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航空歴史館 日本におけるダグラスDC-8研究

A Study of Douglas DC-8 in Japan

 

B 経歴と写真 DC-8-30 JA8001〜8006

  登録番号 愛 称 導 入 日 抹 消 日    備    考
日本航空のダグラスDC-8-30シリーズ 5機
DC-8-32 JA8001 FUJI 1960/07/16 1987/03/31 機首を東京国際空港に保管
DC-8-32 JA8002 NIKKO 1960/07/30 1974/06/03  
DC-8-32 JA8003 HAKONE 1960/09/27 1961/07/03

東京国際空港でオーバーラン 修理してDC-8-53 JA8008に 復活

DC-8-53 JA8008 MATSUSHIMA 1963/02/04 1981/07/01
DC-8-33 JA8005 MIYAJIMA 1960/11/25 1974/05/295  
DC-8-33 JA8006 KAMAKURA 1961/05/04 1975/03/28  

DC-8-30シリーズとは

    CONTRAIL No126  日本におけるDOUGLAS DC-8 第1章 DC-8のプロフィールから
     

 

ダグラスDC-8-32 JA8001  FUJI 0FUJI1
1960/07/16 c/n45418 サンフランシスコ空港で引渡 JA8001登録 命名式挙行FUJI
1960/07/22 東京国際空港到着
1960/08/12 初就航 東京国際空港〜サンフランシスコ空港
1961/02/28

飛行17000時間(規程上は25000時間)で日本航空による初のオーバーホール入庫
29日間 延べ13000人/時間

1971/02/05 バンコック空港離陸後出火 緊急着陸
1974/10/30 マニラ空港から東京国際空港へフェリー 営業運航終了
1974/11/01 練習機として使用
1987/03/31 抹消登録 保存運動活発化により廃棄処分を停止
  JALトレーニングセンターに機首を公開用記念機材として保管

マニアによる1番機到着時の写真

CONTRAIL126号 (写植印刷の誌面から複写)


 着陸後国際線スポットに向かうFUJI号を見学・送迎デッキから写したもので、出迎えるように先輩のダグラスDC-6B JA6202 City of Kyotoが居り、全日本空輸のハンガーにはコンベアCV440が見えます。マニアによる到着時の写真として非常に貴重なショットです。

航空情報1960年9月号




 

航空情報1960年10月号表紙

 1959〜1961年頃 ハワイホノルル空港での写真

撮影 Hawaii Times  写真掲載元WEB https://hojishinbun.hoover.org/en/newspapers/A-NE1169-001.1.1 
 情報提供: 吉田  

尾翼機体番号拡大


1960年代初頭日航DC-8華やかなりし頃のポストカード

DC-8 Jet Courier



 "KIKU_NO_MA" Lounge of DC-8 Jet Courier

 空の超一流ホテルをうたい文句にして、最前部ラウンジ にシルクスクリーンによる前田青邨画伯の紅白梅 の壁紙、窓に障子、床に畳の縁取りを配しました。食器類はのりたけ陶器、シートは西陣織などすべて 日本の一級品を用いたということです。絵葉書はモックアップ撮影したもの。

 

1960年の日航広告 DC-8とは?


 DC-8にA型、B型、C型という通称はなく、日航もすぐにこの広告を取りやめ、公刊書にも用いていません。
 そもそも、ダグラスが各設計変更時に外部向けのしっかりした名称を考慮しなかったために、CABが仮に名前を付けたり、FAAがダグラスと協議して決めたりしています。次の通りですが、非常にラフなものであることを断っておきます。
 

FAAの分類

CABの仮分類

 

エンジン

最大離陸重量

DC-8-10

DC-8A

国内線型 

JT3C-6

 

DC-8-20

DC-8B

国内線型

JT4A-8

 

DC-8-30 (JALでは-32、-33)

DC-8C

国際線型

JT4A-9

140〜143

DC-8-50 (JALでは-55、55F)

 

国際線型

JT-3D各型

147

DC-8-60 (JALでは-61、62、62AF)

 

国際線型

JT-3D各型

147〜152

DC-8-70

 

国際線型

CMF-56

 

  はじめに、米国の各社がCAB方式を使ったため、日本航空もそれにならってDC-8Cとしたものと思われます。よって、この広告は一時期だけの珍品となりました。


撮影1962/05/06 東京国際空港 ET


撮影1962年頃 東京国際空港 PAPPY






撮影1962年頃 東京国際空港オペレーションセンターへ搬入 PAPPY


撮影1964/10/04 東京国際空港 geta-o


撮影1967/03/20 東京国際空港 geta-o


大阪万博協賛のロゴを描き入れ 撮影1969〜1970年 大阪国際空港 濱野博司


撮影1969/05/19 東京国際空港 戸田保紀



塗装変更

撮影1970/05/05  東京国際空港  鈴木一弘  画像クリックで拡大します


撮影1970/05/05  東京国際空港  鈴木一弘   P&W社 JT4Aエンジンの排気口形状が独特です 


撮影1970/05/05  東京国際空港  鈴木一弘   Cockpit写真 左右とも画像クリックで拡大 
 

撮影1972/08/12 大阪国際空港 KUPANBA


撮影1972/10/10 東京国際空港 geta-o


日航練習機時代 1970/11〜

撮影1974  大阪国際空港 山崎正博


地上訓練 トーイング訓練か

撮影1979/08/27 東京国際空港 ET  

    1975沖縄海洋博のロゴを残したまま
   


1987/02/19 JA抹消登録 (03/31)の直前

撮影1987/02/19 東京国際空港 鈴木博之


1987/03/31 JA抹消登録

抹消登録3か月後  撮影1987/06/28 東京国際空港 ET


引退後 機首を保管

撮影2010/09/20  東京国際空港 ハロースクエア


 

