1964年から始まった地質調査所の空中磁気探査において、探査に使用された航空機の機種は5代を数える。
一番最初の本格調査(196件)では、その前の試験測定を引きついでヘリコプターが用いられた。機種はシコルスキーS-55で、速度は時速100q弱であった。(R148)
翌1965(昭和40)年からは固定翼機に移行しており、陸域探査の1966(昭和41)年までは小型のピラタスPC-6型機が用いられた。(R148)
しかし、海域探査のためには位置測定装置の拡充強化が必要であり、1967(昭和42)年からは、中型のダグラスDC-3型機)が採用された。このDC-3機では、就役早々に東カリマンタン沖の受託調査(石油開発公団より)が行われたことも特筆される。(R148)
YS-11の採用
1970(昭和45)年からは、位置測定装置類を含む計測・データ収録のディジタル化の進行によって膨張した搭載機器の容量のため、日本航空機輸送のYS-11型機が採用された。探査時の速度は時速300〜400q程度である。このYS-11機でも、最初の調査として、海外技術協力によるフィリピンでの空中磁気探査が行われた。
YS-11は、1970(昭和45)年から1978(昭和53)年まで9年間にわたって、日本各地の探査に活躍した・地質調査所の空中磁気探査だけでも,側線延長約21万kmの飛行を行った。1972(昭和47)年から機体尾部のスティンガーが設置され,探査はスティンガー方式で実施されるようにたった.スティンガー用の機体磁気補償装置の調整作業時には,バードによる測定が併用された。
A8611 撮影1974/11/29 厚木基地 GO!NAVY
広江
腹部のバードは、測定に使うときはウィンチで(150フィートほど)繰り出して使うが、万が一の場合を考えて陸域では使用していない。海上でテイルスティンガーとの平行測定をして、テイルスティンガーに対する機体自体の磁気の影響を補正するデータを取得していた。
バードは、調査現地(十勝なら帯広空港)で取り付け作業をしていたが、先端ブーム・テイルスティンガーと下写真の先端ブームは資機材の関係で本拠地(当時は厚木の日飛)で取り付け作業を行っていた。
JA8611 撮影1975/09 旧帯広空港 中塚 正
ノーズのブームは、電磁探査装置と呼ばれる機械のセンサー部(要は単なるコイルで機首方向と上方向を向いたコイルの組み合わせ)である。電磁探査では能動的に作った電磁場によって地中の電気伝導度構造が2次的に作る微小な応答を観測している。能動的に作る1次
磁場は、受信機の近く(機上)におく場合と地上から大電力で送信する磁場を使う場合があり、このときは後者の方法に相当した。
撮影した1975年の十勝の調査時は、磁気探査が主体で、それに電磁探査の開発試験が相乗りして実施したものである。
JA8612 1972/08/09 厚木基地 GO!NAVY
広江
1976年日本航空機輸送
の経営が成り立たなくなってから、両機体が中日本航空の手にわたり、その装備が必要な空中磁気探査の調査 飛行は、以後 中日本 の手で行われた。垂直尾翼のマークと社名のみを書き直しているのは、経費節減のためと思われる。
JA8612
富山又は丘珠空港 撮影1977/05 T67M
その後、1979(昭和54)年からの遠隔海域の調査に向けて、探査機は小型のセスナ404型に交替する。その理由は、YS-11型機が製造中止となり第一線から退く状況と遠隔海域調査のための航続時間の確保のためでもあったが、計測装置類の小型軽量省電力化が大きく進み、小型機で十分調査できるようになったことが大きい。現在もこの機種が探査に活躍しているが、機器を搭載した状態での乗員は、パイロット・ナピゲータ・オペレータの3名で、予備席として補助オペレータ用のものが一つある。(別記4)