |
c/n |
History |
Owners |
Date |
CoR |
Fate/Comments |
J-BADL |
Tachikawa 95-3 |
|
J-BADL(3) |
Nippon Student Air League |
|
|
|
J-BADL |
Kirigamine Taka 1 |
136 |
J-BADL(2) |
|
00.08.36 |
|
Mita built |
J-BADL |
Nieuport 81-E2 |
9 |
J-BADL |
F.Mihara/Moriyama |
00.03.28 |
1047 1188 |
Tokorozawa built |
同じ記号の航空機が三つもいて、どうやら真ん中のKirigamine
Taka 1が該当することは確かです。また、JAHSが1988年に発行した「Jナンバー登録記号集」は、J-BADLはひとつです。
航空機形式 キリガミネ型ソアラ―
製造番号 (空欄)
所有者 ?
資料出典 S11.11.03検査報告書
備考 セコンダリー又はソアラ―
となっていて、これまた霧ケ峰式グライダーであることだけが確実で、後は何のことやらよく分かりません。
それでグライダーのことなら古谷さんにという訳で照会したら、明快な答えを頂いたという次第です。設計制作者の鵜飼照彦という名前も分かりましたので、ネット検索しましたら、霧ケ峰では有名人であり、その顕彰碑も建てられているということです。一挙に悩みが解決しました。
滑空界に暗いエンジン機マニアを代表し、お詫びの意味を込めてJ-BADL霧が峰式鷹型ソアラーを表紙絵にも採りあげた次第です。
・ 同じ記号の航空機が三つあるということについては、戦前にはよくあることと言われますが、GOLDEN
YEARS OF AVIATIONには出典が書いてないので、今一つ信用できないところがあります。これまでも再三主張してきたように、日本人の手によるJレターの研究が不可欠なのですが、もう、誰も手を付けないのですかね。当方が手掛けている初期JAナンバーですら既に分らなくなっているものがありますから、Jレターはますます霞んでいきます。悲しいですね。
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