撮影 にがうり

 


旧整備場から新整備場へ移動中 撮影2014/03/28 HORNET


2017年現在 日航メインテナンスセンター

撮影2017/10/19 婆裟羅砦

02

ダグラスDC-8-32 JA8002  NIKKO

1960/07/29 c/n45419 日本航空に引渡 
1960/07/30 JA8002登録 愛称NIKKO
1960/10/22 東京国際空港離陸滑走中に右主輪パンク 燃料投棄後に無事着陸
1968/12/31 訓練中、沖縄上空1万メートルでフラットスピンに入り第T、第2エンジン脱落するも那覇に無事着陸
 

修理し、再就航

1974/05/27 AMERICAN JET INDUSTRYに売却 N420AJ
1974/06/03 JA抹消登録

撮影1960/08/12 ET
 

撮影1961/03/01 東京国際空港 geta-o


撮影1961 東京国際空港 PAPPY


 撮影1960~1961頃 名古屋空港  古谷俊郎


撮影1962 東京国際空港 geta-o
6

撮影1964/11/05 東京国際空港 見学デッキ 戸田保紀

  拡大 東京国際空港記念写真屋さん
  
BOAC コメットW型と


塗装変更

撮影1971/03/06 東京国際空港 geta-o

AMERICAN JET INDUSTRYに売却前  撮影1974  大阪国際空港 山崎正博

 

 
03

ダグラスDC-8-32 JA8003  HAKONE

1960/09/02 c/n45420 日本航空へ引渡
1960/09/13 東京国際空港到着
1960/09/27 JA8003登録 愛称HAKONE 
1961/04/24 東京国際空港でオーバーラン事故 大破
1961/07/06 JA8003抹消登録
1962/06 ダグラス社へ搬入 修理改修
1963/02/04 DC-8-53としてJA8008登録 愛称MATSUSHIMA 定置場東京国際空港
1963/03/30 東京国際空港到着
1975/08/15 日本アジア航空 定置場東京国際空港 1978/07/01新東京国際空港
1981/07/01 JA8008抹消登録 AERONAVES DEL PERUへ売却 OB-R-1223

撮影1961 JA8001 FUJI号とのツーショット 提供PAPPY 


撮影1961 第3回米国産業視察団の搭乗機として 提供PAPPY


オーバーラン事故

 1961/04/24 JA8003 HAKONE号(古谷野機長)は、サンフランシスコからホノルル、グアム経由で、23時30分頃海側からAランへ着陸しましたが、Bランとの交点を過ぎてもスピードが落ちず、Aランをオーバーして排水溝に脚を突込んで停止しました。 写真のように、降着装置破損、操縦室と胴の結合部が折損、エンジン3基損傷、燃料タンクにも亀裂が生じましたが、幸いにも発火炎上せず、死傷者は皆無でした。当日はやや追い風の上、雨も強く、加えて3月未に滑走路工事が終了したばかりであったためにハイドロプレーン現象によりブレーキがきかなかったと判定されました。

提供PAPPY



航空情報1961年6月号

05

ダグラスDC-8-33 JA8005  MIYAJIMA

1960/11/08 c/n45421 -32として製造し、-33に改装して日本航空へ引渡
1960/11/28 東京国際空港到着
1960/11/25 JA8005登録 愛称MIYAJIMA
1974/05/27 AMERICAN JET INDUSTRYに売却 N421AJ
1974/05/29 JA8005抹消登録

撮影1960年代  東京国際空港  提供 鈴木一弘 撮影 鈴木氏の父  画像クリックで拡大


洗浄風景 撮影1961/02 東京国際空港 ET 


撮影1962/06 大阪国際空港 高田和彦



撮影 東京国際空港日航オペレイションセンター 高田和彦

 

北極経由欧州線 試験飛行

航空情報1961年6月号

 

06

ダグラスDC-8-33 JA8006 KAMAKURA

1961/05/04 c/n45626 日本航空へ引渡  JA8006登録 愛称KAMAKURA
1960/05/07 東京国際空港到着
1961/06/06 日本航空北極回り欧州便1番機 羽田-アンカレッジ-コペンハーゲン−ロンドン-パリ
1965/12/25 サンフランシスコ空港離陸直後第1エンジンの故障でオークランド空港へ緊急着陸
1974/05/27 AMERICAN JET INDUSTRYに売却 N124AJ
1975/03/28 JA8003抹消登録

撮影1960年代  東京国際空港  提供 鈴木一弘 撮影 鈴木氏の父  画像クリックで拡大


撮影1963/09/24 東京国際空港 桑原 益



撮影1969/0519 東京国際空港 戸田保紀


サンフランシスコ事故

CONTRAIL No130  日本におけるDOUGLAS DC-8 第4章 DC-8の事故から 

航空情報1966年3月号


撮影1973/07/01 東京国際空港 ET  バックにフィリピン航空のDC-8-53 PI-C802


撮影1974  大阪国際空港 山崎正博

 

DC-8-30シリーズ JA8001〜8006 完了