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航空歴史館


日本におけるベル47ヘリコプターの歴史 1-08

西日本空輸株式会社

西日本空輸株式会社のべル47系ヘリコプター

・ 西日本空輸株式会社の略史

1953/12/03  西日本空輸株式会社設立 社長は西日本新聞社田中斎之社長
 ビーチクラフトC-35ボナンザJA3053で事業開始
1953/12/13  使用事業免許
1956/01  九州電力管内の送電線パトロール開始
1964/04/01  航空情報1964年2月号国内ニュース
 

・ 西日本空輸株式会社は、西日本新聞社、西日本鉄道及び九州電力を主力として1953年に福岡市で設立されました。発足早々の1953年12月25日、ボナンザが本土復帰(日本返還)に湧く奄美群島への取材をやって一躍名を上げました。

・ ベル47の採用は割合遅いですが、1953年秋に東北電力がウエストランドシコルスキーS-51でパトロールなどを始めており、同じように山岳の多い九州ですから、UH-12Bやベル47のチャーター も使っていたのではないかと思います。 
 最終的には、C-2AとKH-4を主力にして23機の47系を使用し、 送電線パトロール、架線、資材運搬、薬剤散布、ニュース取材、宣伝広告、撮影、遊覧等を行っています。

・ 薬剤散布
 
西日本空輸のホームページに「1953年12月 ヘリで初めて松くい虫散布」とあり、薬剤散布のことと思われますがこれは疑問です。西日本空輸の最初のヘリコプターであるヒラ―UH-12B JA7018は翌1954/05/22登録であるし、日本におけるヘリの薬剤散布は全日空が開発して1954年8月に岡山県で初のテストを行ったのが事始めではないかと思っているからです。

 なお、同社の本格的な薬剤散布は、九州は勿論ですが、初めは滋賀県以西をエリアとしていました。

・ JA7340製造番号2000は、川崎航空機のKH-4試作1号機で、摩耶と命名されてKH-4のPRに当たっていた機体です。 (量産1号機製造番号2001は警視庁へ納入)

・ 西日本空輸のベル47リスト は写真募集中

登録記号

製造番号

型式 直前使用社

西空登録日

西空抹消日

備    考
JA7029 1021
G-2
  56/10/09 1959 長野県農林協同組合へ
JA7036 126 G-2 九州電力 1960 65/09/25 65/08/16熊本県でクラッシュ
JA7070
 JA7070
181
2179
G-2
KH-4
  60/10/03 91/04/11 改造は70/06/30
老朽廃棄
 JA7357 507 G-2A   62/06/21 73/08/06 73/07/24滋賀県でクラッシュ
JA7361 515 G-2A   63/03/14 89/01/24 個人へ
JA7362 516 G-2A   63/03/14 82/08/21 82/08/11滋賀県でクラッシュ
JA7401 517 G-2A   64/03/20 65/09/25 65/05/30宮崎県でクラッシュ
JA7405  518 G-2A   64/06/08 77/03/16 77/03/03宮崎県でクラッシュ
JA7416  520 G-2A   65/03/30 71/05/28 71/05/08福岡県でクラッシュ
JA7417  521 G-2A   65/03/30 75/06/13 75/06/06宮崎県でクラッシュ
JA7439  524 G-2A   66/03/29 88/09/19 老朽廃棄
JA7440  525 G-2A   66/03/29 71/05/28 71/05/02福岡県でクラッシュ
JA7507 2137 KH-4   68/07/16 77/05/18 77/05/08熊本県でクラッシュ
JA7541 2163 KH-4   70/02/21 92/04/22 老朽廃棄
JA7562 2187 KH-4   71/06/28 76/01/08 75/12/01宮崎県でクラッシュ
JA7555 2176 KH-4   72/10/17 92/04/22 老朽廃棄
JA7566 2204 KH-4   74/02/20 89/12/14 老朽廃棄
JA7340  2000 KH-4 川崎重工業 76/04/05 84/10/12 KH-4初号機 初飛行62/08/02
84/08/17鹿児島県でクラッシュ
JA7524 2153 KH-4 全日空整備 78/03/07 79/08/21 79/07/06宮崎県でクラッシュ
 JA7539 2171 KH-4 全日空整備 78/03/22 90/04/04 老朽廃棄
 JA7383  2022 KH-4 中部日本新聞社 78/12/22 88/10/27 老朽廃棄
JA7111 2196 KH-4 海上保安庁 82/12/09 91/04/11 老朽廃棄
 JA7477 2114 KH-4 農林水産航空協会 85/12/25 91/02/08 老朽廃棄

 


・ JA7036 川崎ベル47G
航空情報1961年9月号国内ニュース


航空情報1965年10月号国内ニュース JA7036


・ JA7070 川崎ベル47G3B-KH4 
富山空港 撮影1978〜1990 提供YM


航空情報1963年10月号国内ニュース(8月23日)


・ JA7357 川崎ベル47G 2-A 
西日本空輸  撮影1973/07/16 大村空港 geta-o

 航空情報1966年10月号国内ニュース (JA7357の誤りと思われる)


・ JA7361 川崎ベル47G 2-A 
航空情報1966年10月号国内ニュース


・ JA7383 川崎ベル47G3B-KH4 
富山空港 撮影1978〜1983 提供YM


・ JA7401 川崎ベル47G-2A
航空情報1965年9月号国内ニュース


・ JA7439 川崎ベル47G-2A
 撮影1984/08/04  彦根  丹羽八十


・ JA7477 川崎ベル47G3B-KH4 
滋賀県野津市 提供TR  撮影は1980年頃で、農林水産航空協会の機体を西空が借りていたものと思われる


・ JA7539 川崎ベル47G3B-KH4 
富山空港 撮影1978〜1990 提供YM

日替わりメモ2013/12/10

〇  西日本空輸株式会社

 今、筑前を領地とした黒田官兵衛がクローズアップされつつあります。商人の故郷近江を祖先とする官兵衛は、交易の拠点であった堺なども研究し、秀吉の戦略戦術軍師として抜群の働きをします。それは、現今の政治・行政・経済に携わる人々、特に幹部諸公が大いに学ぶべきインテリジェンスでありました。
     (参照 宮崎正弘著「黒田官兵衛のインテリジェンス情報学」 2013年普遊舎新書 800円)

 関ヶ原で小早川秀秋を寝返らせて東軍の大勝利に終わらせた陰に黒田官兵衛ありで、その功績で家康から筑前を与えられます。そこでの領地経営は、古来の商人町博多には手を付けず隣りに福岡城を築いて民心を掴むなど見事なものでした。そして、その才覚を家康から睨まれる前にさっさと家督を長政に譲って隠居します。

 西日本空輸という一ローカル航空会社が、西日本新聞、西日本鉄道、九州電力の福岡御三家によって設立された歴史を見て、私は、黒田官兵衛のインテリジェンスを感じざるを得ません。新聞・鉄道・電力が協力して作った初期航空会社はここだけです。中日本航空には電力が入っていません。 

 ですから、西日本空輸は、どこよりもヘリコプターを幅広く自由自在に使いこなしているように見受けられます。007や角川映画の撮影にヘリを長期貸出ししているのもその例です。
 また、今朝S-61Nのページに追加しておきましたが、日東航空がキャンセルしたS-61Nを使って福岡から壱岐、対馬への旅客輸送をやり、後の全日空や長崎航空に先鞭をつけています。黒田官兵衛の血が流れているとまでは言いませんが、彼が敷いた政治・行政・経済の基盤は航空にも活きていると思うのです。

 ただ、同社のベル47に限ってみると、事故率が5割近くになり、その辺りは問題ですが‥。

機番不明 航空情報1964年11月号国内ニュース


機番不明 航空情報1970年7月号国内ニュース


 

 

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